かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ペンデレツキ ポーランド・レクイエム

今回の神奈川県立図書館所蔵CDは、ペンデレツキのポーランド・レクイエムを取り上げます。ヴィト指揮、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団・合唱団他の演奏です。

この音源を借りるきっかけになった映画があります。

カティンの森
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE

実際の事件はこちらです。

カティンの森事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

映画の冒頭で使われていたのが、このポーランド・レクイエムでした。実は、映画音楽もペンデレツキが担当しています。

初め、おどろおどろしい旋律が流れてきたのですが、それが全く違和感がない自分に気が付いて、不思議な気分になったことを記憶しています。

カティンの森事件そのものは知っていましたが、実際どんな事件だったのか、そしてそれがその後のポーランド社会にどんな影響を与えたのかは、全く知らなかったと言っていいと思います。

ポーランド・レクイエムで検索しますと、まずこのサイトに行きつくかと思います。

ポーランド・レクイエム Polnisches Requiem」
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/penderecki_polacco_requiem.html

しかし、正直言いまして、この説明には違和感を覚えます。今回はなぜそう思うかを中心に述べて、この作品の本質をできるだけわかりやすく述べて行きたいと思います。

まず、ペンデレツキをご紹介しておきます。以前、このブログでも彼の他の作品でエントリも立てています。

クシシュトフ・ペンデレツキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%84%E3%82%AD

今月のお買いもの:ペンデレツキ 交響曲と宗教曲集1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/911

今月のお買いもの:ペンデレツキ 交響曲と宗教曲集2
http://yaplog.jp/yk6974/archive/917

この二つのエントリを立てるきっかけになったものこそ、この「ポーランド・レクイエム」で、さらにそれを聴くきっかけを与えたのが、映画「カティンの森」だったという訳です。

ペンデレツキという作曲家は、新古典主義も衰退した、完全に12音階以降の前衛音楽です。ところが、不思議な現象なのですが、現在前衛音楽は古典、いや、ルネサンス回帰をしていると言っても言い過ぎではない状況です。もちろん、ルネサンスそのものに回帰する筈もなく、実は新古典主義音楽がまいた種が、別な形で花開いていると言ってもいいのです。

それを理解しないと、この作品を理解することはできません。

まず、この作品は、私たちが知るレクイエムとほぼ同じ曲が並んでいます。しかし、それは作曲された1980年代では異様です。それはサイトが言う通りなのです。それは、以下の会議において、レクイエムで使うべき音楽に変更が加えられたからです。

第2バチカン公会議
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC2%E3%83%90%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%B3%E5%85%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0

ところが、このレクイエムでは、たとえばヴェルディのレクイエムとほぼ同じ曲が並んでいます。いや、ヴェルディのレクイエムと同じだと言ってもいいでしょう。

レクイエム (ヴェルディ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0_(%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3)

ペンデレツキがヴェルディのものを念頭に置いたかどうかはわかりません。しかし、二つに共通している点があります。それは、祖国を憂いたうえで作曲されている、という点です。

ヴェルディがレクイエムを作曲した当時のイタリアは、ようやく統一がなされた直後であり、国をいかに守るのかということが至上命題で、実は不安定な時代でもありました。いっぽう、ペンデレツキのこの曲がが作曲された1980年代ポーランドは、第二次世界大戦で負った社会と国家と国民の心の傷が癒えぬまま、社会主義政権がいきづまりを見せている時代でもありました。その上で、東西冷戦の最前線です。いつ核戦争が起こるかわからない、核兵器のどつきあいのさ中にあり、不安定でした。

イタリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2

ポーランド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

ですので、ペンデレツキがヴェルディのレクイエムを念頭に置いた可能性は、否定できません。ヴェルディのレクイエムと成立の状況も似ています。ウィキでは英語サイトしかないので、それを簡便に日本語に訳したうえで解説しているサイトがありましたので、ご紹介します。

ペンデレツキの「ポーランド・レクイエム」その1
http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-de58.html

私のこのエントリと同じ音源を聴いて書かれた上記ブログのエントリは、私と同じ問題意識をもって書かれているのは好印象です。そもそもは1970年のポーランド反政府暴動を偲ぶ目的で建てられた記念碑の除幕式のため、「連帯」(ポーランドの独立自主管理労働組合)から委嘱された作品が元になっています。その後、知人の死やポーランドの歴史を悼む行事のために委嘱された作品を、ひとまとめにしたものがポーランド・レクイエムです。一方、ヴェルディのも最初はイタリアの幾人かの作曲家が連名でレクイエムを作曲しようということになり、ヴェルディは最後の「リベラ・メ」を担当することになりましたが挫折。その後、その「リベラ・メ」を使ってヴェルディ一人で作曲したのが、所謂ヴェル・レクです。

このように、成立が瓜二つとも言えるのです。ということは、ペンデレツキがヴェル・レクを念頭に置いて再構成したと、考えれらなくもないのです。

その視点で考えれば、なぜ第2バチカン公会議で禁止された曲が入っているのか、ある程度推測することが出来ます。上記ブログのペンデレツキの言葉が雄弁に語っています。つまり、この曲は20世紀ポーランドの歴史を反映することを基本とし、そこから展開し、20世紀における戦争・抑圧でなくなったすべての人たちに対する、怒りと悲しみを表現したものであると言えるのです。

