かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:マスネ 管弦楽作品集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、マスネの管弦楽作品を収録したアルバムをご紹介していますが、今回はその第2集を取り上げます。

第2集はコンサートでも結構取り上げられる率が高い管弦楽組曲の第4番と第7番を中心に収録されています。特に第7番はマスネという人がどんな人だったのかを端的に表す作品だと私は思っています。

第7番は「アルザスの風景」。作曲は1883年。つまり、普仏戦争の後、なんですね。その戦争の後に、従軍していた時の記憶によって書いたのがこの第7番なのです。

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アルザスと言えば、私と多分同年代くらいの人は、国語の教科書に載っていた話を思い出すのではないでしょうか。そう、「最後の授業」です。

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多分に愛国的物語で、掲載当時私も母国語が話せないなんて!と思ったものですが、実はアルザス・ロレーヌ地方はそんな単純なものではなく、むしろその苦難の歴史ゆえに、人類が目指すべき方向性を示唆している地域なんだと気が付いたのです。それを見越して、EUは中心都市ストラスブールEUの多くの機関を置いてもいます。

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そんなこともあり、ウィキにも出ていますが、以下のような反論が出たのは、当然だと思います。

blog.goo.ne.jp

一方で、日本の音楽鑑賞の教育では、マスネは徹底的に排除され、名前だけしか教えないという存在に成り下がっています。つまり、いまだに日本は「最後の授業」の呪縛にはまっているといえるでしょう。実際、ウィキの第7番の説明を読めば、マスネが愛国的精神を持っていた人だといえ、アルザスの「独自性」を否定してはいないということが、その楽章からしてわかろうものなんです。

だからこそ、戦後マスネは逆にフランスの国家主義者たちから誹謗中傷を受けたのだと言えるでしょう。そんな作品を戦後民主主義の時代でも掲載し続けた日本という国家は、一体どんな国だったのか・・・・・恥じるべきだと思います、私たちは。

むしろ、右寄りの人たちが言う「国家の誇り」は、まず音楽鑑賞教育にマスネの作品を積極的に取り入れるくらいのことをやってから言ってくれと思います。

続いて収録されている第4番「絵のような風景」は面白い作品です。第3楽章「夕べの鐘」で鐘を表現しているのは、なんと弦楽器と管楽器なんです。打楽器ではないんです。マスネの独創性と当意即妙な自在性をここに見ます。とらわれのないその内面性は、実に楽しい!ベートーヴェンのように転調が目まぐるしくなくても、十分その内面表現芸術としてのクラシック音楽が成立するさくひんだということを如実に表しています。こういう「目からうろこ」な作品、大好きです。

最後の「ドン・キホーテ」からの2曲も、優れた作品。美しいだけではなく、その内面性もしっかりとある作品で、マスネをもっと登場させれば我が国でのクラシック音楽の人気はもっと高まるのになあと、本当に残念でなりません。

演奏するガーディナーモンテ・カルロ国立歌劇場管は饒舌で、かといって過度に感傷に浸るわけでもなく、実に誠実に自分たちの「歌」を歌うことで作品の魅力を伝えていると思います。マスネという人に対する共感が、モンテ・カルロという国のオケに息づいているのは、日本人の私としてはうらやましい限りです。モナコ「王国」なんですよね、あそこは・・・・・なのに、共和主義者であるマスネの作品と人となりに共感できるその人間性が、本当にうらやましいです。

 


聴いている音源
ジュール・マスネ作曲
アルザスの風景~オーケストラ組曲第7番~
絵のような風景~オーケストラ組曲第4番~
ドン・キホーテ》から2つの間奏曲
 ドン・キホーテのセレナード
 ドゥルネシアの悲しみ
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。