かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シューマン ピアノ作品全集8


今月のお買いもの、平成26年6月に購入した、シューマンのピアノ作品全集を取り上げてますが、今回はその第8回目です。

第8集は、シューマンの子ども用に作曲された大曲「子供のためのアルバム」作品68全曲です。

子供のためのアルバム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0

シューマン : 子供のためのアルバム
Schumann, Robert : Album für die Jugend Op.68
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/4779/

基本、43曲の作品で、このCDでも43曲で演奏されていますが、ウィキの説明にあるように、後から追加で作曲されたものがあり、それを含めるとさらに多くなるのですが、ピティナのほうはそれを含んでいます。多分追加分を全部書き込めていないのでしょう、54曲で終わっていますが、実際には追加分まで含めると、60曲という膨大な作品群になります。

それがもともとは、長女マリーへの誕生日プレゼントだというのですから。シューマンの様々な心理が目に浮かびます。勿論、優しさではあるんですが・・・・・ま、それはあまり触れないでおきましょう。シューマンの「心の病」の一端が窺えるとだけ、申しておきます。一応、この作品は子供の指導用として、高い評価を受けている作品なのですが、そこにこそ、シューマンの病理が潜んでいるのですから。

つまり、ともすれば、「押しつけ」になりかねないわけで、そこにシューマンの病理が潜んでいるわけなのです(興味があれば、臨床心理の本を読んでみてください)。

兎に角、音楽としては肩の凝らない作品が、次から次へと繰り出され、私達をひと時優しさがつつむ時間へと誘ってくれます。

でも、こういった肩の凝らない作品というのは本来、シューマンが持っていた特徴だと言えると思うのですが、それが変ってくる分水嶺が、先日とりあげました「クライスレリアーナ」ではないかなあと思います。にも拘わらず、このような優しさが貫かれている作品が書かれるというのは、シューマンが決して常に病的な面だけが出ていたわけではないという、一つの表れと言えるでしょう。むしろ、この作品を作曲した1848年という時期は、とても幸せな時期であったと言えます。だからこそ、音楽も幸せ感いっぱいだと言えるでしょう。

例えば、「神奈川県立図書館所蔵CD」のコーナーで取り上げているような、室内楽はとても幸せ感にあふれています。それでいて芸術作品として書かれてもいます。本来若い自分のシューマンはそういった作品を書いていたのが、年を経るにつれ、様々な苦難を経験するうちに、病的な部分も音楽に反映されてくるようになったと言えましょう。

そもそも、シューマンはウィキによればとても豊かで恵まれた環境で育ったように書かれていますが、豊かであったかもしれませんし、恵まれた環境だったかもしれませんが、シューマンにとって本当に心休まる環境(あるいは場所と言ってもいいでしょう)だったのかはわかりません。明らかに神経症を発症していると言えるシューマンクライスレリアーナ以降の作品を見ると、私にはそう簡単には思えないのです。幸せそうにみえる家族でも問題がある場合もあります。それを専門用語で「機能不全家族」と言います。

機能不全家族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E8%83%BD%E4%B8%8D%E5%85%A8%E5%AE%B6%E6%97%8F

ウィキのシューマンの項目で、該当する部分はいくつかありますが、一番わかりやすいのはこれではないでしょうか。

「父は出版業者で、著作も行っていた。シューマンはそのような環境の中で、早くから音楽や文学に親しみ、作曲や詩作を試み、豊かな才能を示した。息子の音楽の才能を認めていた父は1826年に亡くなり、安定した生活を願う母の希望で法学を学ぶことになり、1828年ギムナジウムを卒業し、ライプツィヒ大学法学部に入学した。」

ロベルト・シューマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

途中で片親になるんですね。しかも、その生き残った母は、あまりシューマンの才能を認めているとは思えないわけです。認めていれば音楽家としての道を、苦学生として歩ませると思うのですが、実際は家族のために才能まで犠牲にすることを一度は余儀なくされているわけなのですから。

ベートーヴェンも同じように機能不全家族出身ですが、幸いなことに、好きな音楽の道を歩むことが出来ました。ただ、父親はスパルタな上で飲んだくれだったわけですが(それなら、ベートーヴェンからすればお前が稼げよってことですからね)。それでも、音楽が常にそばにあったからこそ、晩年それが「第九」へ結実するわけです。

シューマンもそうありたいと願ったことでしょう。その後、彼は音楽の道を志すことになります。神経症を発症したとはいえ、最後まで家族に恵まれ、仲間に恵まれたのは音楽の道を志したが故だと思います。「高次元の力」と繋がり続けることが出来るのが、芸術の素晴らしい点であるからです。

この43曲あるいはそれ以上ある作品は、そういった延長線上にある作品だと思います。シューマンの優しさに溢れている作品ですが、長女はどう受け取ったのか・・・・・知りたいところです。

さて、演奏は実に切れ味がよく、決して子供向けの作品であるからと言って手を抜くことはせず、ppからffまでが自在に表現され、時として哀愁すら漂わせています。子供向けの作品ではありますが、十分芸術作品であることを、演奏は物語っています。ピアニストがきちんと弾けば、シューマンの作品は芸術作品なのであるとという、宣言の様に私には聴こえます。




聴いているCD
ロベルト・シューマン作曲
子供のためのアルバム作品68
イェルグ・デムス(ピアノ)
(ARIOSO ARI107-8)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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