かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ブリテン 戦争レクイエム

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はブリテンが作曲した「戦争レクイエム」を取り上げます。

ブリテンが作曲した中では最大の作品だとも言える作品ですが、図書館にはあったりなかったりする作品でもあります。特にこのご時世では・・・・・

一応、この作品が成立した理由は第2次大戦によって破壊された教会の復興という側面があるのですが、しかしブリテンがこの作品を作曲したのは単に第2次大戦が理由ではありません。恐らく、2度の世界大戦が欧州で勃発してしまったということに、その理由を求めることができるのではないかと思います。

と言うのは、一応レクイエムですから伝統的なレクイエムの歌詞が採用されていますが、間にイギリスの詩人ウィルフレッド・オーエンの詩が挿入されていることなんです。

戦争レクイエム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0

ウィルフレッド・オーエン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3

ヴォリュームとしては、全体の半分ほどを占めるほど、なんです。では、オーエンは第2次大戦を従軍しているのかと言えば、第1大戦であり、しかもその第1次大戦でわずか25歳で戦死しているんです。

ですから、挿入された詩で描かれているのは、あくまでも第1次大戦の様子、或は題材となっていると言う訳なんです。本来第2次大戦を題材にするべきところをなぜ、第1次大戦をテーマにした詩を挿入したのか。それは、第1次大戦の記憶のほうが、生々しかったからだと言えるでしょう。

第一次世界大戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6

私たちは日本人ですから、どうしてもあの15年戦争のほうを想起するんですが、ヨーロッパ人の場合、二つの世界大戦を想起するわけなんです。しかも、第1次大戦が非常に破壊的で衝撃的であったにも関わらず、第2次大戦はそれ以上だったわけなんです。それはもう、筆舌しがたいわけです。

さすがのブリテンも、第2次大戦は悲惨すぎて表現できないと、匙を投げたのと同じなんです。ですから、第1次大戦を題材にした・・・・・という、あくまでも、これはわたしの推論ですが、戦争に反対してアメリカへ移住したくらい、戦争が嫌いだったブリテンですから、第2次大戦など、悲惨すぎてまず拒絶反応が起き、表現するまで行かないと推測できるんです。ですから、詩が残っている第1次大戦でかろうじて表現し、それを「警鐘」とする、と言うわけです。

その意味では、ペンデレツキのほうがすぐれた表現者だったと言えるのかもしれません。彼はポーランドという、二つの世界大戦においても悲劇が起こった地で、しかも戦後は共産主義体制で自由すら奪われた状態で、「ポーランド・レクイエム」と「ルカ受難曲」という、戦争を題材、或はイメージした作品を発表したのですから。

けれども、ブリテンがそのような動きに触発されないわけがありません。ですから、ブリテンなりの最大限の表現をした作品が、この「戦争レクイエム」なのです。

日本人は世界大戦を一つしか経験していません。確かに日本軍は第1次世界大戦にも参加しています。海軍は地中海へ行っていますし、陸軍は青島を攻略しました。けれども、それだけ、だったのです。被害はほとんどなく、戦争の悲惨さは語られることが、今でもありません。日中戦争から太平洋戦争だけ、です。第1次大戦の代わりに語られるのは、むしろ日露戦争です。確かにあれも、二百三高地攻めは悲惨でしたが・・・・・

けれども、第1次世界大戦の悲惨さは、日露戦争の比ではなかったのです。それをブリテンは知っているわけです。かれは従軍こそしていませんが、多感な時期に悲惨な写真を見た経験がある可能性が高いからです。

ベンジャミン・ブリテン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3

第一次世界大戦の戦線からの、この世の終わりのような写真28枚
https://www.buzzfeed.com/jp/bfjapannews/28photos-ww1?utm_term=.yj42M4N02#.fq4bvp4db

クリックしないと見れないものをどうするかは、読者の皆さんにお任せします。しかし、それは第2次世界大戦ではなく、第1次世界大戦だったのだということは、知っておいてほしいのです。さすれば、この「戦争レクイエム」を聴く時、なるほどと理解できるでしょう。恐怖による共感によって・・・・・

第1次大戦ですら、十分悲惨だったのです。でも、第2次大戦はそれをいともあっさり上回ってしまったのです・・・・・

それは、ブリテンにとって、来るべき第3次世界大戦への危機感でもあったのです。作曲されたのは1960〜61年。初演が1962年。それは冷戦真っただ中だったのです。ブリテンとしては、来る第3次世界大戦は、核戦争になるだろうくらいの意識は持っていたと思います。それがテクノロジの発展による戦争の変化だからです。核を搭載していなくても、現代の戦争はすでにミサイルが中心となり、潜水艦すら時代遅れになるのではと、軍事筋では言われている時代です。あるいは空母すら時代遅れになるかも知れない、と。それは、第1次世界大戦の戦場を描いた、オーエンの詩で書かれていることが、明日私が住んでいる場所で起こり得る、と言う事なのです。

ミサイルが非核であればまだラッキーでしょう。もし、核兵器だったら・・・・・想像を絶します。恐らく、その時点で私たちの未来は失われるでしょう。たとえ生き延びたとしても、今度は「核の冬」が待っています。文明は崩壊し、私たちは野性を取り戻して生きていくしかありませんが、しかし「核の冬」による環境の激変は、野性と化した私たちを、野性と化したからこそ、容赦なく殺していくでしょう。

そんなことを、2度の世界大戦を経験した「欧州人」だからこそ、ブリテンはこのレクイエムを「警鐘」としたのです。次が容易に予測できるからです。これは平和ボケして脳内お花畑になって、かつ極右に振れている日本人には、できない話なのです。

だからこそ、ソプラノはソ連にこだわったわけです。初演のソプラノはすごい仕事をしたのに、ブリテンは評価しなかったと言いますが、それは歌手の力量もさることながら、作品の背景を判っているかという、魂のレヴェルでのことであったと思います。

このアルバムは、実は恐らくウィキに書かれているブリテン自作自演のものです。確か借りた時にも、ブリテン自作自演とあったように記憶しています。そのためか、特に戦場を表現するものは鬼気迫るものがありますし、後半のリベラ・メではまるで息を引き取るかのような表現も絶妙です。作曲者の想いが演奏者に乗り移り、全身で戦争の悲劇を表現する・・・・・誠に、欧州人だからこそできる演奏だと思います。

だからでしょうか、この作品が日本で演奏されるのは稀です。せいぜいヴェルディのレクイエムです。勿論、日本の合唱団のレベルは素晴らしいので、いい演奏が多いですが、しかし真に戦争の悲惨さを表現したいのなら、是非ともブリテンでしょうと思うのです。




聴いている音源
ベンジャミン・ブリテン作曲
戦争レクイエム 作品66
ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
ピーター・ピアーズ(テノール
ディートリッヒ・フィッシャー・=ディースカウ(バリトン
バッハ合唱団
ロンドン交響楽合唱団(合唱指揮:デイヴィッド・ウィルコックス)
ハイゲート学校合唱団(合唱指揮:エドワード・チャップマン)
サイモン・プレストン(オルガン)
メロス・アンサンブル
ベンジャミン・ブリテン指揮
ロンドン交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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