かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ヒンデミット 交響曲画家マティス他

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回は、ヒンデミット交響曲「画家マティス」と組曲「いとも気高き幻想」を収録したアルバムをご紹介します。

ヒンデミットもこの頃このブログでも取り上げる作曲家ですが、そもそもはヒンデミットは「退廃音楽」指定されてしまった作曲家でした。けれどもヒンデミットの作品はどれも魅力的で調性感がある作品ばかりなのです。

パウルヒンデミット
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88

理論的な人でありながら、その理論から無調にとらわれずむしろ調性音楽の可能性を信じた人でした。

たいてい、学校の音楽鑑賞の時間でヒンデミットなどを聴く機会はありません。そこまでやると時間が足らなくなるからです。これ、日本史とどこか似通っているんですよねえ・・・・・偶然なんでしょうかね。

近代史を教えないからどうのとか、特に保守から言われることが多いのですが、それはピントが外れていると思います。近代史を教えないから、ヒンデミットがなぜ迫害を受けたのかがわからなくなり、むしろこういった迫害が正当なものだと考えてしまうのではないでしょうか。

その問題作となったのがオペラ「画家マティス」です。しかしオペラ上演は初演はドイツでは叶わず、スイスのチューリヒです。その原因となったのがおそらくその先行として作曲された交響曲だったのではないかと思います。

画家マティス (オペラ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%AE%B6%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9_(%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9)

画家マティス (交響曲)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%AE%B6%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9_(%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2)

私達は多分に、クラシック音楽の背景をそれほど教わっているわけではありません。例えばなぜドイツ宗教音楽にプロテスタントカトリックと2つあるのか、とかです。不思議に思ったことはありませんか?ドイツはルター派だからカトリックではないと言われているのに、モーツァルトカトリックのミサ曲を作曲しているわけです。むしろバッハがそうだったようにカンタータはほとんどありません。

それは、この「画家マティス」の舞台となった、16世紀ドイツ農民戦争が深く関わっています。

ドイツ農民戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%BE%B2%E6%B0%91%E6%88%A6%E4%BA%89

この歴史を知ると、なるほどと納得する事例がたくさんあるのです。なぜウィーンへ出たモーツァルトが低く見られていたのか。単に若いというだけではなく、ザルツブルクという街出身であるということもあるのだなとわかるわけです。南ドイツはドイツ農民戦争の結果プロテスタントからはなれカトリックへと変わった地域だったから、です。

一方のバッハがなぜドイツ音楽で重要視されているのかも、勿論音楽的にすばらしいからではあるんですが(だからモーツァルトも研究しています)、むしろ権力側だったルター派の音楽だったからと考えれば、納得なわけです。そして、ベートーヴェンがなぜカンタータよりも壮大な作品をミサ曲で残そうとした(ミサ・それムニス)のかも、ベートーヴェンが共和主義だからこそ、ドイツでは権力からは遠いカトリックの音楽だったということなわけです。

そういったドイツの歴史を踏まえてないと、なぜヒンデミットが迫害されたのかが理解できないんです。ナチスは宗教や歴史も権力掌握に都合よくつかったというわけなのです。これって、東洋のどこかの国にそっくりなんですが・・・・・歴史修正主義の。

私がこの音源を借りたのも、そういった東洋のどこかの国、つまりは我が国の現状に問題意識を持っていたゆえ、なのです。それと、mixiのマイミクさんなどからもいい作品だとずっと教えられてきたので、カップリングが「いとも気高き幻想」ということもあって借りてきたのです。

この2つの作品はヒンデミットの音楽の代表作だと思います。ドイツ農民戦争を範に取るような自由な思想を持ちつつも、ドイツの音楽に深い尊敬を持っているヒンデミットがそこからは見えてきます。

特に、「いとも気高き幻想」は最終曲にパッサカリアがあり、それをそもそもはバレエで踊ってしまおうって言うんですから!如何に意欲作だったかがわかります。

気高い幻想
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E9%AB%98%E3%81%84%E5%B9%BB%E6%83%B3

そして、演奏するはケーゲル指揮ドレスデン・フィル。つまりは旧東独ってわけです。それもまたドイツ農民戦争の結果が、当時の東西冷戦下のドイツにおいても影響しているということを示しています。なぜ東独のシャルプラッテンはケーゲルにヒンデミットを指揮させたのかを考えた時、東側はドイツ農民戦争のときのルター派のようなことはしないってプロパガンダなんですね。けれども演奏は熱があって素晴らしいんですよ、これが。

それだけの任務を担い演奏するケーゲルとドレスデン・フィル(ドレスデンという街も、ワーグナーの時代にドレスデン蜂起の舞台になった街です)が演奏するってことは、それもまた歴史を背負っているんですね。だからこそ深いんです、音楽が。そこにはイデオロギーとかは関係なくなっています。歴史をどう捉え、背負っていくかの現場を見ることができます。

こういった演奏が日本で出るのはかなり後なのかもしれませんね・・・・・残念ながら。いや、出るかどうかだってわかりません・・・・・




聴いている音源
パウルヒンデミット作曲
交響曲「画家マティス
組曲「いとも気高き幻想」
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ドレスデンフィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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