かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:樫本大進とリフシッツの ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全集4

今月のお買いもの、平成30年4月に購入したものをご紹介しています。シリーズで樫本大進とコンスタンチン・リフシッツの2人によるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集のハイレゾ音源を取り上げていますが、今回は第4番を取り上げます。

第4番は、ベートーヴェン交響曲を書き始めた時期にも当たっていることから、一つ成長した段階の作品だと思います。いきなり短調ですし、幾つか連作していると言う訳でもありません。それゆえに、演奏者も自分がどれだけ共感しているかと言うことが、比較的反映させやすい作品だと言えますし、ゆえにまた感情をどう表現していくかが難しい作品でもあると思います。

ヴァイオリンソナタ第4番 (ベートーヴェン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC4%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

そこを、樫本のヴァイオリンは決して力任せにせず、しなやかなんです。けれども力強さはいささかも失われておらずむしろ第3番までよりも力強さを感じます。アインザッツが絶妙!

引きずられて、リフシッツのピアノもしなやかなんです。その二つがアウフヘーベンしていく・・・・・その後の、ベートーヴェンの傑作の数々を彷彿とさせるに十分です。

感情の機微が、そのしなやかさによって自然と浮かび上がり、しっかりと魂が宿る演奏になっています。一見すれば多少古めかしい演奏なのですが、近代的な粋な部分もしっかりとあり、アインザッツの使い分けだけでここまで深くなるのか!という典型だと思います。

この「感情の機微」というのは、特にベートーヴェンの作品にとっては重要だと思います。ともすれば、「精神性」という言葉で、どこか重々しいものであるというレッテル張りが行なわることが多いのですが、ベートーヴェンも一人の人間であるとすれば、喜怒哀楽を持った人であったはずで、もしそれがないんだとすればアンドロイドかロボットです。作曲家の自立を高らかに掲げた人がそんな機械のような存在であるはずがありません。この演奏は、人間ベートーヴェンへの讃歌だとも言えるかと思います。

人間である以上、感情があり、当然機微がある。そこをどう表現するのか、です。ですから、力任せ一辺倒でいいわけないですし、さすがプロはそういうことを判っているなあって思います。

特に、ベートーヴェンの場合、ピアノ一つしかないピアノ・ソナタ以外のソナタ作品は、作品の難易度が簡単か難しいかにかかわらず、二つの楽器を対等に扱っています。そのベートーヴェンの目指した地平と、魂の両立が図られているのがこの演奏だと言えるでしょう。その結果、二つの楽器によるコラボレーションは、聴くうちに自然と体を揺らします。短調なのに、憂いもあるのに、どこか喜びを感じる・・・・・二人のプロならではだと思います。




聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調作品23
樫本大進(ヴァイオリン)
コンスタンチン・リフシッツ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。





このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村