神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、クープランのクラヴサン曲全集の第2集を取り上げます。
基本、クラヴサン曲集第1巻から作品が並びます。つまり、第1集の続きと言うことになります。その上で、第1集同様、前奏曲も間に入れると言う、全集ではなかなかない、バロック的な趣たっぷりの内容になっています。
勿論、誰かの交響曲全集に、序曲が入っていたりもしますから、この収録の仕方は特別ではない、といういい方もできると思います。でも、前奏曲も第1番とかあるんです。なのに、前奏曲をまとめてではなくて、クラヴサン曲集の中にさりげなく入れていくというのは、明らかにバロック的なふんいきを出すことが主眼ではないかなって思います。
この第2集では、フランス・バロックが舞踊にそのルーツを持ちつつも、それに囚われず、しかしどこかで踊ってもいるような演奏が目立ちます。演奏者ブーレイが本当に本能の赴くまま、時としてはハイスピードになりながら、天衣無縫に駆け巡る演奏は、上品かつ爽快です。
基本、このクラヴサン曲集は組曲なのですが、いろんな色彩があるので、表現力の豊かさが求められるものです。バロックだからといって内面性がないからんなもの要らないのではと思いがちですが、むしろ標題があったりなかったりするので、演奏者は縦横無尽に駆け巡る必要があるがゆえに、技術だけではなくその技術をどう表現に活かすかという、プロとしては非常に基本的な点がしっかり問われることになります。
それが、完璧なんですよ、これ。そのスピードだと、ピアノじゃね?って思うところですが、それでもハイスピードで突っ込んでいったり、一転荘重なテンポで、荘厳な音楽になったりと、クラヴサン曲集と前奏曲のコントラストが見事です。
元々、私がクープランへと至ったのには、瀬川氏のサロンでドビュッシーの作品としっかり向き合ったことがきっかけです。ドビュッシーの作品を図書館で借りて来まして、解説を読んだ時に衝撃を受けたのが、ドビュッシーはフランス・バロックであるクープランを尊敬して、作品を書いているという点だったのです。
このことが、私の印象派のイメージをガラリと変えるきっかけになりました。多分、演奏者である瀬川氏が、それを伝えたかったのかもしれません。あまりにも日本の聴衆は主観で聴きすぎるから、です。主観が悪いのではなく、それに囚われてしまっているんですね。私も借りてきて気づいた点です。
だからこそ、ドビュッシーの作品の原点の一つである、フランス・バロック、クープランが聴きたいと思い、そしてようやく、ドビュッシーが尊敬してやまない、クープランのクラヴサンの作品まで至った、と言うことになります。
西洋音楽、特にクラシックの歴史に置いて、ロマン派以降はドイツ音楽が優勢でした。しかし、イタリアにも、フランスにも、作曲家はいたからこそ、イタリアにはヴェルディや多くのオペラ作曲家が居ましたし、フランスにもサン=サーンスを初めとする作曲家がいたわけです。私たちが知らないだけなんですね。知らないから存在していないのではなく、私達が知らないから存在していないと勘違いしているだけ、なんです。
その一人が、クープランだと言えるでしょう。ドビュッシーの「愛国心」からでもあるクープランへのリスペクトは、この第2集を聴いてもなるほどなーって思います。様式的には決してドイツ・バロックに劣らない作品たちが、綺羅星のごとく輝いているのです。それを輝かしく、かつ生命力を吹き込んで演奏するブーレイ。聴いていて、楽しさしか湧き上りません。
仕事で少し辛いことがあっても、このクープランを聴きますと、不思議と軽くなります。精神世界を描いているわけではないのに、不思議です。
聴いている音源
フランシス・クープラン・ル・グランド作曲
クラヴサン曲集第1巻第2組曲(続き)
前奏曲第4番
クラヴサン曲集第1巻第4組曲
前奏曲第1番
クラヴサン曲集第1巻第3組曲
ローランス・ブーレイ(クラヴサン)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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