かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ペンデレツキ ルカ受難曲

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はペンデレツキのルカ受難曲を取り上げます。

ペンデレツキの作品がこのブログに登場するのは3度目です。一度目は交響曲管弦楽曲を、そして2度目は「ポーランド・レクイエム」でした。

今月のお買いもの:ペンデレツキ 交響曲と宗教曲集1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/911

今月のお買いもの:ペンデレツキ 交響曲と宗教曲集2
http://yaplog.jp/yk6974/archive/917

神奈川県立図書館所蔵CD:ペンデレツキ ポーランド・レクイエム
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1055

エントリ自体は3度上げていますが、「今月のお買いもの」で取り上げたのはCD2枚組でしたから、事実上は3度目と言うことになります。

さて、これだけ取り上げているのには、ポーランド・レクイエムを取り上げた時にも触れていますが、映画「カティンの森」が大きく影響しています。この年は確か、私は「カティンの森」と「樺太1945年の夏 氷雪の門」の二つを見ていると思いますが、どちらも心に残った映画でしたが、音楽的により興味を引かれたのは、「カティンの森」だったのです。特に、冒頭で使われた「ポーランド・レクイエム」が印象的と言うよりも、衝撃的だったのです。

カティンの森
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE

このルカ受難曲を聴くうえで、私はペンデレツキがこの「カティンの森」の音楽担当だったということを、念頭に置く必要があるのではと思っているのです。特にこの演奏においては、です。なぜならこの演奏は、ペンデレツキの自作自演だからです。

節操のないクラシック音楽嗜好
ペンデレツキの「ルカ受難曲」
http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6f3e.html

上記ブログ主様のエントリを挙げたのは、解説として最も優れていると思ったからです。その上で私は、このルカ受難曲をとても映画的だと思っているのです。まるでドキュメンタリー風物語のようです。

受難曲と言えば、バッハのものがもっとも有名ですが、バッハはルカ受難曲も書いていますが殆ど散逸しており、再構成されているものも現代の指揮者が独自でなので、まだポピュラーと言える状況ではありません。そんななか、ペンデレツキは「聖ルカ伝」をテキストとして作曲したのです。それは先達バッハからの伝統を踏まえつつ、新しい視点を入れようと言う、ペンデレツキの意欲すら感じます。

それだけの意欲作でありながら、バッハの路線と全く異なるのは、和声的に現代的と言うよりは、上記ブログ主さまが指摘している通り、エヴァンゲリストがナレーターとしての役割に徹していると言う事なのです。つまり、歌わないんです。

まあ、バッハの受難曲でも、あまり歌っているとは言えないわけなんですが、このペンデレツキのルカ受難曲では徹底的にナレーターなのです。しかしその上で、合唱団は時として演技もしているのです。それはバッハ以上に露骨とも言えます。

それが生み出すもの、それはとても映画的と言う事なんです。バッハの受難曲ですら私は映画的だと思っていますが、このペンデレツキにおいてはさらに映画的なのです。

指揮が作曲者自身であるということもあるのだとは思います。それでも例えば、第13曲「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。」でより顕著で、会衆がイエスを侮蔑するシーンは本当に笑い蔑んでいるんです。これはバッハでも合唱にさせなかった手法で、ペンデレツキがなぜクラスターなどを使っているのかを、顕著に表わしている場面だと思います。

そもそも、12音階なども、人間の内面を音楽でどう表現するのかという作曲者たちの創意工夫から生み出されたものです。それがあまり心地よく聴こえないということは、それだけ作曲者が表現したいのが決して心地よいものではないことを意味しています。確かに現代社会は変っていない部分もありますが、人間の心理が複雑化した時代です。後期ロマン派までの和声では表現しきれない、いや、印象派や20世紀音楽ですら表現しきれないだけの、人間の精神あるいは魂が苦悩した時代を表現するために生み出されたものであることを想起する必要があるのではと思います。

この元音源は輸入盤なのですが、国内盤もはるはずなので、国内盤で買われる方は是非とも歌詞を見ながら聴くと、ペンデレツキが表現したいものと対話することができるように思います。輸入盤を買われた方は、以下のサイトで歌詞が載っていますから、是非見ながら聴いてみて下さい。私が言う事のいくぶんかは、わかって下さるかと思います。なお、上記ブログ主様のエントリからも飛ぶことができます。

Passio et mors Domini nostri Jesu Christi secundem Lucam ルカ福音書によるわれらのイエス・キリストの受難と死
http://koshiro56.la.coocan.jp/ubersetzung/Luke_passion_penderecki.html

徹底的に悲劇的でありながら、スターバトマーテルの部分では明るくもなり、さらに最後も明るめで終わるのは、ペンデレツキのある意味抵抗だと思います。作曲年代は1965年。まだポーランドに置いては社会主義政権で、「連帯」すら影も形もない時代です。そんな時に宗教作品としてバッハの伝統を踏まえる作品を書くことは反逆罪にすら問われる時代です。それでも書かずにはいられなかったペンデレツキの内面はいかばかりだったのでしょうか。私達にいろんなことを考えさせてくれます。

和声的にバリバリの現代音楽でありながら、ペンデレツキ自身のタクトから紡ぎだされるのはとてもドキュメンタリータッチです。だからこそ、いろんなことを考え、想像しながら聴くことになります。時としてわたし自身を貫き、時として多くの気づきもくれるこの作品と演奏は、オケも合唱団も素晴らしい実力であるからこそ、素晴らしいという言葉が陳腐に聴こえるくらい、突き抜けているものだと思います。




聴いている音源
クシシュトフ・ペンデレツキ作曲
ルカ受難曲(「聖ルカ伝」による主イエス・キリストの受難と死)
シグヌ・フォン・オステン(ソプラノ)
ティーヴン・ロバーツ(バリトン
クルト・リドル(バス)
エドワード・ルバシェンコ(朗読)
ワルシャワ国立フィルハーモニー合唱団
クシシュトフ・ペンデレツキ指揮
ポーランド国立放送交響楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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