神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ひっさしぶりにジークフリート・ワーグナーの作品集です。指揮はこれがなんと!キタエンコ。フランクフルト放送響の演奏です。
キタエンコと言えば、ソ連最後の時期からロシアへと変わる時期に日本でも有名になった指揮者です。そんな指揮者が、ジークフリート・ワーグナーの作品を振る。お!面白そうと思い手に取ったのです。
収録されている作品は最後の「ラインウルフとアデラシア」第1幕への前奏曲を除いて既出です。ですから、このアルバムは主に演奏やアプローチの違いを楽しむという意味合いで借りてきています。
キタエンコは結構ロマンティックな解釈をする指揮者ですので、雄大かつ壮大な演奏になることが多いのですが、このジークフリート・ワーグナーでも変えていません。そのうえ、ジークフリート・ワーグナーの作品の性格すら浮かび上がっても来ます。
例えば、第1曲「幸福」と最後の歌劇「ラインウルフとアデラシア」第1幕への前奏曲は父親に似ているよねえって思う反面、第2曲の歌劇「陽気な兄弟」序曲はそれほどでもないけれどむしろ父の若き日の作品に似ているかなとも。そういう意味では確かに息子は父の作品を映したものという性格もあるんだと思います。
けれども、多くのワグネリアンが、後期の作品こそワーグナーと思い金科玉条にしているのとは対照的に、息子ジークフリートはむしろ父の若き日の作品も自分のスタイルに取り入れているのが印象的なんです。そこからは、ジークフリートの叫びも聞こえてきます。後期のものが父の作品のすべてではないよ、という・・・・・
そういった様々な面が、このキタエンコとフランクフルト放送響のコンビの演奏からは浮かび上がってくるんです。端正ながらもダイナミックなフランクフルトを、雄大な解釈をするキタエンコが振ることで作品の魂の部分が呼び起こされているように思うのは私だけなのでしょうか。丁寧な仕事が、自然と作品の生命を呼び起こす・・・・・
これこそ、真にプロの仕事です。ロシアがソ連となったは不幸なことではありましたが、しかしロシアの人々は芸術を紡ぐことをあきらめてはいなかった。その魂があってこそ、浮かび上がった作品の生命、魂なのではないかとすら思います。こういった味わい方もまた、クラシック音楽を聴く魅力だと思います。
聴いている音源
ジークフリート・ワーグナー作曲
交響詩「幸福」
歌劇「陽気な兄弟」序曲
歌劇「太陽の炎」第1幕への前奏曲
歌劇「ラインウルフとアデラシア」第1幕への前奏曲
ドミトリ・キタエンコ指揮
フランクフルト放送交響楽団
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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