かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:明日ハ晴レカナ、曇リカナ 武満徹 混声合唱のための「うた」

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は武満徹混声合唱のための「うた」をご紹介します。元音源はフィリップスだったと思います。

この音源は有名ですよね〜、と言っても、合唱界で、ですが。残念ながら、クラシックファンの間ではそれほどでもありません。武満と言えばオケ作品や、室内楽、或は映画音楽が断トツで有名ですが、多作家だった武満は、それだけではありません。器楽曲だってしっかり書いていますし、このように合唱作品も書いています。

そして、このアルバム、というよりも、この曲集は合唱団のレパートリーとして広く愛されています。特に、「うたうだけ」、「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」、「死んだ男の残したものは」の3曲は、プロ、アマ問わず演奏会ピースとして歌われています。この3曲はかつてかわさき合唱まつりやコーラルフェストかわさきでは定番曲と言っていいほど、演奏頻度が高い作品です。

うた (武満徹)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%9F_(%E6%AD%A6%E6%BA%80%E5%BE%B9)

武満は「ノヴェンバー・ステップス」で20世紀音楽的に考えられることが多いのですが、まあ、確かに20世紀音楽の影響は受けています。しかし実際はとても旋律的な作品も多く、かつ西洋音楽の伝統に即していることも多いのです。どこかそうではないと勘違いされている傾向もあるんですが・・・・・

以前、以下のエントリを上げた時にも、私は言及していますが、武満は20世紀音楽の影響を多大に受けていますが、旋律は決して排除しないのが作風なのです。

今月のお買いもの:武満徹 レクイエム
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1060

「うた」のウィキの説明でもありますが、この「うた」の最大の特徴は、アカペラである、ということなのです。伴奏はありません。混声四部のアカペラです。それは明らかに、西洋音楽の伝統に即していますし、これらの作品が武満にとって、「宗教音楽」のような存在であったと言えるでしょう。

そもそも、アカペラとは、「教会風」です。グレゴリオ聖歌無伴奏であることから、無伴奏の合唱を「アカペラ」と言うようになりました。ですから、西洋音楽においてアカペラで作曲するということは、特別な意味を持たせる場合が多いわけです。

歌詞を見ますと、楽しいものもあれば悲しいものもあり、その中にはメッセージ性が強いものもあります。あえて、無伴奏で作ると決めたのかもしれません。にしても、それは委嘱した合唱団への信頼の証しでもあります。

委嘱したのは、東京混声合唱団と、晋友会。東混はプロですから、こういった作品は当たり前かもしれませんが、もう一つの晋友会はアマチュアです。勿論、ここに収録されている作品はもともとから合唱作品だったわけではなく、後に編曲されたものですが、それでもアカペラで編曲するとなれば、それなりに委嘱した先に信頼がないと難しいです。

晋友会は、プロに相当するだけの実力を持っているアマチュア合唱団です。このブログでも、第九を取り上げています。オケは新日本フィル。それだけの実力があるからこそだと言えるでしょう。

そんな合唱団が、アカペラで歌う訳なんです・・・・・実は、この音源はその晋友会の演奏。もっとも委嘱したはずの東混ではないんです。アマチュア合唱団である晋友会なのです。勿論、指揮は関谷晋。ただ、曲順は必ずしも楽譜通りではないですし、また使っている楽譜も、じつはショット版だけではなく、全音版もという、実にユニークなアルバムです。7曲目の「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」までがショット、その次から最後までは全音版です。

武満と言えば、小沢征爾とも交流があり、その小沢征爾は晋友会に信頼を置いている・・・・・そんな関係性から生み出されたアルバムである、と言えるでしょう。そうでなければ、本来すべてをショット版にて演奏する所を、あえて幾つかを全音版を選択はしないでしょう。関谷晋という指揮者の力量があってこそ、でしょう。

でも、このような混載は、アマチュア合唱団故です。プロであれば、こんなことはありません。ライブラリアンがそんなことはしないからです。しかし、アマチュア合唱団にはあまりライブラリアンはいません。かろうじて私がそうでしたが、貧乏合唱団だったのでコピーを取るのが精一杯・・・・・

それでも、音楽監督には、「楽譜は何版でやるんですか」とかは言っていました。そうじゃないと、解釈が違ったりするからです(とはいえ、音楽監督であった守谷弘は、全くそんなことお構いなしに作曲者らしく校訂を入れたりしたのでしたが)。ですから、ライブラリアンがいれば、このように二つの版を使うと言うことはありません。

しかし、恐らく晋友会に参加している合唱団には、ライブラリアンはいないんだろうなあと推測します。とはいえ、それがアマチュア合唱団では普通なんです。いなくて当然なんです。指揮者がそれを補ってしまうし、関谷晋クラスであれば、「ここはこう歌いますから、書き込んでおいてください」で終わるんです。ある意味、守谷弘と一緒だと言えます(まあ、関谷氏は作曲しませんが)。ですから、違ってもそれほど問題ではありません。楽譜通りにえんそうする場合だけ、問題が出ると言えるでしょう。

それでも、恐らくこの録音の現場では、どの団員も関谷氏の指導を受けていますから、どこが違って、それをどう修正すれば一緒になるかが分かっていたはずです。ですから、いきなりさあ本番!となってもまったく問題なかったことでしょう。じつに素晴らしいアンサンブルが聴けますし、ppとffもしっかり差があって、それが表現力となって、人間らしさと哀愁と、生命力にあふれる演奏となって表れています。それは歌詞の力と相まって、じんわりとした感動が体に湧き上ってきます。

クラシックが好きな人で、普段合唱作品を、特に日本の合唱曲を聴いていない人がこのアルバムを聴いたら、びっくりするでしょう。これがアマチュア?プロの間違いでしょ?と。いいえ違います、アマチュアなんです。そしてそれが、日本の底力なんです。

是非とも多くの人に聴いてほしいものです。特に、一番最初の「さくら」は、元々の唱歌と趣が異なるのを、しっかりと表現されているのも、聴きどころです。




聴いている音源
武満徹作曲
混声合唱のための「うた」
�@さくら(日本古謡/武満徹編曲)
�A小さな空(武満徹作詞)
�Bうたうだけ(谷川俊太郎 詞)
�C小さな部屋で(川路明 詞)
�D恋のかくれんぼ(谷川俊太郎 詞)
�E見えないこども(谷川俊太郎 詞)
�F明日ハ晴レカナ、曇リカナ(武満徹作詞)
�G島へ(井沢満 詞)
�H死んだ男の残したものは(谷川俊太郎 詞)
�I○と△のうた(武満徹作詞)
�Jさようなら(秋山邦晴 詞)
�K翼(武満徹作詞)
関谷晋指揮
晋友会合唱団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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