かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:大澤壽人 神風協奏曲・交響曲第3番

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は大澤壽人の協奏曲と交響曲を集録したナクソスのアルバムを御紹介します。所謂ナクソスの「日本作曲家撰集」シリーズの内の一つです。

神奈川県立図書館にはこのナクソスの日本作曲家撰集のアルバムが幾つかあるのが良いなと思います。できればシリーズで購入してあるといいのにって思いますが・・・・・

さて、大澤壽人って、誰?と言う人もいるかもしれません。戦前主にヨーロッパと関西で活躍した作曲家、指揮者でした。

大澤壽人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E5%A3%BD%E4%BA%BA

とても大雑把にいえば、音楽史のなかでの位置づけは新古典主義音楽と言うことになるかと思います。特にウィキである通り、さくらの日本古謠を使うなど、明らかにそれは19世紀〜20世紀にかけてヨーロッパで流行した民謡採集とモティーフに作曲をするという影響を受けているからです。唯一異なるのは、大澤壽人自身は民謡採集までは行わなかった点です。ですから、新古典主義音楽運動からの影響だと言えるのです。

だからこそ、留学から帰国後放送や映画などメディアの音楽や関西と言えば宝塚の音楽を担当しながら、その当時の流行であるジャズにも影響を受けて行ったのでした。とは言えかれが日本で活躍し始めた時期は、すでに新古典主義音楽は下火になりつつありましたが・・・・・

その上で、所謂「20世紀音楽」の和声の影響も存分に受けています。それは彼の評価を下げる要因にもつながっていってしまったのですが・・・・・

しかし、このアルバムに収録されている2つの作品は、その評価が全く不当であることを物語っています。その当時の日本の聴衆は、今でもフルヴェンさんが持てはやされたりするように、とても保守的で、19世紀末の音楽こそ至上という意識が今よりも高かったため、大澤の音楽を理解することができなかったのです。じつにパトリオティズムに溢れつつ、モダンで洗練された音楽を書いたか・・・・・聴けば判ります。

その上で、下記ブログは同じアルバムを評したものですが、同意する所多数です。今回エントリを立てる上でとても参考になった評論です。

佐藤景一の「もてない音楽」
不当に忘れられた日本人作曲家・大澤壽人を聴け!
■[クラシック]戦前のモダン作曲家・大澤壽人の神風協奏曲を聴け!
http://d.hatena.ne.jp/putchees/20050221

さて、1曲目の「神風協奏曲」。正式にはピアノ協奏曲第3番変イ長調「神風協奏曲」と言います。え、特攻隊?なら靖国に関連するんだなって、あのー、ネトウヨさん、そうじゃないんです。あなた方がだいっきらいな朝日新聞社が、戦前企画し成し遂げた世界的快挙の、「神風号」をモティーフに作曲されたもので、1938年の作曲です。

ピアノ協奏曲第3番 (大澤壽人)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E5%A3%BD%E4%BA%BA)

上記ブログ主さんも触れておられますが、此の神風号の記録は、当時としては素晴らしいもので、日本の航空機産業の歴史を振り返るときには外せない大事件なのです。当時欧米の航空機でも成し遂げられなかった記録を、日本の航空機が成し遂げたのですから。そりゃあ、パトリオティストであったろう大澤が影響を受けないわけはないではと思います。

九七式司令部偵察機
神風号
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B8%83%E5%BC%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8%E5%81%B5%E5%AF%9F%E6%A9%9F#%E7%A5%9E%E9%A2%A8%E5%8F%B7

なので私は、なぜネトウヨさんたちがMRJが飛ばないのを怒らないのかのほうが、不思議でたまりません。

で、この作品は古典的な3楽章形式を取りつつ、かなり自由に調性を使っているなど、さすが20世紀音楽に基いた大澤ならではだと思います。しかも素晴らしいのは、新古典主義音楽らしく、国民楽派のように国威高揚のように音楽を使うのではなく、神風号の業績とヨーロッパでの高評価を、オマージュにしてみせたと言う事なんです。だからこそとても洗練された音楽になっていますし、まったく古くさくないんです。

このような素晴らしい音楽がその後低評価になり御宮入りし、しかも戦争に負けて日本人自身で評価もできなくなってしまったのは、作曲当時のナショナリズムが理由ではないでしょうか。パトリオティストをナショナリストが抑圧する・・・・・よくあることでした。例えば、チェコにおけるドヴォルザークが好例です。

しかし、戦後片山氏が取り上げたことで復活します。その延長線上に、交響曲第3番もあります。

交響曲第3番 (大澤壽人)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E5%A3%BD%E4%BA%BA)

この作品も当時3年後に迫っていた「皇紀2600年」を見据えて作曲されたものですが、熱狂とは無縁の、ひたすらに日本らしさのオマージュに包まれています。だからこそ、わたしは大澤を「新古典主義音楽に影響を受けたパトリオティスト(決して国家主義ではない)」と評するわけなのです。

だからこそ、当時の聴衆たちは低評価だったと言えるでしょう。なぜなら、知らず知らずに国家主義に毒されていたからです。健全な愛国心パトリオティズム)ではなく、国家主義であったため、大澤の健全な愛国心に溢れた作品を理解することができませんでした。だからこそ、この二つの作品は戦後日本国憲法発布の後、片山氏によってしか評価されなかったのです。

このことはとても悲しいことですが、同時に片山氏によって再評価が行なわれたことは、とても喜ばしいことだと思います。作曲当時は「建国の交響曲」と呼ばれましたが、それが今日取れているのは私は喜ばしいことだと思います。確かに作曲の動機は皇紀2600年だったでしょうが、じっさいの音楽は建国神話とはあまり関係ない、健全なパトリオティズムに支配された音楽であるからです。

だからこそ、演奏するロシアフィルも、ピアノのサランツェヴァも、指揮するヤブロンスキーも、自分たちの祖国への愛国心と重ね合わせる形で共感し、生き生きとした演奏になっているのです。ゆえにこちらには日本人としていつの間にかジーンとくる感動が湧き上がってきます。それはそもそも大澤のこの二つの作品が、普遍的な愛国心をもったものである、確たる証拠なのです。それは現代日本に置いて、国家主義に対する確かなアンチテーゼなのです。




聴いている音源
大澤壽人作曲
ピアノ協奏曲第3番変イ長調「神風協奏曲」
交響曲第3番(世界初録音)
エカテリーナ・サランツェヴァ(ピアノ)
ドミトリ・ヤブロンスキー指揮
ロシアフィルハーモニー管弦楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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