かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:グリーグ 抒情小曲集2

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介していますが、今回はグリーグの抒情小曲集が収録された3巻のCDのうちの第2集を取り上げます。

グリーグのこのライフワークとも言うべき作品を、順番に館野泉氏が弾いていますが、本当に詩的だなあって思います。「北欧のショパン」とはよく言ったものだと思います。

勿論、管弦楽作品でも、グリーグの詩的な側面はよく表れており、その代表的なものがピアノ協奏曲だったりします。ある意味、グリーグと言えばピアノ協奏曲とされるのは、ピアノ協奏曲がグリーグの作品の全体的な特徴をよく表す格好の材料だからだと言えるでしょう。

でも、私は男であるせいなのか、そこからじゃあピアノ作品はどんなものがあるんだろうとは、進まなかったんですね。だからずいぶん遠回りして、この抒情小曲集に辿りつきました。本来はそんなこだわりは手放して、直ぐに抒情小曲集を聴くとか考えればよかったんですが・・・・・

第5集〜第7集までの、3作品が収録されているわけなのですが、聴いていて感じるのは、少なくとも時代が下るほとに熟練されていると言うのではなく、すでに熟練された技法によって、それぞれが詩的に表現されているってことなんです。だから館野氏も特段奇をてらわない演奏なのに、十分ロマンティシズム溢れる演奏になっているわけなんです。

まさに、「抒情小曲集」とはよく言ったものだと思います。館野氏はさほどアコーギクをつけているわけではなく、必要最低限です。でも、時として柔らかなタッチだとかで、多くを語るなんてこともしょっちゅうなんですよね。それはもともと作品がそれだけの世界を持っているから故でもあります。

館野氏は素直に感じて、演奏しているだけなんですよね。でも、実に詩的で、うっとりします。自分の中の美しいものを、どうしても顧みようとしてしまいます。ゆえに、まるで自分みた(以下自己規制)

え、そんな規制する必要はないだろうって?まあ、そうでもありますね。本当に美しい作品を受け取ることができる自分は素直に出していいとは思いますが、私としてはそれゆえに何かが決壊して、感情があふれ出るような気がしてならないんです。詩的でもあるし、絵画的なでもあるのが抒情小曲集の特徴ですが、だからこそ自分の感受性の高さが刺激され、どうにもならないようになってしまうのが怖いんです。

だから、理性的なまま、作品の美しさに浸っていたい・・・・・そう思えばこそ、そこはブログの表現としては自己規制していいかなって思います。でも多分、これがコンサートホールであれば、あふれ出るものを押さえることは出来ないでしょうけど・・・・・

これだけ詩的な世界を現出できるのに、ピアノ作品はオケに比べて壮大ではないという理由だけで、遠ざけていた自分はなんだったのだろうって思います。一つ一つがしっかりとした世界を持っているのに。あほでした、私は。

わたし自身の「悲しみ」だとか「哀しみ」を、存分に受け止めてくれる作品たちなのになあって、今では思います。




聴いている音源
エドゥアルド・グリーグ作曲
抒情小曲集第5集作品54
抒情小曲集第6集作品57
抒情小曲集第7集作品62
舘野泉(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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