かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:近衛樂友会オーケストラ 第九特別演奏会を聴いて

今日はコンサート雑感をお届けします。今回は平成29年2月11日に聴きに行きました、近衛樂友会オーケストラの第九特別演奏会をご紹介します。

このコンサートを知ったのは、昨年末、MAXフィルハーモニーさんの演奏を聴きに行って、チラシが入っていたからです。様々な予定が入っている日だったのですが、万障繰り合わせて行くことにしました。

今回は、元合唱団の友人も誘いまして、二人で行ってきましたが、結論を先に言いますと、本当に素晴らしい演奏でした!

まず、近衛樂友会オーケストラの説明に参りましょう。指揮者近衛秀磨は有名ですが、その息子である近衛秀健氏の最後の弟子である、中濱圭氏の下に集まったアマチュアオーケストラです。そのせいか、近衛秀磨が設立した近衛音楽研究所が協賛しています。

http://www.konoyeorche.net/about.html

近衛秀麿
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E7%A7%80%E9%BA%BF

近衛秀健
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E7%A7%80%E5%81%A5

それだけで行くほど、私も暇ではありません。メインの第九が、近衛版だから、なのです。

え、近衛版って?って言う方もいらっしゃるかと思います。第九はその成立過程において、ベートーヴェンが悪筆だったがために、わかりにくい点や、楽器が未発達だったことなどがあり、時代時代に校訂されてきました。有名なのはワインガルトナーとワーグナーですが、実は近衛秀磨もやっています。それを近衛版と言います。

実は、近衛版はこのブログでも取り上げているんです。

今月のお買いもの:近衛秀磨が振る「第九」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1493

そのため、是非ともこの演奏会に足を運びたかったのです。リアルで聴く近衛版は、一体どのように響くのだろうか、と。

勿論、どんな盤であっても指揮者の解釈に左右されますが、指揮者中濱氏は実に端正で生き生きとした、作品の生命力を引き出す指揮をする方です。当日のプログラムは以下の通りだったのですが、

�@近衛秀健 平成の春
�A近衛秀健 平成の庭
�Bルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲 交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」

このうち、前半の2曲、平成の春と平成の庭は、いずれも皇室にかかわる作品です。平成の春は、平成5(1993)年に、皇太子様と雅子様のご成婚を記念して、そのご成婚の儀のパレード用に作曲されたマーチ集「平成の四季」の1曲で、ご成婚の義当日、東宮警察音楽隊によって初演されました。明るい春の、生命が躍動と喜びがぞんぶんに表現されている作品です。

一方、平成の庭は逆に、平成14(2002)年に逝去されました、高円宮徳仁親王殿下を想い作曲された作品で、寂しさが全体を覆う作品ですが、スポーツがお好きだったと言うエピソードが入っていることから、生命力も含有されています。

この2曲を、実に生き生きとオケを鳴らして表現しているのです。ただ、全体的には第九よりはこの2曲のほうが演奏レヴェルが高かったかな、と思います。平成の春には後半君が代が引用されていますが、よく響く東京芸術劇場では、じつはあまり目立たなかったのです。近衛氏の作品に親しみを持っているわけですから、何か政治的な思惑とかではないと思います。オケに力が入っていたのではないかと思います。オケが弾きすぎて、ホールを響かせすぎさせてしまっているんですね。

これは、いつものホールがメルパルクなど、響かないホールで演奏している故だろうなあと思います。サントリーホールなどが開館した当時、日本のプロオケによく見られたものです。ですから、慣れれば全く問題ないでしょう。今度は同じ作品を、いいホールに慣れた時に聴けると嬉しいなあと思います。

で、第九です。第九ではさらに力が入ってしまいがちですが、それでも第3楽章まではアインザッツもバサッと切るような感じで、とても洗練された演奏が響いていたのですが、第4楽章に入って変わります。オケにどんどん力が入っていくんですね。

編成は両翼配置で、18世紀的ですが、作品の解釈は基本近衛版ですから、特に管楽器に人数が増やされていることもあり、重厚で、それはしっかりと表現されていたと思います。問題は、弾き方と、魂です。

