神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ボッケリーニのチェロ協奏曲全集を取り上げていますが、今回はその第3回目となります。
収録されているのは、演奏順で第5番、第11番、第7番、第4番となっていますが、この内前半の2曲は二つとも20世紀に発見されるも、偽作とされている作品です。
とは言え、気品を湛えかつ軽妙さもあるその音楽は、チェロという通奏低音の楽器が充分「歌える」ことを示した、画期的な作品だと言えます。
12曲あるうちの真作はほぼ半分くらいしかないボッケリーニのチェロ協奏曲の内、この第3集で真作である第7番と第4番は、華麗さを持っています。確かに、前半2曲はその華麗さというのはあまり見られないのですが、第5番と第11番が他の作曲家の作品だとしても、私は作品の重要性は揺るがないと思っています。少なくとも、ボッケリーニ同様、通奏低音担当であったチェロを、協奏曲の独奏楽器として位置付けたのですから。音楽史の中ではとても重要な作品であると言えましょう。
モーツァルトの作品において真作か偽作かというのは、ある意味天才の作品であるかそうでないかという点で重要なのですが、ボッケリーニのチェロ協奏曲に置いては、私はそれほど重要ではないと思っています。それがチェロという楽器の位置づけが変わったという、歴史の転換点を示すものであるという点です。確かに、作品の出来や、美しさなどという点においては、その差において重要であるとは言えるのですが、では、音楽史上真作がより重要であるのかと言えばそれほどでもありません。偽作も重要であるわけです。ただ、ボッケリーニの真作ではないと言うだけです。
誰の作品だかわからないけれども、ボッケリーニの名前で伝えられてきたそれらの作品群の本当の作曲者が明らかになる日がくるかどうかはわかりませんが、たとえ来なくても、それらの作品が作曲されたのは古典派以降であることは間違いないわけです。その意味において、これ等の作品は重要であり、だからこそボッケリーニの名前で伝えられているものもあるのでは?などと思ってしまいます。
古典派の時代は、作品を多く作り出すのがベートーヴェン以前の作曲家の特徴ですが、ボッケリーニもそういった一人です。ベートーヴェンも自身の専門であるピアノにおいてはそうでしたし、チェリストであったボッケリーニもまた同様というわけで、多くのチェロ協奏曲が残されましたが、半分程度ある偽作は、それだけボッケリーニのチェリストとしての名声や、その作品の評価の高さを示す、一つのバロメータだと言えましょう。あるいは、その重要史料と言いましょうか。ベートーヴェンもモーツァルトも多くの作曲家にまねをされ、モーツァルトに至っては偽作も多く存在しますが、名声の高さと作品の素晴らしさを物語るものとなっています。
この3回でご紹介したボッケリーニのチェロ協奏曲は、私達に当時ボッケリーニがベートーヴェンやモーツァルト、ハイドンに勝るとも劣らない名声を持っていたことを、如実に物語っていると言えるでしょう。
作品が持つ美しさの裏に隠れている、ボッケリーニの当時の姿は、忘れられた作曲家などではなく、売れっ子作曲家であったことを示しているのです。
そういったリスペクトが、演奏のそこかしこに現われています。時折強くなるアインザッツ、それでも優雅な弦。全体的にまとまったアンサンブルと、古典派の演奏様式にきちんと則っている点。この演奏の素晴らしさを上げればそんなあたりかなと思いますが、それが全体的にボッケリーニという作曲家の、即興という言葉からは想像しにくい、作品から滲み出る「人間性」を、確実に伝えていると言えるでしょう。
聴いている音源
ルイジ・ボッケリーニ作曲
チェロ協奏曲第5番変ホ長調G474
チェロ協奏曲第11番ハ長調G573
チェロ協奏曲第7番ハ長調G476
チェロ協奏曲第4番ハ長調G481
エンリコ・ブロンツィ指揮、チェロ
アカデミア・イ・フィラルモニチ・ヴェローナ
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