かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:クレメンティ グラドゥス・アド・パルナッスム1

今月のお買いもの、平成27年10月に購入したものをご紹介しています。今回はディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、ナクソスクレメンティ「グラドゥス・アド・パルナッスム」のアルバムをご紹介します。2枚シリーズなので今回と次回の2回を予定しています。

クレメンティは、このブログでも交響曲やピアノ・ソナタ、あるいはソナチネを取り上げていますが、クレメンティの名を有名にしている作品と言えば何と言っても、この「グラドゥス・アド・パルナッスム」(パルナッスム山への階段)です。

クレメンティ : パルナッソス山への階程(グラドゥス・アド・パルナッスム)
Clementi, Muzio : Gradus ad Parnassum, or the Art of Playing on the Piano Forte, Exemplified in a Series of [100] Exercises Op.44
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/6258/

あえてピティナのほうをご紹介したのは、さすがのウィキでも載っていないことと、ピアノ作品であればやはりピティナのほうが正確だからです。コンクールをやっているだけ、やはり違います。

実は、この題名は様々な人が自分の作品で使っているものでして、広くヨーロッパで親しまれているものです。パルナッスム山とは、ギリシャにある実際にある山で、ミューズが住むと言われています。

パルナッソス山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%BD%E3%82%B9%E5%B1%B1

ミューズが住むため、学問や芸術などの発祥の地とされています。つまり、この題名をクレメンティが付けた理由は、この作品によって芸術に触れ、その高みに登るための出発点としてほしいと言う意味があります。

実際、この作品は古典派の時代に成立した、後世に大きな影響を及ぶす事になる一大練習曲集です。特に機械的に指を動かす練習になるようにとの作品が多く収録されていますが、かといって無味乾燥ではなく、華麗さや典雅さも備えており、かつロマン派において超絶技巧を生み出すだけの基礎的な技術も習得できるようになっています。

特に、この第1集の第1番から第5番までは後の超絶技巧を彷彿とさせるような作品が並んでおり、思わずうなってしまいます。まあ、練習曲なのでゆっくり味わって、というわけにはいかないのが残念ですが。

このナクソスの二つのアルバムが嬉しいのは、二つであることで全曲が収録されていることです。第2集に関してはまた別途エントリを立てますが、ピティナのこの記載のようなことはないという事が優れています。

「1865年頃には、いわゆる「カール・タウジヒ版」が出版された。確かに『グラドゥス・アド・パルナッスム』の大部分は、まさに「練習曲」と呼ぶに相応しいものであるが、この中からタウジヒは最も機械的な指の運動と捉えられるような曲ばかりを29曲選び出し、再構成したのである。残念ながら今日でも、曲集の持つ本来の意味を正確に汲み取っていないこの版が広く普及している。この『グラドゥス・アド・パルナッスム』にクレメンティが託したものは、単に鍵盤音楽に特有な指の動きの訓練ばかりでなく、表現豊かな演奏や対位法的様式の演奏に熟達するための、総合的な音楽性の向上であり、まさに音楽的目的と教育的目的が見事に融合されているのである。」

そう、実際に第14曲だとか、或は第15曲などは、5分から7分ある作品で、じっくり聞かせてくれます。そういった作品もあるという事なのです。

あれ、それってどこかで見たような気が・・・・・・という読者の方、いい視点をお持ちなんじゃないですか?ピティナでもウィキでも触れられていませんが、鍵盤楽器を生涯のライフワークとしてきたという事は、バッハを多分に意識している、という事になります。数は一緒とはいかないものの、「平均律クラヴィーア曲集」と似た点があることに気づくことでしょう。つまり、クレメンティは古典派という時代に合った、「平均律クラヴィーア曲集」を作ろうとした・・・・・・少なくとも、この第1集に収録された作品を聴いてみた時点では、そう判断できます。

クレメンティが生まれたのは、1752年です。1766年にベックフォード卿がイギリスに連れ帰り、7年間の教育を受けさせています。という事は、バッハがなくなってそれほど経っていないということを意味し、大バッハの息子達が存命で、バロックの息吹がまだそこかしこに残っていた時代であったという事を意味します。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

大バッハの作品はすでに霞み始めていて、その息子達の時代となっていましたが、特に鍵盤楽器大バッハのものが色濃く影響していました。声楽作品がメンデルスゾーンによって「マタイ」が復活演奏されるまでは、バッハと言えば鍵盤楽器の大家として知られていたのですから。クレメンティはまさにまだバッハがなくなって2年しかたっていない年に生まれ、14年たった時にイギリスに渡ったわけです。そのイギリスでは、ヘンデルの作品がいまだ人気を持っているという状況です。そしてヘンデルも、オルガン曲を数多く作曲した人で、鍵盤楽器作品を残していると言うわけです。

そういう環境において学習したクレメンティが、鍵盤楽器作曲家として、また楽譜商として、バッハの作品を意識しないわけがないでしょう。この「グラドゥス・アド・パルナッスム」は一方でバロックの時代では対位法の教科書の名前でもありましたので、バッハを意識しつつ、新しい時代の教科書として使って欲しい、できればさらに、バッハの平均律クラヴィーア曲集のように、愉しみとしても弾いてほしい・・・・・そんな意味合いがあったものと考えていいでしょう。

その点を、演奏が考慮しているのが素晴らしい!端正な中に劇的な部分や、リットすることで感情すら受け取れる作品があることを、ダイナミックな演奏で表現しています。楽しみも感じられますし、かわいさも感じられます。ピアニストが単に弾いていますではなくて、まるで慣れ親しんだもののように、演奏者がどこかに懐かしさも感じているように受け取れるのです。

もうこんな曲弾き飽きたよ、ではなくて、「いやあ、なーつかしーなー、こんな曲弾いたっけ。あれ、この作品にはこんな点もあったっけ。いやあ、この作品奥が深いなあ」って感じが、此方に伝わってくるのですね。それでこちらもなんだか楽しくなってくる。それが良いですね。

まさしく、演奏者がこの作品を「古典派における平均律クラヴィーア曲集」だと感じで弾いているのが、手に取るようにわかるのが嬉しいです。




聴いているCD
ムツィオ・クレメンティ作曲
グラドゥス・アド・パルナッスム 作品44
第1番〜第24番
アレッサンドロ・マラゴーニ(ピアノ)
(Naxos 8.572325)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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