かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ラ・ストラヴァガンツァ・ケルンによるバッハの管弦楽組曲①

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ラ・ストラヴァガンツァ・ケルンによるバッハの管弦楽組曲のアルバムを2回に分けてご紹介します。

バッハの管弦楽組曲は、すでにモダンの演奏を神奈川県立図書館で借りてリッピングしてありますが、今回は古楽の演奏。しかも、新バッハ全集に基づき、第5番は割愛されています。

ja.wikipedia.org

実際、この演奏、リッピングしたデータには、第1番と第2番にはOuvertureと表記されています。確かに、バッハの時代の慣習に従えばそれで正しいと思います。ですが・・・・・

組曲というものの定義は、時代により変わります。ロマン派以降の定義であれば、この作品は明らかに組曲です。そういった時代による定義の違いが、この作品には付きまとっていると言えるでしょう。

とはいえ、私たちはバッハが紡いだ作品を、ただ受け取ればいい、そう思います。バッハもこの作品を当時の慣習で「序曲」としましたが、むしろ序曲を中心とした管弦楽作品を集めたもの、という感覚があったのではないかと思うのです。

基本的には、この作品は舞曲集なので、組曲と同じと言えます。ですが組曲の定義からは外れる。こんな組み合わせもあるんじゃないの?というバッハの意志を感じるんです。ただそれを楽しめばいいんだよ、みたいに言われている気がします。

この演奏も、奇をてらうことなく、作品を楽しんでいる様子が見えるのが聴いていて爽快です。肩に力が入っておらず、それが生命力ある演奏になっているのが素晴らしく、聴いていて疲れもしません。それでいて、魂が喜びも感じている精神性。幸せとしか言えません。

ラ・ストラヴァガンツァ・ケルンはかなり実力のある団体の様で・・・・・

columbia.jp

それは聴けば確かだと思います。しかしそこを私は強調したいのではなくて、実力があるがゆえに、さらりと演奏しているのにもかかわらず、魂が喜んでいるという点なんです。これぞプロだよね~って思います。バッハが生きた時代はマウンダー極小期後の、ようやく明るさが見えた時代。隠された苦しみが現れた音楽につい、自分の魂が共鳴しているのだろうなと思います。その触媒としてのこの演奏があるんだと思いますし、それは演奏者たちもまた、魂で喜んで演奏しているからこそだと思います。

 


聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
管弦楽組曲第1番ハ長調BWV1066
カンタータ第29番「神よ、我ら汝らに感謝す」BWV29よりシンフォニア
管弦楽組曲第2番ロ短調BWV1067
有田正広フラウト・トラヴェルソ
クリストフ・レーマン(オルガン)
アンドルー・マンゼ指揮
ラ・ストラヴァガンツァ・ケルン

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。