かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:クレメンティ グラドゥス・アド・パルナッスム2

今月のお買いもの、平成27年10月に購入したものをご紹介しています。今回は前回に引き続き、ディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、ナクソスから出ているクレメンティのグラドゥス・アド・パルナッスムの第2巻をご紹介します。

全部で41曲ある、グラドゥス・アド・パルナッスムですが、この第2巻には第25番から第41番までが収録されており、むしろこの第2巻こそ重要であるといえるでしょう。29曲に省略されることも多かったこの作品の全貌が、この第2巻ではっきりと示されているのですから。

第25番では、フーガも備わっており、決して単なる練習曲ではなく、むしろバッハの平均律クラヴィーア曲集のような存在を目指したものと言えるでしょう。そしてこの第2巻には技巧的にも難しい作品が多く、コンサートピースとしても遜色ないものが並んでいます。

なのに、聴衆側としてはいまいちの評価ではないかなあと思います。恐らくそれは、ドビュッシーの同名作が影響しているのではないでしょうか。その割には、印象派のピアノ作品がそれほど評価されているとは言い難いような気もしますが・・・・・

1. Doctor Gradus ad Parnassum
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E9%A0%98%E5%88%86#1._Doctor_Gradus_ad_Parnassum

ドビュッシーのこの作品は、組曲子供の領分」の第1曲ですが、生娘がクレメンティのグラドゥス・アド・パルナッスムを弾くことからインスピレーションを得て作曲したものです。否定的にという見方もありますが、それは一面だけだと思っています。ドビュッシー印象派、あるいは象徴主義の作曲家ですが、クレメンティは古典派からロマン派にかけての作曲家だからです。違いがあるのは当然ですし、その上で、ドビュッシーは一定の距離をクレメンティとは保ったうえで、クレメンティが作品に込めた想い同様、娘には練習曲として使って欲しいと願ったからにほかありません。

だからこそ、クレメンティの作品名をそのまま使っていますし、それはヨーロッパで「グラドゥス・アド・パルナッスム」が「芸術へ上る階段」という意味で使われているのと同じ意味でも使っているわけです。全否定ということとは違うのだということだけは、知っておいていいのではと思います。

ドビュッシーは自身の作品でもフランスバロックに回帰していますし、印象派というくくりで語ってしまうとその伝統に目を向けた部分が蔑になるような気がします。ドビュッシークレメンティの業績を知らないとは思えないですし、おそらく知っていたと思っています。鍵盤作品を主とした作曲家であれば、それは業界人としての基本知識だと思うからです。

皆さんが仕事をする時を考えてみてください。みずからの専門分野の、先達たちを知らないってことはないですよね?恐らく、ドビュッシーも同じです。となれば、鍵盤楽器の大家たちの作品に触れていないわけはないですし、その中でクレメンティを知らないということもないからこそ、「子供の領分」という作品が出来上がったわけです。そこには明らかに、クレメンティが「グラドゥス・アド・パルナッスム」をなぜ作曲したのかという点も、含まれて当然だと考えられます。

つまり、子供としては父が作る作品のようなものを期待するわけですが、ドビュッシーは「もっと大切なものがあるんだよ」と、愛娘に教えるために、わざわざ「毎朝朝食前に弾くべき曲」として第1曲に持ってきた・・・・・そう考えられるのですね。

実は、私はすでに神奈川県立図書館でドビュッシーをシリーズで借りています。それは追い追いまたエントリを立てますが、その経験と知識があるからこそ、なぜドビュッシークレメンティと同じ題名をつけたのかが、理解できるのですね。これは鍵盤楽器の伝統に連なる作品なのです。

二つとも、ともすれば私達聴衆はつまらないと退けてしまいがちなんですが、ピティナがきちんとページを設けていることから明らかなように、演奏家としては避けて通れない作品なのです。特に、クレメンティは・・・・・

演奏しているアレッサンドロ・マラゴーニは、この作品を生き生きと演奏し、どこにも「もう弾き飽きたからさあ、どうにかしてよ」っていう点がありません。むしろ、「あ、この作品にはこんな側面もあったのか〜、楽しいな〜」という、喜びしか伝わってきません。ピアノの基本的な作品でありながら、様々な、ものが詰まっており、その上でバッハの平均律クラヴィーア曲集のように、楽しめる作品として残したからこそ、でしょう。

時として、ダイナミックに、時として可愛らしく弾くその演奏は縦横無尽で、グラドゥス・アド・パルナッスムが織物の綾のように、縦糸と横糸が絡み合って、美しさを作り出していることを、実演で証明してみせていると言えるでしょう。是非とも、伝統に連なる楽しい作品を味わってみてはいかがでしょうか。




聴いているCD
ムツィオ・クレメンティ作曲
グラドゥス・アド・パルナッスム 作品44
第25曲〜第41曲
アレッサンドロ・マラゴーニ(ピアノ)
(Naxos 8.572326)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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