東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回は、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラの「復活」です。
これを借りてきたのは、実はオケがサイトウ・キネンであるからでも、指揮が小澤征爾だからでもありません。合唱団が晋友会だったから、です。
晋友会。関屋晋が指導する合唱団が一つになってパフォーマンスするときの団体名で、実際にはいくつかの合唱団が参加しています。日本を代表するアマチュア合唱団の団体の一つです。前回取り上げた栗友会もそんな団体の一つです。
小澤のタクト、そしてサイトウ・キネンの演奏はライヴであるせいなのか、冴えています。生命力あふれる演奏は、最終的に人は復活する、というテクストをしっかり認識し、人間としての情熱を存分に歌い上げている演奏になっています。
それを受けての、晋友会。全体的にはいいんですが、ところどころどこかきれいすぎる感じがあるんですよねえ。うーん、もっと表現できるはずなんだけど、この団体・・・・・
アマチュア合唱団の集まりだとしても、表現力はプロ並みなのが栗友会だとか晋友会の素晴らしいところなんですが、どこか突き抜け切れていない。なんか小澤のタクトで歌えることで満足しているような感じなんです。ふとクレジットを確認したら、正月早々なんですよね、この演奏・・・・・
録音は2000年の1月早々。ありゃ~、そんな時期にアマチュアに動員かけたのか~、と思います。これは公演をしたほうに責任がありますね。真にそれで飯食ってるプロならともかく、それぞれ仕事を別に持ち、正月は家で家族そろっておせちという風景がまだまだ多いこの国で、それをやったらパフォーマンス下がるよなあって思います。
だって、あくまでもアマチュアですから有志です。正月のまだ松も明けない時期に、本番があるからと言っていくら何でも晋友会でどれだけ集まるか、だよなあって思います。もちろん前もってかけるわけですから時間はあります。問題は時間ではなくて、時期なんです。どんなに時間をかけたとしても、さすがの晋友会だとしても、参加してくれる人は少ないってことなんです。
正月のおとそ気分が抜けない時期に歌うんですよ。合唱団って、意外にも抜けるその理由の一つが、家族との軋轢なんです。私もその一人です。さすがに正月にって言うのは私はありませんでしたが、それでも軋轢があったんです。それもお彼岸とかで、です。正月なら当然家族は大反対です。なんで家族で集まる正月に歌わなければならないの?と。
そんな時期に合唱団員を借り出すんですよ?これはおそらくサイトウ・キネンや小澤の責任です、はっきり言って。オケはいいかもしれないが、合唱団はその犠牲の上で歌っているという演奏になってしまっています。そのためか、オケのパフォーマンスはいいけれど、合唱団はどこか覇気がない演奏になっているのが本当に残念です。
改修後各段に響きがよくなった東京文化会館のその響きも申し分ないんですが、どうしても合唱団の覇気のなさでだいぶ減点になってしまうのは否めません。もっとアマチュアを大事にしてくれよな~って思います。機械じゃないんですから・・・・・あ、これ、つい最近私職場で言った言葉なんですけどね。もらいますって言うのでどうぞ、と。まさにそれが適切な言葉だなあって思います。
それなら、東京フィルのCDのように、二期会使ってくれよって思います、本当に。彼らプロですから、正月でもきっちり仕事します、正当な対価さえあれば。そのあたりをもう少し興行主の人は考えてほしいです。え、それでは予算がって?それくらい聴衆が出さないとこの国の文化は滅びます。ならもっと別な時期に完全アマチュアでやればいいんです。そのほうがどれだけ予算を使わなくて済むかです。
これ、先日アンサンブル・ジュピターを聴きに行ったときに合唱団時代の友人と共有したんですが、東京や横浜、川崎にいくらでも上手なアマオケがあるんですから、そのアマオケを紹介するシリーズを、各ホールは主催してみてはいかがでしょうか。聴衆はおそらく、プロオケだけしか聴いてこなかったことを恥じることと思います。
聴いている音源
グスタフ・マーラー作曲
交響曲第2番ハ短調「復活」
菅英三子(ソプラノ)
ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
晋友会合唱団(合唱指揮:関屋晋)
小澤征爾指揮
サイトウ・キネン・オーケストラ
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