かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:冨田勲 イーハトーブ交響曲

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回は冨田勲が作曲したイーハトーブ交響曲を収録したアルバムをご紹介します。

今年2019年現在、冨田勲のこの作品を収録したアルバムはこの一つだけのようですが、じつはこのアルバム、如何に示すウィキに記載がある初演の記録なんです。

イーハトーヴ交響曲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2

まさに、収録日は2012(平成24)年11月23日。ロケーションは東京オペラシティ・コンサートホール。この演奏なのです。

さて、このイーハトーブ交響曲交響詩とも言っていい作品ですが、第1楽章で使われている「種山ヶ原の牧歌」が様々なところに顔を出しており、循環形式ともいうべき様式を持つので、交響曲と言えるでしょう。初音ミクソリストに使っている作品なのでついクラシックとは考えない方面もあるかと思いますが、しっかりとクラシックの様式にそった作品です。

ただ、私としては初音ミクを使うというのは、どうなのかなあと、首をかしげてしまう場面もあります。ボーカロイドだからといって私は決して卑下もしませんし、非難もしないんですが、しかし、初音ミクは発声が少しぼやけているんですよね。それが魅力でもあるのでそれはそれでいいんですが、児童合唱がしっかりと歌詞がわかるように歌っているのとは対照的になってしまっていて、初音ミクの特色が生かされていないように思うんです。

それなら、ボカロではなく、普通に人間のほうがよかったのでは?という気がしています。ボカロはボカロでいい演奏が他にあるんですが、それを聴きますと、どうもなあって思いが先にきます。ただ、この先駆的冒険心は評価したいなと思います。これより先、管弦楽作品とボカロとの協奏作品がもっと生まれるかもしれませんし。

とは言え、今はまだこの一つだけだとしますと、多くの作曲家から支持されるアンサンブルではないという評価にならざるを得ないんだと思います。あるいはボカロをクラシック音楽の中で使い切れるだけの才能がクラシック音楽界にはまだないか。とにかく、初音ミクはこの作品のほとんどでソリストなのです。ボカロという指示なのであれば、初音ミクじゃなくてもいいって思います。もっとこの作品に合うボカロはあると思っています。

多分、宮沢賢治の文章が持つ世界観を音楽で出すのに、初音ミクが適していると冨田勲は考えたんだと思います。だから、あえて歌詞無視で採用したのであれば、それはそれでいいと思いますが、元合唱屋としますと、しっくりこないんですよねえ。ただ、全体としてはいい雰囲気になっているのが、この作品の不思議なところで、故に私は故あって初音ミクだったのではと考えるのです。

むしろ、第4楽章「風の又三郎」では児童合唱とグリーだけで、しっかりいい雰囲気は出ているんです。これでもよかったのになあって思います。第3楽章「注文の多い料理店」は本当に不思議な世界なので、その不思議さを強調したかったんだろうなって思います。

私もじつは、「銀河鉄道の夜」は読んでいますので、宮沢賢治の世界は大好きです。おなじように労働に勤しみながら芸術を愛するものですし。その意味では最も初音ミクを素晴らしく使っているのがまさに第5楽章「銀河鉄道の夜」だと思います。歌詞も聞き取りやすく、初音ミクの幻想的な印象が強く出ており、そこからラフマニノフの第2番へとつながるのはもう素敵ですし、自分が銀河鉄道に乗っているようにさえ思います。

いや、じつは先日小平から帰ってくるときに、銀河鉄道は乗ったんですけどね。

http://gintetsu.co.jp/routebus/kodaira/

まさか、松本零士が漫画で使っている会社名そのままなんて、想いもよりません。もちろんそれは、宮沢賢治の小説からですし。賢治の地元盛岡でならまだしも、東京の小平ですよ?びっくりです。けれども、なんとなく松本零士の漫画ではなく、むしろ宮沢賢治の小説のような感じだったです。その意味では、初音ミク採用はこの楽章では見事と言えます。

この演奏で特に秀逸なのは合唱団です。慶応グリー、OB、聖心、児童合唱、どれも素晴らしい!生き生きとしていて、生命力溢れ、まさに宮沢賢治が小説で描いた「庶民のエネルギー」がしっかりと表現されていて、泣きそうになります。私自身、自立してからというもの、労働しながら食事を作り、掃除洗濯、そしてコンサートへ足を運び、こうやってエントリを上げる日々。宮沢賢治とおなじような生活をしています。共感するものがたくさんあり、つい涙腺が緩んできますが、それはしっかりと歌詞を歌い、表現しているからだと思います。

なので、先週取り上げました團伊玖磨の「マレー乙女の歌へる」の永井女史は残念だったんですよね。この演奏は比較的ノンビブラート唱法になっており、特に児童合唱は完璧にノンビブラート。だからこそ歌詞がストレートに伝わりますし、それでも芸術性は微塵も失われていない。だからこそ感動もします。日本のクラシック歌唱ソリストはビブラート唱法を一度捨ててみたらどうだろうと思います。その上で2つの歌唱法を使い分けてみるとか。ものすごく表現の幅が広がると思います。

その意味では、この作品は冨田勲現代日本クラシック音楽シーンに残した遺言だったのかもしれません。




聴いている音源
冨田勲作曲
イーハトーヴ交響曲
リボンの騎士
青い地球は誰のもの
初音ミク(ヴァーチャルシンガー)
篠田元一(シンセサイザー
ことぶき光(エレクトロニクス)
梯郁夫(パーカッション)
慶應大学ワグネル・ソサエティ男声合唱
慶應大学ワグネル・ソサエティーOB合唱団
聖心女子大学グリークラブ(合唱指揮:下河原健太)
シンフォニーヒルズ少年少女合唱団(児童合唱指揮:宮本益光)
大友直人指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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