と言っても何も非難するわけではないんですが、再度私の上記エントリで聴きましたCDのブックレットを引っ張り出してみますと、宇野功芳氏が実に的確な批評をされているんですね。つまり、一生懸命弾いてしまうと響き過ぎてしまう、軽めでいい、と。私も同じ印象です。もっと軽めに弾いても充分伝わるように、秀磨氏は校訂していると思います。その証拠に、上記エントリの演奏をもう一度聴きなおしてみますと、読売日響は実に軽めに弾いているんです。それでも十分、重厚です。

それ以外は、もう一度上記エントリの読売日響との演奏を聴きなおしてみますと、中濱氏が殆ど近衛氏の解釈を変えていないことに驚かされます。ライヴでは第4楽章の私が常に問題にする部分はGott!をバサッと切っていて驚いたのですが(ということで変態演奏認定です)、それは実は近衛氏自身も同じなのです。若干近衛氏のほうが、多分1拍長いとは思いますが、そのように楽譜に記載があるということを示しています。これは延原氏の解釈も含め、興味深い点だと思います。確かに、今回のように東京芸術劇場という、素晴らしいホールで演奏する場合は、アリだと思います。

唯一変えているのは一番最後の、アレグロ・アッサイの部分で、19世紀的なテンポでいったかと思えば、最後合唱団にはしっかりとfunken!と歌わせるのは面白かったです。この点に中濱氏の独自性を見ました。その意味では見事に、近衛氏校訂らしいと言えるでしょう。

特に第4楽章においては、音がまるで自分に迫ってくるような感覚がありますが、それでいて、音はしっかりと上へ昇り、降りてくるときに私たちを包み込みます。まさに、第九の精神である「仲間」「連帯」「霊的目覚め」という部分が明確であり、感動すると言うより、何か嬉しいような、喜びに包まれている感覚がありました。それは合唱指揮者も素晴らしいのでしょうが・・・・・

その意味で、オケは残念な部分がさらに「魂」の部分にあるんですね。それは私が常々指摘する、「情熱と冷静の間」が、第4楽章、アラ・マルシアの部分で取れなくなって、崩壊寸前になったことです。それまで、音はやせ気味であったとしても、アンサンブルやアインザッツが抱懐することはなかったのですが、唯一、そうではなく、一部のパートが走ってしまい、あっていない部分がありました。でもそれは、合唱団の素晴らしさに押されて、なんですよね。そこで感動してしまったんですね。そうすると人間というのは感情の動物ですから、どうしても熱くなってしまうんですよねえ。でも、それはそれで、アマチュアらしい演奏会だったと思います。

そんなマイナス面も含めて、全体でいえば本当にふくよかで素晴らしい演奏でした!特に合唱団は、私はアマチュア合唱団で安定したアンサンブルを聴かせてもらったのは初めてだったと思います。トラも勿論入っていはいるんでしょうが、トラ以外もしっかりしていないと、合唱団の歌声が美しくは聴こえて来ません。今回はそれが本当に素晴らしかった!友人と二人で、こんな幸せな演奏を聴いたのは初めてだと言い合いました。

次回の、定期演奏会は日程的に行けるとは思えませんが、それでも何かの機会に、休みの日と重なることがあれば、是非とも足を運び続けたいオケと合唱団です。定期的に第九を取り上げていただけますと、ありがたく存じます。例えば、2年おきとか・・・・・ご検討下さい。近衛版での演奏は、近衛樂友会さんだけが取り上げると思いますので。是非とも!




聴いてきたコンサート
近衛樂友会オーケストラ 第九特別演奏会
近衛秀健作曲
マーチ集「平成の四季」より、「平成の春」
平成の庭
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
増田のり子(ソプラノ)
山口克枝(アルト)
鈴木准(テノール
萩原潤(バリトン
近衛樂友会合唱団
中濱圭指揮
近衛樂友会オーケストラ

平成29年2月11日、東京、豊島、東京芸術劇場コンサートホール

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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