今月のお買いもの、平成27年11月に購入したものをご紹介しています。今回はディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、ナクソスから出ているベートーヴェンの第九です。
ナクソスからは、ベートーヴェンの第九も幾つか出ていますが、一番ポピュラーなのは、ドラホシュ指揮ニコラウス・エステルハージ・シンフォニアのものでしょうし、わたしもそれを一度ご紹介しています。
マイ・コレクション:ナクソスの「第九」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/613
これは実は、ニコラウス・エステルハージ・シンフォニアのベートーヴェン・ツィクルスの一つなのですが、それとは別に、単発で売られていたのが今回ご紹介するCDです。
演奏としては、結構アンサンブルが乱れそうになっているんですよね、この演奏。でも、全体としてはまとまっていると言う、プロオケにしては珍しい演奏だと思います。
では、爆演なのかといえば、そうではなくて、むしろ端正なんですね。第4楽章のフェルマータ部分も六拍伸ばしていますし、特に此れと言った特別なものがある訳ではありません。
なのに、なぜアンサンブルが乱れ気味なのかを紐解くには、録音された日時に注目する必要があるのではないかと思います。見てみれば、1988年。
東欧では、民主化運動が盛んになっていた時期です。そういった時期に録音されたためなのではないかという気がしています。団員の想いというものが、ついアンサンブルに乱れが生じる結果となった、と。
そう考えないと、全体のバランスは決して悪くない中で、アンサンブルに若干の乱れが生じることが説明つかないのです。
よく、アンサンブルの乱れはよくないといういい方がされますし、基本的には私もそのスタンスです。しかし、必ずしも悪いとは言えない部分もあるのが、乱れなのです。人間がする以上、機械のようには演奏できませんし、それがクラシック音楽を聴く愉しみの一つでもあります。
ですから、悪いと決めつけるのではなく、「なぜこう乱れてしまったのだろう」と問いかけることが、重要なのではないかと思います。
私も以前は、アンサンブルの乱れはよくないと思い、完璧さを求める傾向がありましたが、それがあるとアマチュアの演奏は殆ど聴くに堪えず、どうしようもなかったのですが、その囚われから解放された途端、アマチュアの素晴らしい演奏が聴こえてくるようになったのです。
かつて聴いたアマチュアの演奏からすれば、さすがプロオケです、修正はきちんとしていますし、全体としては問題ないレヴェルに収まっているわけで、それを非難するというのは、演奏が持っている本質を見誤るのではないかという気がします。この演奏は何を伝えたいのだろう、団員たちはどんな想いでこの演奏に取り組んだのだろうと言う、「作品や演奏との会話」が出来ない可能性があるのです。
その意味では、様々な会話が成立するこの演奏は、むしろ素晴らしいと言えるでしょう。こういった演奏をライブラリに入れておくことも、私は重要だなと今では思っています。
そのおかげで、様々な演奏が楽しめるようになり、自分の心が豊かになっていくことを実感できるからです。
ただ、一つだけ問題点を上げるとすれば、合唱団の名称を書いておいてほしかった・・・・・ソプラノの声に特徴があるこの合唱も、様々な「会話」をするのには適しているように思うからです。
聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
ガブリエレ・レフナー(ソプラノ)
ダイアン・エリアス(メゾソプラノ)
マイケル・パブスト(テノール)
ロベルト・ホルツァー(バス)
リチャード・エドリンガー指揮
ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団
(Naxos 8.550181)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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