かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ブラームス全集より 合唱2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ブラームス全集からの合唱をシリーズで取り上げていますが、今回はその第2集です。

あまりクラシックを聴く人たちにはなじみがない作品ばかりが並んでいますが、アマチュア合唱団からすれば垂涎ものが並んでいます。

そもそも、この第2集を聴きますと、ブラームスの作品が日本の合唱界にいかに影響を与えているかがよく分かります。女声合唱に男声合唱、そして混声。ピアノ伴奏にアカペラと、まさに日本のアマチュア合唱団の様相そのものと言っていもいいくらいです。

それはむしろ当然で、これらの作品をブラームスは必ずしもプロのために書いていません。アマチュアのために書いているんです。ですから日本のアマチュア合唱団がブラームスのこれらの作品を演奏するのはとても自然なことです。その上で、日本の作曲家も書いており、その分管弦楽とは違った様相になっているのは当然だと言えましょう。

けれどもその点で日本では合唱曲を低く見る傾向が強かったのでした。本来ヨーロッパではこのような合唱曲がアマチュアでどんどん演奏されていることが裾野を広げているわけなのです。楽器は人の声を超えんがため技術的に発展してきたという史実が、魂のレベルで共有されているからです。ところが、日本はそうではありません。一からそれを教えて行かないと、難しい部分があります。

本来は、日本の歴史を紐解けば、楽器も人声も対等でフラットです。しかしクラシック音楽が上からの導入だったため、日本では楽器が上で人声が下という、変なヒエラルヒーができてしまったのでした。しかし、そろそろそれは変えねばならないと思います。

ブラームスのこれらの作品は、そもそも教会音楽だった合唱を市民へと開放するという、ルネサンス以来の伝統に基づくものなのです。特にブラームスのこれらの作品は清楚かつ泥臭い部分があり、教会の聖なるものとは一見無縁なのですが、その清楚さという部分に置いて、教会音楽を市民へとという意識に満ちあふれてもいます。

また、特にこの第2集に収録されている作品たちは、メンデルスゾーンからバトンを引き継いでいる点もあります。ロマン派において作曲された合唱曲はいずれも生命力に満ちあふれ、人間の「生」を自然体で歌い上げているものばかりです。

ですから、演奏する側もその「生」の部分を如何に楽しめるかがカギになります。演奏するハンブルク北ドイツ放送合唱団は、特に肩ひじ張らないのに自然と「生きているって楽しい!」という生のよろこびに満ちているんです。こういう演奏が基礎にあって、例えばムジカ・エテルナなどは作られるってわけです。難しい哲学論理がある一方で、自然と生への喜びを追求する姿勢が息づくのがヨーロッパだなあって思いますし、ブラームスが追及していったものだと思います。

日本はやっと、今クラシック音楽が広く親しまれる土壌が整ったところだろうと思います。アマチュア合唱団は今こそ、高らかにこれらの作品を歌い上げてもいいと思います。




聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
3つの宗教的合唱曲 作品37(女性合唱のための)
5つの歌曲 作品41(4声の男声合唱のための)
3つの歌 作品42(6声の合唱のための)
12の歌曲とロマンス 作品44(女性合唱とピアノのための)
7つの歌曲 作品52(混声合唱のための)
エディット・マティス(ソプラノ、作品37の3.)
アン・マレー(アルト、作品37の3.)
ルノート・カール(ピアノ、作品42の2.)
ギュンター・イェーナ指揮
ハンブルク北ドイツ放送合唱団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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