神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シューマンの室内楽全集を取り上げてますが、今回は第6集を取り上げます。
第6集は本来、ピアノと様々な独奏楽器との作品なのですが・・・・・
実は、すべての演奏を、ピアノとチェロでやっているんです。
第1曲目の「アダージョとアレグロ」はもともとホルンとピアノのための作品で、ホルンも自然ホルンではなく当時最新のバセットホルンのために書かれた作品です。ですからホルンの方が作品の「新しさ」は聴いて判るものであるはずですが、ここではあえてチェロ編曲を採用している、ということになります。
第2曲目の3つのロマンスは元々オーボエとピアノで、しかもチェロ編曲は調べてみる限りないものをチェロで演奏すると言うもの。
第3曲目の幻想小品集作品73は、クラリネットとピアノですし、第4曲目の民謡風の5つの小品 作品102のみが、元々チェロとピアノのための作品です。
ところがです、すべてをチェロとピアノでも、聴いているほうは全く違和感がないのが不思議なんですよねー。
確かに、第1曲目では作品が持つ特色が薄れてしまっているのは否めないんですが、それでも、シューマンの室内楽が、シューマンの内面を見事に映し出すかのような、叙情的な音楽が貫き通されています。演奏はそれを考慮してか、ルバートやポルタメント、そしてリタルダンドが満載です。
古典派では一切演奏で本来は考慮されないこれらのことが、シューマンのこの4つの作品の演奏では、前面に押し出されています。
こういったことは、現代に生きる私たちにとって当たり前だと思われるかもしれませんが、現代音楽において、それほど演奏で使われているでしょうか?実はクラシック以外のジャンルを見渡してみれば、純邦楽(つまり、日本の伝統音楽としての)以外は全くなされていないことに歴然とすることでしょう。現代とはむしろ、ルバートやポルタメント、リタルダンドを極力かけない演奏がすべてである時代と言っても差し支えないでしょう。
例えば、ラップでは、リタルダンドをかけるということがあるかといえば、明確に面白くするため以外はしないのが原則になっています。ポルタメントは明らかに何かを強調したい時以外はしません。むしろポルタメントというよりは諧謔的ラップというべきものとなっており、明らかにラップなどはアンチロマン派なのです。反権力として、伝統音楽に対抗するべく生まれたのですから、当然だと言えましょう。
その視点でいえば、この第6集の演奏は、シューマンが生み出した「音楽」が何であったかを考えるのには、十分な内容を持っていると言えましょう。
その上で、この第6集の編集方針を考えれば、シューマンも古典派、特にモーツァルトまでの作曲家のように、自らの作品に編曲を行い、広めようとしたということが言えるかと思います。本当はもともとの楽器で聴くのが一番いいでしょうが、バッハのように編曲で楽しむのもありだとすれば、それもシューマンの作品が持つ「内面」なのかもしれません。
聴いている音源
ロベルト・シューマン作曲
アダージョとアレグロ 作品70
3つのロマンス 作品94
幻想小曲集 作品73
民謡風の5つの小品 作品102
マレク・イェリー(チェロ)
イヴァン・クランスキー(ピアノ)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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