特に重要なのは、私が上記「ポーランドの歴史を悼む」としたもの、つまり、カティンの森事件と、ワルシャワ蜂起です。そしてこの二つは、映画「カティンの森」で出てくる、重要な場面なのです。そしてそれは、ポーランドの戦後に、暗い影を落とすことになります。戦前、ドイツに反対した指導部と軍部、そして敗戦し占領中ドイツ側についたもの、そして戦後ソ連側についたもの、それぞれ、あるものは殺され、あるものは自決し命を絶ち、あるものは生き残りながらも心に傷を負い苦しみ、生きる者もいれば自決して命を絶つものもいるという、惨憺たる歴史を辿るのです。

この歴史を俯瞰した時、ヴァチカン公会議で決定されたレクイエムの曲では、とても苦難を現わしきれないと考えるほうが、私は自然であろうと思います。ペンデレツキは敬虔なカトリックであったゆえに、わざとヴァチカン公会議の決定に背いたのでしょう。

そもそも、ヴァチカンは東側であった、或いは戦中ドイツに加担したというだけでポーランドを放置した歴史があります。それに対する怒りと悲しみは、いったいいかほどであったことでしょう。それを考える時、おいそれとヴァチカン公会議で決定した様式を、守るとは思えません。知っていてわざとそうしなかったと考えるほうが自然です。

ですから、知らなかった、或いは前衛作曲家は無知であるというのは、私には違和感を感じざるを得ません。ポーランド語の歌詞も、対訳を見てみれば典礼で語られる言葉ですし、通常文そのものではないにせよ、かけ離れているわけではありません。基本的に信仰から出る言葉です。

もっと言えば、この作品は、典礼音楽を借りた、叙事詩とも言えます。だからこそ、会議の決定に従う理由がないのです。ある意味、新古典主義音楽の一つの行き着いた形とも言えるでしょう。であれば、ますます会議の決定に縛られる理由が見当たりません。勿論、縛られてもいいわけですが、それならば完全に典礼音楽として作曲すべきなのです。

典礼音楽として作曲するということは、間に礼拝の言葉を入れることを念頭に置いて作曲することを意味します。しかしそもそも、それがこの作品からは見受けられません。もちろん、入れれらる部分もあります。ですが、この作品は全体を通じて礼拝の言葉を入れる余裕が少ないのです。その点こそ、もし典礼音楽として不適であると批判するのであれば、すべきであると思います。

この作品を理解するために、できれば映画「カティンの森」を見られることをお奨めします。ただ、衝撃は大きすぎますが・・・・・実際、私は映画を観終わった時、しばらく席を立つことが出来ませんでした。楽しかったからではなく、あまりにも衝撃が大きかったからです。そんな映画は、この「カティンの森」以外では、同じ第2次世界大戦を扱った日本映画「氷雪の門」だけです。

樺太1945年夏 氷雪の門
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA1945%E5%B9%B4%E5%A4%8F_%E6%B0%B7%E9%9B%AA%E3%81%AE%E9%96%80

この樺太の悲劇を知る日本人であるならば、できればカティンの森もきちんと評価して、ポーランド・レクイエムも評価したいと、私は思っています。

演奏面ですが、祖国の悲劇を、ヴィトは比較的冷静に統率し、「情熱と冷静の間」を上手に取っています。それゆえに、ポーランドの悲劇がどんどん心に突き刺さってきます。気合いが入って鬼気迫るアンサンブルは、特に、ワルシャワ蜂起を記念して作曲された「怒りの日」と、「絶えざる光もて」以降、カティンの森事件を記念した「リベラ・メ」までの部分で、私たちの心に悲劇という名の矢を放ち、それがど真ん中を射抜いて行きます。それを私たちはしっかりと受け取る必要があるように思います。

ヴァチカン公会議でなぜ、特に「怒りの日」が廃止されたかといえば、歌詞の内容があまりにも最後の審判への不安や恐怖を強調しすぎており、本来のキリスト教の精神から遠いというのが理由(ウィキ)です。しかし、20世紀はそれをイメージせざるを得ない事件が数々起きました。特にポーランドではです。もし、その決定に基づいて作曲されたならば、確かに広汎な演奏を得たでしょう。しかし、ポーランドの人々の、心のドグマを吐き出すことはできなかったでしょう。となると、それはどこかで報復戦争を引き起こすことにもなったでしょう。ドイツ後期ロマン派の別派である国民楽派がもてはやされたのはほかならぬ東欧で、ポーランドもその一つです。であれば、ポーランド自身が戦争を起こす可能性も否定できないでしょう。それを防ぐためにあえて、古い様式をもってきたともいえるかとおもいます。さらにそれが新古典主義音楽の影響であると仮定するならば、戦争をあおる性質をもつ国民楽派的な旋律ではなく、不協和音を前面に押し出し、古い様式で作曲をするという、新古典主義が勃興した理由である「アンチドイツ」をレトリックとして「アンチソ連」としていたとしたら、この作品の解釈はがらりと変わります。

だからこそ、この演奏ではドグマの部分は思いっきり悲劇的に、それ以外はまるでひそやかに、追悼の音楽を鳴らしています。それを私たちは、きちんと受け取ろうではありませんか!私たち日本人も、3.11で、同じような思いをしているのではないでしょうか。



聴いている音源
クシシュトフ・ペンデレツキ作曲
ポーランド・レクイエム
イザベラ・クウォシンスカ(ソプラノ)
ヤドヴィガ・ラッペ(アルト)
リシャルド・ミンキエヴィッチ(テノール
ピョートル・ノヴァツキ(バス)
ワルシャワ国立フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:ヘンリク・ヴォイナロフスキ)
アントニ・ヴィト指揮
ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。