かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シューマン ピアノ作品全集4

今月のお買いもの、平成26年6月に購入したものをご紹介しています。シリーズでシューマンのピアノ作品全集を取り上げていますが、今回はその第4集をご紹介します。ピアノはイェルグ・デムス。

この第4集ではいよいよ、有名作品が登場します。先ず第1曲目は、「子供の情景」です。

ピアノが好きな方ならば、どこかで聴いたことがある作品だと思いますが、この作品、私もそうだったのですが、誤解を受けている作品だと思います。つまり、シューマンが子供のために作曲した作品である、と。

実はそうではないんですね。クララを評して「子供のようだ」と述べたことからインスピレーションがふくらんでできたのがこの作品です。

子供の情景
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E6%83%85%E6%99%AF

シューマンはいくつか子供のための作品も作曲していますから、それと混同するのでしょう。私もしっかりと覚えたいと思います。

となると、この「子供の情景」は実は、とても歴史的な作品であるのです。ウィキの以下の記述に注目です。

シューマンは後に、『子供のためのアルバム』作品68や『子供のための3つのピアノソナタ』作品118などの子供の学習用のピアノ曲を作曲している。しかし作曲者本人はの語るところによると、『子供の情景』はそれらの作品とは異なる「子供心を描いた、大人のための作品」である。」

この、「子供心を描いた、大人のための作品」というのがポイントなのです。モーツァルトは自分の子どもの部分と、大人の部分とで悩み、父親との関係で苦労したわけですが、シューマンはクララの健康的な心理を、この作品に反映させたことで、「健康な心理とは何か」を問うたのだと、私は考えています。

モーツァルトが伝えられる、下品な部分やおどけている部分は、明らかに彼が心理的に子どもであったことを意味するのです。一方シューマンは、それを抱え込みつつも、何とか手放そうとしています。それを、クララから気づかされて、この作品を作曲したと考えられます。なぜなら、子どもであることと、子供のようであることとは、全く異なるからです。

これを説明すれば、おそらくコラムのコーナーが必要になると思いますのであまり触れませんが、興味のある方は、臨床心理学などの本を読まれてみると、どこかで記述にぶつかると思います。「ペルソナ」の部分でもあるので、私自身はこの作品、とても奥深い作品だと思っています。そういえば、7曲目の一番有名と言っていい「トロイメライ」は、決して子供の心理とは言いがたいですね。でも、例えば子供時代に受けた傷を大人になるまで引きずった人などには、思わず涙を誘う作品なのではないでしょうか。寂しさと、暖かさが同居するというか・・・・・

子供の情景」には、そんな作品が多く収録されている点で、私はシューマンが必死に何かを手放そうとしているように思えます。

次の作品が「3つのロマンス」作品28です。「子供の情景」を作曲した翌年の1839年に作曲されているこの作品は、「子供の情景」とは打って変わって、明るい印象の作品です。思わずうっとりとなるような旋律が並び、今現在の「生のよろこび」を表現しています。途中の哀愁ある曲を前後で生き生きとした作品で挿んでいるという内容です。

さて、第3曲目が「7つのフゲッタ形式によるピアノ曲」作品126です。1853年の作曲なので、比較的晩年の作品になりますが、前2曲がある意味とてもシューマンらしい作品だとすると、この作品126は通常のシューマンへの印象では、あれ?という印象をもたれる作品かと思います。つまり、内的情景を表現した作品を書くはずのシューマンが、フーガを書いているということに、です。

でも私は、ここにシューマンが考えていた新しい音楽と言うものが見えてくると思っています。つまり、内的心象を書きつつも、旧い形式に対し決して拒否しないという点です。これはメンデルスゾーンからの影響とも言えるでしょう。バロックらしい曲は一部しかなく、まさしくフーガを新しい旋律で描いて見せた作品だと言えるでしょう。それは後に、ブラームスを通じて後期ロマン派の作曲家や、新古典主義音楽、或は20世紀音楽に影響を与えていくきっかけを作ったと言っていいと思います。

最後の作品が、パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲作品10です。シューマンは新しい時代の音楽家として、パガニーニを高く評価していました。それを自らのピアノ作品へ投影させた作品がこの作品10です。でも、私の印象としてはシューマンはヴィルトォーソを推進する人でありましたが、彼自身はヴィルトーソタイプとは言いがたいのではないだろうかという気がしています。パガニーニの作品を自分なりに吸収して、まとまった作品に仕上げていますが、かといってパガニーニのような華麗さは半減し、あくまでもシューマン独特の心象風景を描くことに成功している作品だからです。

作曲年が1833年と若書きですし、まだまだ伸びしろがある時代の作品ですので、物足りなさは否めませんが、私はそれだけではなく、後のピアノ協奏曲などの作品と比べた時、やはりパガニーニの作品をシューマンが自分の作品に落とし込むには、多少ヴィルトォーソを犠牲にせざるを得なかったのではないかという気がしています。音楽の内容が多少違うからです。パガニーニは華麗さを追求する作曲家ですが、シューマンは内的美を追求する作曲家です。そのバランスを取るとなると、なかなか難しいのは自明の理です。

それでも、「新しい音楽」の先頭に立たんとしたシューマンは、果敢に無理かもしれない事業に挑んでいった、と言えるでしょう。ただ、そのために精神のバランスは常に不安定だった・・・・・その中で、例えば不安だとか、恐れだとかを手放そうとした傑作が、「子供の情景」であった、となれば、第4集の編集方針が、おぼろげながら見えてきます。

シューマンの「内的心象風景と、新しい音楽への追求、その結果」。そんな気が、この第4集からは見えてきます。

デムスのピアノは、第1集よりもさらにのびのびとしていて、さらに生命力が増しているように聴こえます。シューマンの音楽に対する理解と、その自信が演奏から見え隠れするのです。その点から言えば、私は正直に、初め信じて居なくて申し訳ありませんと告白しなければならないと思っています。デムス?一体誰だ?演奏は信用できるのか?と。

ピアノ作品をそれほど聴かない私がそんなことは尊大ですし、高慢なんですが、それを見事に気づかせてくれるだけの説得力ある演奏は、私に幾つかの気づきを与えてくれました。詳しいことはもう少し後に説明したいのですが、この第4集ではシューマンの作品に対して、真正面から取り組み、シューマンと言う作曲家が決して病的な音楽を作曲したのではないということを、はっきりと私たちに呈示してくれています。

もう、私などはですから、「ごめんなさい」というよりほかないのです。




聴いているCD
ロベルト・シューマン作曲
子供の情景」作品15
3つのロマンス 作品28
7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 作品126
パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲 作品10
イェルグ・デムス(ピアノ)
(Arioso ARI107-4)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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