今回のマイ・コレは、ラトルが指揮した第九です。前回取り上げました小澤/サイトウ・キネンと一緒に購入しています。
小澤とともにこのCDを選んだ理由は、ラトルが第九を振っているから、ではありません。恐らく記憶が確かであれば、すでにラトルは其れ以前にバーミンガム市交響楽団で第九を収録していたはずです。ですから、このCDを購入したのはラトルだからではありません。
このCDを購入した2002年当時、ラトルはベルリン・フィルの音楽監督に就任しようとしていました。では、このCDのオケはベルリン・フィルなのかと言えば、実はウィーン・フィルなのです。だから購入したのです。ベルリン・フィルの音楽監督に就任するラトルが、ウィーン・フィルではどんな音楽を、そしてこの場合は第九を奏でるのだろう、と。
サイモン・ラトル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%AB
全体的には、奇をてらうような部分はさほど見受けられません。ただ、多少テンポがいきなりアップする部分があり、そこでオケが戸惑っているのがききとれます。ウィーン・フィルなので崩壊することはありませんが・・・・・
特に第1楽章と第4楽章でその傾向が顕著で、第1楽章では若干それがマイナスへ、第4楽章では若干プラスに働いていると考えていいと思います。
第2楽章と第3楽章はさほど珍しいことがあるわけでもありません。さすがウィーン・フィルという演奏を聴かせてくれます。
しかし、第4楽章は聴きどころ満載です。特に、常に私が取り上げます、vor Gott!の部分ですが、ここでラトルは変態演奏をしています。常に言うことですが、ふつうはvorを一拍としてGott!を六拍伸ばすわけですが、ラトルはそれを五拍しか伸ばしていません。一拍は残響なんです。
これはブックレットの評論家ですら触れていない変態面です。しかし、それが全く不自然ではなく、むしろ緊張感を与えています(だから、触れていない、いや、気が付かないほど自然であると言えましょう)。その上で音楽が自然に流れます。
実は、第九の第4楽章は幾つかの部分に分かれますが、そこで休みになるよう演奏する指揮者が多い中、ラトルはこの残響以外はすべてアタッカで突き進みます。だからこそ、この一拍の残響はとても印象に残ります。「天使ケルビムは神の御前に立つ!」という言葉が全体の中で浮き上がってきます。
それを受けて、練習番号Mでは長音を美しく合唱団に歌わせているのも印象的です。その上で、アクセントをつける部分では短くまるで音を切るだとか、あるいは最後楽譜にないppとffをつけたりなど、変態演奏度は他の3楽章など吹っ飛んでしまいそうなくらいです。
では、ラトルは楽譜無視なのでしょうか?私は必ずしもそうは思いません。第4楽章最後の部分でのppとffはやりすぎだと思いますが、基本的に楽譜無視というわけではないと思います。音楽の実務家としての結果でしかないと思っています。
そもそも、第九は楽譜が不完全です。ですから究極的にはどんな解釈でもいいわけです。かといってあまり奇をてらうことは聴き手に嫌な印象しか与えませんが、しかしラトルはさほど奇をてらってはいません。合唱部分だけです。オケの部分ではほとんどと言っていいほど楽譜通りに弾かせています。
こんな演奏をよくウィーン・フィルが許したなという意見もあるかと思いますが、いえいえ、合唱団はかつてラトルが関わっていたバーミンガム市交響合唱団です。楽友協会合唱団ではありません。だからこそ合唱団にはある種の無茶ぶりが出来るわけで、ウィーン・フィルにはさほど変わったことを要求しているわけではありません。それでも、素晴らしい演奏がここに現出しています。
このラトルのアジャスト能力は、今後もっと評価されるべきだと私は思っています。
聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
ビルギット・レンメルト(アルト)
カート・ストレイト(テノール)
トーマス・ハンプソン(バリトン)
バーミンガム市交響楽団合唱団
サー・サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(EMI TOCE 55505)
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