かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ぺライアのモーツァルトピアノ協奏曲第20番と第24番

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はぺライアのピアノによる、モーツァルトピアノ協奏曲第20番、第24番を取り上げます。

この二つに関しては、モダン演奏のブレンデルで2種類、ピリオド演奏では1種類持ってはあるんですが、元々私は、ぺライアの演奏で全曲行きたいなって思っていたわけだったんです。

そこで、ふと図書館の棚を見てみたら、あるんですよ、後期作品集として、ぺライアのものが。なら、どんな演奏であろうかなって思って、借りてみたと言うわけなのです。

全体的にはそつない演奏で、カデンツァも独創的。素晴らしい演奏なんですけれども、3種類あるうちで、どれをベストとして挙げますかと訊かれれば、迷うことなく、ブレンデルのピアノ、マッケラス指揮スコットランド室内管のものを挙げます。

全体として、生命力が不足なんですよね。これ、モーツァルトの初期の作品であればよかったと思うんです。実際、ブレンデルと比べても甲乙つけがたい演奏です。ところが後期となると一変します。ブレンデルのテンポを意識した演奏は、聴く者をモーツァルトの世界へと連れて行ってくれます。

この演奏は、ぺライアが指揮もしていますから、基本ぺライアがモーツァルトの第20番と第24番をどのように解釈しているかが全面にでる演奏なのですね。バロック的と言うか、モーツァルトの時代的な編成は高評価ですし、そのせいでさがると言うことはありません。あくまでも、ぺライアの解釈が、自分の美意識と合うのか合わないのかという点だけです。

その点で、このぺライアの演奏は、一つの事実をあぶりだしています。それは、ぺライアのこの解釈は、モーツァルトがギャラント様式の作曲家とも言える時代を生きた人であるから、そのように演奏してみたら、じつは二つの作品とも、ギャラントという様式を超える、つまり、作品に先進性を持たせたものである、ということが分かると言う事なのです。

そう、モーツァルトは後期、と言うよりも晩年と言うほうがいいでしょう、ベートーヴェンへと繋がるような成熟さを持つ作品を書くようになっていた、と言う事なのです。この演奏を聴きますと、ますますモーツァルトの早すぎる逝去というのが惜しまれます。

ぺライアの上品な演奏には、イギリス室内管が本当にあっていると思います。バランスもいいですし、アンサンブルの素晴らしさという点では申し分ないです。でもどこか、後期の作品にどこか匂う、モーツァルトの影の部分が薄いなって思うんです。その点が非常に残念だと言えるでしょう。




聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491
マレイ・ぺライア指揮、ピアノ
イギリス室内管弦楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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