かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:BCJバッハカンタータ全曲演奏シリーズ52

今月のお買いもの、ようやく今年購入したものを取り上げることが出来ました。今回は以前から取り上げております、BCJのバッハカンタータ全曲演奏シリーズの第52集です。先月、銀座山野楽器本店での購入です。

収録されているのは、第140番、第112番、そして第29番の3つで、いずれも1731年頃の作曲です。

まず第140番「目覚めよと、我らに呼ばわる声」BWV140です。コラール・カンタータで、1731年の作曲です。この曲は使われたのがはっきりしておりまして、しかもたった一回きりです。1731年11月25日の三位一体節後第27日曜日における礼拝用です。

テノールのアリアが有名なこの曲は、作曲当時再演はなかなか難しいと言われていました。なぜなら、第27日曜日は、復活節が3月26日以前に繰り上がらないと来ないからです。

復活祭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E7%A5%AD

つまり、3月22日〜26日の間に来ないと、このカンタータは演奏されることがない、ということなのです。勿論、それは現在でも一緒ですが、トーマスカントルだったバッハがいつまで生きているのか、ということが問題になるわけですから、なかなか難しいということになるわけです。

この曲も当然レトリックが使われているのですが、花婿を迎えるためのかがり火の用意をしていないと花婿を迎えることが出来きず、婚礼の場所に招待されないことを、用意ができていない人は神の御国の門は開かないということにつなげているわけなのです。

現代的に言えば、こういえばわかりやすいでしょう。あなたはサラリーマンだとして、よく「仕事は段取り八分」とか言われませんか?それなのです。段取りとは仕事をするための準備を言います。準備をしておきさえすれば、仕事は8割がた終わったも一緒だ、と。正にそれです。

神の御国へ入る準備はできているか?その段取りはどうか?と問うのがこの曲だ、といえばわかりやすいかと思います。仕事では上司からきつく言われるこのことも、バッハの音楽では祝祭感あふれる音楽となっていまして、感動のうちに「あ、段取りしっかりだよなあ」と思い始めるのが不思議な作品です。

色々な比喩がここでは詰まっていますが、それはもしいつかこの曲だけ取り上げることがあれば、したいと思います。

次の曲は第112番「主はわが頼もしき羊飼い」BWV112です。1731年4月8日ライプツィヒで初演され、バッハ事典によるとその1回だけ演奏されたようです。もともと幾つかの原曲を再使用しているようで、忙しいバッハらしい、そしていかにもバロック期らしい成立の仕方をこの曲は辿っています。

まず驚くのは、冒頭のトランペットのファンファーレです。そもそも、この曲のテーマである「人々の羊飼いとしてのイエス」というテクストであれば、牧歌的な音楽になるはずのところが、祝祭感あふれる音楽で始まるのですから。

実際聴きますと、ごく普通のファンファーレです。ただ、このテクストでは確かに珍しいかといえましょう。そこに、私はバッハの神への信仰心を見るのです。つまり、羊飼いがそこにいる・・・・・その喜びを表すために、導入にファンファーレを使った、と。

実はこのファンファーレこそ、他の曲からの転用だと言われているもので、実際には「いと高きところに神のみに栄光あれ」という歌詞がついていたようです。それを消して題名の歌詞がついている、と(ブックレットより)。

なるほど〜と思いました。冒頭以外は新作の作品なのですが、新作を使う中でわざわざすでにある曲を使うということは、単に忙しい、或いはバロック的ということだけではなく、そのすでにあるものがバッハの「羊飼いの存在を信じることによる喜び」を表現するのに適していた、と考えるほうが自然だと思います。いずれにしても、全体のバランスは決して崩れず、まとまりのあるものになっているのはさすがです。

最後の曲が第29番「我らは感謝せん、神よ、あなたに感謝せん」BWV29です。1731年8月27日にライプツィヒで行われた、ライプツィヒ市参事会員交代式において演奏された曲です。

ライプツィヒ市を庇護する神への感謝をテクストとしますが、冒頭はまさに式の開始をつげるかのような華麗なファンファーレで始まりますが、引き続く合唱部分を聴きますと、「あれ、どこかで聴いたような・・・・・しかも終末合唱だったような」。

ブックレットやバッハ事典を参照しますと、どうやらこの曲も幾つかの原曲があって、それを編曲し再使用したようです。市参事会は毎年交代式があり、しかもその音楽担当はバッハでした。そのため、曲が必要になるわけですが、それだけの曲を作曲する暇はトーマスカントルであるバッハにはなかなかなかったでしょう。そのため、所謂バロック期特有の「使いまわし」をすることになります。

ブックレットによれば、毎年交代式があったにも関わらず、残っている交代式用の教会カンタータ(交代式は礼拝で、ニコライ教会で行われていたため)は5つしかないそうで、となると他は散逸したか、他の作品に転用されているということになります。

この曲の特徴はなんといっても冒頭の管弦楽のファンファーレです。オルガンまで繰り出しての祝祭ムードの盛り上げは、聴き手を一気に式の最中へと引き込みます。

演奏面では、このCDは国内盤なので鈴木氏の制作ノートが日本語で読めるのですが、それによると、第29番ではオルガンの調性に苦労したようです。そんなことは聴き手からは全く判断できず、ただそこには素晴らしいアンサンブルがあるだけです。ただ気になったのは、第112番でのトランペットがひっくり返るかどうかの寸前で踏みとどまっている点です。これ、BCJでは非常に珍しいことだと思います。

で、ふと演奏日時を見てみれば、2011年なんですね。つまり、東日本大震災後。いつも冷静なBCJもさすがに、ちからが入りすぎたかなあと思います。これが、バロック曲の難しい点だろうと思います。

私がつねに述べております、「バロックは軽めの演奏のほうがいい」というのは、まさにこういうことが起こり得るからでもあるのです。実際にコラールを歌ってみますと、力まかせではまったくうまく歌えません。軽めの発声とそれを支える腹筋、背筋を意識しないと難しいのです。ちからを入れるべきは筋肉であり、口でものどでもないのです。

BCJはそこをしっかりと押さえながらも、多分湧き上る感情を抑えることができなかったのでしょう。それでも、さすがはプロ。きちんと聴ける範囲内に収めています。ですのであまり気にならず聴けるでしょう。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第140番「目覚めよと、我らに呼ばわる声」BWV140
カンタータ第112番「主はわが頼もしき羊飼い」BWV112
カンタータ第29番「我らは感謝せん、神よ、あなたに感謝せん」BWV29
ハナ・ブラシュコヴァ(ソプラノ)
ロビン・ブレイズカウンターテナー
ゲルト・テュルクテノール
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(キングレコード KKC-5349)※輸入盤ではBIS-1981

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。



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