かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:リスト ピアノ作品全集4

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、リストのピアノ作品全集を取り上げていますが、今回はその第4集を取り上げます。

第4集は第3集の続きである「詩的で宗教的な調べ」第7番〜第10番までと、異なる3つの「アヴェ・マリア」、アルカデルトの「アヴェ・マリア」、6つのコンソレーション、そして「ハンガリーの神」の左手版が収録されています。

まず第3集の続きである「詩的で宗教的な調べ」は、壮麗さも前面に出ており、瞑想的だけではなく、若き日のリストらしい雰囲気を持っています。その意味ではまさにリストらしい作品だと言えます。

リスト : 詩的で宗教的な調べ
Liszt, Franz : Harmonies poetiques et religieuses S.173/R.14 A158
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/2236/

詩的で宗教的な調べ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%9A%84%E3%81%A7%E5%AE%97%E6%95%99%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%AA%BF%E3%81%B9

次の「アヴェ・マリア」もリストらしい作品だと言えます。まずS504はS38の混声合唱曲をピアノへ編曲したものです。しかも、2つの稿が残っており、この第4集では第2稿である変ニ長調が採用されています。リストは後に司祭になるだけあって、宗教合唱曲を数多く作曲しており、だからこそベートーヴェンカンタータを作曲した人だと言えます。

マイ・コレクション:リストのベートーヴェンカンタータ
http://yaplog.jp/yk6974/archive/906

ベートーヴェンカンタータは世俗曲ですが、多くの合唱曲を書いたリストだからこその充実した内容を持つわけです。リストはまさに、ショパンと同様、ロマン派においてバッハ的な作曲家だったと言えるでしょう。さらにベートーヴェン的なディオニュソス的な部分も持つ・・・・・リストの作品の魅力はそこにあると言えるでしょう。

バッハのように、自作の作品をさらに他へ転用するために編曲をする・・・・・リストもそんな作品が多いことが、この第4集までで幾度も見ることができるのです。この編集は誠に素晴らしいです。元音源はナクソスですが、こういうシリーズはたんなる廉価版という枠を超えて、まさしく「少額でクラシック音楽に触れる機会を作る」という、ナクソスというレーベルらしい編集だと思います。

S545ももともとS341の独唱とピアノ、オルガンのための作品をピアノ独奏へと編曲したものです。3つの内唯一ピアノ作品として最初から作曲されたのがS182ですが、もしかすると元作品があるような気がします。というのは、その次のサール番号の183は、有名なアルカデルトのアヴェ・マリアを編曲したもので、アレルヤもついています。

アルカデルトのアヴェ・マリア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%88#.E3.82.A2.E3.83.AB.E3.82.AB.E3.83.87.E3.83.AB.E3.83.88.E3.81.AE.E3.82.A2.E3.83.B4.E3.82.A7.E3.83.BB.E3.83.9E.E3.83.AA.E3.82.A2


リストは騙されたわけですが、とは言え、アルカデルトが作曲したシャンソンが元になっているわけで、その意味ではリスト作品の一つの特徴である編曲という側面もある訳です。アルカデルトオリジナルでなかっただけであり、元々ある作品があり、それをピアノ作品へと編曲したということに変わりはありません。その点でとてもリストらしい作品なのです。

恐らく、バッハより以前、ルネサンス作品の、しかも宗教曲ということでリストは編曲を志したと言えるわけで、だからこそ、リストの作品の一ジャンルである「編曲(アレンジ)」という路線であることを考えれば、誠にリストらしいと言えるわけです。

勿論、これらの編曲には様々な理由があり、前向きなだけではありませんが、少なくとも、リストがさまざまな作品に対して興味を持っていたことは事実であると言えるでしょう。さすが評論もやるだけの人だと思います。

これら4つの作品はいずれも1860年以降に編曲されており、特にアルカデルトのアヴェ・マリアを聴きますと、この時期のリストらしい、元の作品を大きくは変えないアレンジに唸ります。ピアノらしい比較的音の短いフレージングですが、旋律そのものは殆ど変らず、知っているひとならば「おや、アルカデルトのアヴェ・マリアだな」とはっきりと解かるものとなっています。その意味では、この時期のリストの「アレンジ作品」の特徴を知るに最適な作品であると思います;

次の6つのコンソレーションはリストオリジナルの作品で、作曲年に関しては、ピティナ、ウィキで異なる見解が示されていますが、いずれにしても1850年には成立した作品です。コンソレーションと今では英語で呼ばれることが多いですが、リストは楽譜にフランス語で記入していますので、正確には「コンソラシオン」とピティナのように呼ぶ方が良いかと思います。

リスト : コンソラシヨン(慰め)
Liszt, Franz : Consolations S.172 R.12
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/1478/

コンソレーション (リスト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3_(%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88)

この献呈の経緯からしますと、これだけ平易な作品は献呈者に演奏してほしいという意図があるように思います。超絶技巧のリストが落ち着いた作品を書くには二つの原因があると考えられます。一つは晩年の作品に現われるように、瞑想的な、明鏡止水の境地のような宗教的内面から湧き出る場合と、作曲がリストほどの腕を持っていない人に献呈し、演奏してもらえるようにという意図がある場合との二つです。「アルカデルトのアヴェ・マリア」などもそういった作品の一つだとも言えるでしょう。

その上で、献呈者が好むような雰囲気を持つ、など、リストが「超絶技巧練習曲」で見せたような演奏者としての高度な力量を示すのとは一線を画す作品であるのです。それは要請に基づく場合もあるわけで、好むときもあれば、その相手の好みに苦しむ時もあり、リストの作品にはその振り子が触れるかのように、平易な作品と超絶技巧の二つが存在し、バラエティに富んでいます。

それを象徴するかのように、最後に第3集にも収められた「ハンガリーの神」が収録されています。今度は左手で弾くために編曲されていますが、様々な要請がリストには入っていたことをうかがわせますし、それだけリストが売れっ子だったことを明確に証明していると言えるでしょう。

第3集に続いて、演奏はフィリップ・トムソン。非常に柔らかい演奏です。のびのびとしており、かつ流麗で、リストの超絶技巧から静かな作品まで、バラエティに富んでいる作品にそれぞれきちんと色付けがなされており、聴いていて実に味わい深いものです。リタルダンドも多用しており、音楽史的にはそれが全くぴったりの時代であるからこそフィットするのですが、そのフィット感も素晴らしく、突っ込みようがありません。

特にこの第4集は色彩感が強く感じられるのですが、それはトムソンのピアノにもよるのだろうと思っています。つい私達と言えばリストの超絶技巧ぶりに目が行くのですが、そうではないリストがここにはいます。

それを教えていただいたのは実はこの第4集ではなく、瀬川玄氏の「音楽道場」でだったのですが・・・・・そしてそこで取り上げられた作品が、この全集を借りるきっかけになっているのですが、それはまたこの作品が出て来ましたら、触れることといたしましょう。




聴いている音源
フランツ・リスト作曲
詩的で宗教的な調べS173/R14
アヴェ・マリア 変ニ長調S504/R193(第2稿)(9つの教会合唱曲より)
アヴェ・マリア ト長調S545/R194
アヴェ・マリア ホ長調S182/R67(レーベルトとシュタルクの大ピアノ学校のための)
アルカデルトのアヴェ・マリア S183b/R68b
6つのコンソレーション S172/R12
ハンガリーの神(P左手版)S543b/R214b
フィリップ・トムソン(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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