かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:プロコフィエフ バレエ「ロメオとジュリエット」全曲

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。今回はもう有名すぎるプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の全曲です。

とは言え、この作品を全曲聴く人は少ないのではないでしょうか。オケ重視のわが国においては、組曲を聴いてそれで終わり・・・・・と言う人も少なくないのではないでしょうか。

それが正当な理由であれば、わたしはそれでもいいと思いますが、それなら是非ともこのプロコフィエフではなくて、ベルリオーズの音楽劇を聴いてほしいなって思うのですが・・・・・

と言うのも、組曲ではなく全曲を聴きますと、意外な点に驚くのです。結末が異なるってこと、なんです。

え、そんなに違うの?って思うでしょ。勿論、実は殆ど一緒で、改作もされていません。けれども、プロコフィエフのこのバレエにしても、例えばグノーのオペラにしても、実は劇的にするために原作とは最後を変えているんです。

ロメオとジュリエット (プロコフィエフ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88_(%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%95)

ロミオとジュリエット
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9F%E3%82%AA%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88

え、同じじゃんって、よく見てますか?原作は最後、両家の和解、なんです。けれどもプロコフィエフのバレエやグノーのオペラでは、その和解の場面がすっぽり抜け落ちていて、二人の死で物語が閉じられているんです。つまり、一つ前で終わっているんですね。

これは劇的効果を高めるのに十分なのですが、ただ、それは本当に原作の精神を反映しているのかな、って思います。

勿論、このプロコフィエフの作品が名作であることには異論ありませんし、タクトを振る小澤とボストン響も素晴らしい演奏です。生命力あふれる場面とどこか斜に構えている部分とが交錯するのがさすが素晴らしく表現されていると思います。

けれども、最も最後を抜かすと言うことは、原作が持つメッセージを半減させているように思うのです。

なぜ、シェイクスピアは二人の死ではなく、両家の和解を最後に持ってきたのでしょう?それは、ほぼ間違いなく、若い二人を死なせなければならないような争いは無意味ではないのかという、シェイクスピアのメッセージであり、それは汎ヨーロッパとして普遍的なものであると考えたからこそ、ではないのでしょうか。

そのメッセージをしっかり受け取ったのが、先日ご紹介したベルリオーズだったのです。

ロメオとジュリエット (ベルリオーズ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88_(%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BA)

それを知ったうえで、プロコフィエフなら組曲しか聴かない、というのであれば私は正当だと思うのです。しかし単にオケよりバレエなんて下だろとヘンに階級主義のようにとらえて聴かないのであれば、わたしはそれは違うように思うんです。

なので是非とも一度全曲を聴くことをお奨めしたいと思います。このように図書館で借りてくることも可能な時代です。あるいは、テレビなどでも放映されていますし、DVDも出ている時代です。是非とも、一度全曲を聴いてから、評価をしてほしいなって思います。

わたし自身、実はこの音源に辿りつくきっかけは、抜粋だったのですが全曲版を聴いたから、だったのです。組曲ではなくて、なのです。それが伏線になっています。そしてたどり着いてみれば、うーん、と考える事満載だったのです。

まあ、興業としてはこれで大成功だったのでしょう。グノーの先例もありますし、プロコフィエフもだからこそそのようにしたのでしょう。けれども、それは必ずしも原作通りではない、というか原作にあるはずの最期をけずって其れ以前で終わらせると言うことを、受け手の私たち聴衆がどうとらえ、考えるのかがもっとも重要な作品だと言えるでしょう。

ひどい、哀しい・・・・・で終わるのか、なぜ原作と異なる最後なのか?と考えるのでは私たちの魂のレヴェルでの成長の度合いは全く異なります。もしかすると、この「原作の最後をけずる」と言う事こそ、プロコフィエフが言いたいことが詰まっているのかも知れないのですから・・・・・

であれば余計、全曲を聴く方がいいわけなのです。小澤とボストン響が全曲を収録したと言うことは、組曲では感じ取ることができないものを全曲から受け取って欲しいという、強烈なメッセージのようにも、私には受け取れるのです。できれば勿論、バレエも見るほうがいいに決まっています。私は是非とも、バレエもみたいなと思っています。




聴いている音源
セルゲイ・プロコフィエフ作曲
バレエ音楽《ロメオとジュリエット》作品64
小澤征爾指揮
ボストン交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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