かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:樫本大進とリフシッツの ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全集2

今月のお買いもの、樫本大進とリフシッツによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集をシリーズで取り上げていますが、今回はその第2回目。第2番を取り上げます。e-onkyoでの購入で、つまりはハイレゾになります。

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第2番に関しての説明は、ウィキにゆだねようと思います。

ヴァイオリンソナタ第2番 (ベートーヴェン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

ベートーヴェン初期の作品の特徴として、古典派的ではあるが、そこかしこにベートーヴェンの個性と言うか、先進性が見いだせる作品が多いのですが、この第2番もそのような作品だと言えます。

それだけに、演奏するほうはどれだけ楽しめるかが重要だと思います。実際、第3楽章の「ピアチェヴォレ」は楽しむという意味があります。なぜベートーヴェンはそのような指示を出しているのか、なんです。

ベートーヴェンと言うと、交響曲の大上段の、ともすれば過度の精神性というのが全面に押し出されることが多いのですが、実際のベートーヴェンは共和主義だからこそ楽しいことが大好きであるわけなんです。けれども彼は機能不全家族に育っていますから、楽しい!という感情を素直に表現することがリアルでは苦手であったことが、さまざまなエピソードとして残されています。だからこのように作品を通して表現するのですね。

そこを演奏者がどこまで理解し、共感して演奏するか、なんです。ベートーヴェンと言う人は、機能不全家族に育ったがゆえに、魂のレベルが高いのです。それが所謂精神性と言われるものなのです。

この第2番でいえば、どこまでも明るい曲の中に、緩徐楽章は短調であり、陰影が強調されていることで、深みが備わっています。それはベートーヴェン自身の、素直ではない部分を素直に認めているとも言えるのです。そこを共感しながら、けれども喜び楽しむ姿を想像しながら演奏できるかがカギです。

で、樫本とリフシッツの2人は、完全に作品を楽しんでいます。その喜びが自然とリズムだったり、アコーギクだったり、アインザッツだったりに出ています。それらが結果的に、作品に宿る魂を浮びあがらせます。ベートーヴェンが楽しむというのは、こんな感じなのかな〜って、二人でどこか対話しながら、意見を出し合っている・・・・・そんな感じです。

ヴァオリンが主でピアノが従ではなく、ともに対等であり、たまたまソナタなのでヴァイオリンと名がついているだけ、というベートーヴェンの大革命が、第1楽章ですでに聴かれるわけなのですが、そこがまたごく自然に、さらりとやってしまうんですよね。でもテンポ感がよくて、そのさらりとやってしまう中に生命が宿るのを見るのです。

音の伸びがいいのは、ハイレゾだからでしょうが、とは言え普通にPCで聴いているだけなので、ハイレゾが持つポテンシャルを十分引き出してはいません。そのネガティヴな条件でも、素晴らしい演奏となっていることを鑑みれば、そもそもが良い演奏であると言えるでしょう。それをハイレゾのポテンシャルを引きだした音で聴いた時に、どんな感動がわたし自身に芽生えるのか・・・・・ちょっと、まぢでPCに安物でいいのでDACをかませたくなりました。




聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品12-2
樫本大進(ヴァイオリン)
コンスタンチン・リフシッツ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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