かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:クリヴィヌの古楽第九

今月のお買いもの、平成26年12月に購入したものをご紹介しております。今回はディスコユニオン新宿クラシック館にて購入しました、クリヴィヌ指揮ラ・シャンブル・フィルハーモニク演奏の第九をご紹介します。

実はこのCDも、少し前にyoutubeで知った演奏です。颯爽としていて、しかし熱いその演奏は、古楽というものの枠を超えているように思います。

https://www.youtube.com/watch?v=2eci3t30Sbc

これも、CDとは録音日時が異なると思われますので、この演奏がCD通りというわけではありませんが、バレンボイムの時同様、リンクを貼っておきます。切れていたらご容赦ください。ちなみに、私は「youtube Beethoven Symphony No.9 Krivine La chambre Philharmonique」で検索しましたので、リンクが切れていたら再建策してみてください。

さて、youtubeをみられた方はお分かりかと思いますが、このラ・シャンブル・フィルハーモニクは古楽団体です。しかも、室内オケ。室内オケによる第九自体はこのブログでもロイヤル・チェンバー・オーケストラや、中大混声のコンサート評でのアレクテ室内など、かなり取り上げてきていると思いますが、いずれもモダンです。これは、古楽による室内オケであると言う点で特色があるかと思います。

つまり、この演奏は限りなく第九が初演された時に近い、という事が言えるかと思います。特に編成において、それは顕著であると言えるでしょう。

http://www.lachambrephilharmonique.com/

でも、古楽と言えば、速いテンポという印象は強いのではないでしょうか。確かに、youtubeの演奏は速めですし、それゆえに力強さもあります。ところが、このCDでは、同じライヴであるにも拘らず、第4楽章はどっしりとしています。それでも、演奏時間は全体で60分ちょっと。第4楽章などは21分くらいです。それでも、速いという印象はあまりありません。で、荘厳さや明るさを備えています。

私が常に指摘する、第4楽章vor Gott!の部分もvor1拍に対してGott!は6拍で、変態演奏とは程遠いですし、普通の演奏と言えるでしょう。でも、アインザッツの強さや、細かいテンポの調整で、颯爽としつつ、荘厳で明るく、希望を備えた演奏となっているのは素晴らしいです。

聴いていて、楽譜と真正面から向き合っているように思われ、とてもまじめな演奏であると思います。その上で、第九という作品が持つ普遍性や、連帯、スピリチュアリティというものがビンビン伝わってきます。そう、熱いのです。情熱と冷静の間のバランスが絶妙で、聴いていてストレスがありません。これが、中古だったので750円也。市場に出していただいた方に感謝です・・・・・多分、youtubeのほうがいいと思われたので放出したのだと思いますが・・・・・

確かに、テノール・ソロの部分はyoutubeのほうがいいように思います。CDは2009年の収録で、youtubeは何時かはわかりませんが、アップされている日時が2014年8月なので、それ以前の直近という事になるのでしょう。演奏が進化していてもおかしくないですし、むしろ、颯爽さにさらに力強さが古楽演奏であるにも関わらず備わっているとなれば、それはそれで素晴らしいことであると思います。

かといって、このCDには力強さがないのかと言えばそんなことはありません。ただ、このCDのほうがより「古楽らしい」とは言えるでしょう。ですから、モダンの演奏至上主義のような方だと、youtubeのほうがいいでしょうし、こだわらない人であれば、このCDでも十分喜びをもって聴くことが出来ると言えるでしょう。

こういった演奏こそ、第九の演奏を次のステージへ上げることにつながると私は信じています。第九という作品は片足をロマン派に突っ込んでいるようなものなので、どうしても重厚な演奏から逃れられない運命にありますが、第九という作品そのものは、とてもスピリチュアル(霊的)なもので、人と人がどうかかわるのか、そしてそれはどう連帯へと繋がっていくのかをテーマとしています。それは個人個人の生き方を問うているものでもあり、深くて広大なテーマを備えています。重厚というだけではとても表現しきれるものではないと、私は考えるのです。

例えば、このCDの第1楽章や第2楽章などは、荒ぶるという表現が適切であるような演奏となっていますが、例えば平塚第九で松岡先生がおっしゃられたように、第1楽章は戦いの楽章であるとすれば、あながちそんな演奏が間違っているとは限らないわけです。ショスタコーヴィチ交響曲が、各々ショスタコーヴィチの「来し方」からいずるものであるとすれば、第九もベートーヴェンの「来し方」が作品に反映されています。例えば、甥カールとの確執だったり。家族との関係や仲間との関係(ベートーヴェンでいえばパトロンも入ります)などがそこに反映されているわけです。

重厚な「精神性」という、哲学的に重いテーマだけが第九ではなく、もっと身近にあるが、しかし重要で真剣に考えなければならないテーマも扱っているわけで、だからこそ普遍性を持つ。私はそう考えます。それだ第九の魅力であり、だからこそ、ブラックミュージック全盛のこの時代においてもなお、多くの人の心と「霊」をとらえて離さないのだと思います。

クリヴィヌは、そういった点をよく知っているのかと思わせる演奏です。彼の出自を見る時、それはあながち間違っていないのかもしれません。

エマニュエル・クリヴィヌ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8C

両親はもともとのフランス人ではなく、しかし彼自身はフランス生まれなのでフランス人である・・・・・そういった家庭環境が、第九という作品の解釈に、大きな影響を与えているように思います。かといって、楽譜無視ではなく、むしろどっしりと構え、楽譜と真正面から向き合い、そこに自分の「来し方」を重ね合わせている・・・・・そんな気がします。正当派でありながら、しかし自分自身の「異端」を明確に反映した結果、暖かくも荘厳で、明るさそして希望の光に満ちている「第九」の演奏が現出した・・・・・私にはそう思えてなりません。

もっと多くの人に聴いてほしい演奏です。




聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125
シネアド・ムルヘルン(ソプラノ)
カロリン・マズア(メゾ・ソプラノ)
ドミニク・ヴォルティッヒ(テノール
コンスタンチン・ヴォルフ(バリトン
クワイア・デ・シャンブル・エレメンツ(合唱指揮:ジョエル・スフビッテ)
エマニュエル・クリヴィヌ指揮
ラ・シャンブル・フィルハーモニック
(Naive classique V5202)
※輸入盤のため「合唱つき」という標題はなしで記載しています。

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。



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