神奈川県立図書館所蔵CD、モーツァルト全集からピアノ小品を取り上げていますが、今回はその第2回目です。変奏曲の第2部になります。
前回取り上げた作品たちは、そのほとんどがザルツブルク時代でしたが、今回取り上げる作品たちは、K.354をのぞいてすべてウィーンで作曲されており、全体としてはウィーン時代の作品と言えます。
K.354はパリでの作曲ですが、モーツァルトがザルツブルクを離れ、ウィーンで暮らし始めた時代ですので、「ウィーン時代」というくくりで語っていいと思います。
そのためか、変奏も堂々としたものとなっていますし、何よりも第1集と異なるのは、まるで打楽器であるかのような音の羅列ではなくなり、もっとなだらかな、メロディアスなものが多くなってきているという点です。
勿論、音がコロコロ動き回る、早いパッセージもありますが、チェンバロを想像させるような作品はなくなっています。
第1曲目のK.265(300e)は、所謂「きらきら星変奏曲」ですが、その有名な旋律がいくつか変奏された後には憂いを含んだ短調への転調が用意されており、当時のピアノ・ソナタを充分彷彿とさせる内容になっています。
夫々、当時の有名作曲家、あるいは人口に膾炙していたシャンソンなどから主題を取り、それを変奏していくというものです。ベートーヴェンの変奏曲の場合、作曲家自身が主題を作曲して、それを変奏していくものもありますが、モーツァルトの場合、即興性が重視されたこともあり、主題はすでに存在しているものから与えられています。それを自家薬篭中のものとして、才能を開花させています。
変奏曲だけでCD2枚に収められているという点は、いかにもモーツァルトらしいと言えるでしょう。それだけ、変奏曲は当時のサロンではポピュラーだったと言えるのです。そしてそれは、ベートーヴェンを通じて後の時代へと受け継がれていきます。
こう見てみると、モーツァルトは単に自分の仕事をしただけですが、その結果しっかりと伝統を受け継いでいるのですね。バロック、そしてギャラント様式から古典派への橋渡しという、非常に重要な役割をモーツァルトは歴史上担ったのでした。
この第2集の収録作の中には、ベートーヴェンのソナタを彷彿とさせるような、例えばK.354(299a)のような作品もあり、モーツァルトの音楽がウィーン時代になってさらに洗練されていったことを物語るものが多いのが特徴かと言えます。ほとんど成立順(若干のずれはあり)に並べられたこれらの作品たちは、小品であっても、モーツァルトの音楽の推移を、私たちに見事に見せてくれています。
変奏曲というのはそもそもは楽しむものなのですが、その楽しむ対象が、様々なことを語っていると気づくとき、楽しいという気持ちは喜びへと変わっていきます。音楽史の発展を知る喜び、モーツァルトの成長を知る喜び、そして聴き手が「楽しい」と気づく喜び・・・・・
ヘブラーのピアノは、決してドラマティックではないですし、むしろ端正と言うべきなんですが、それでも様々な「気づき」が私たちには与えられていると思います。楽譜と真摯に向き合った結果、様々なものが「与えられ」、それが聴き手に伝わる喜び・・・・・
この演奏はとにかく、様々な喜びに満ちていまして、淡々と進むピアノが、聴き手を喜びへと導くことがあるのだと、気づかせてくれます。
聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
「ああ、お母さん、あなたに何を申しましょう」による12の変奏曲ハ長調K.265(300e)
グレトリーのオペラ「サムニウム人の結婚」の合唱曲「愛の神」による8つの変奏曲ヘ長調K.352(374c)
「きれいなフランソワーズ」による12の変奏曲変ホ長調K.353(300f)
ボーマルシェの「セビーリャの理髪師」のロマンス「私はランドール」による12の変奏曲変ホ長調K.354(299a)
パイジェッロのオペラ「哲学者気取り、または星占いたち」の「主よ、幸いあれ」による6つの変奏曲ヘ長調K.398(416e)
イングリット・ヘブラー(ピアノ)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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