神奈川県立図書館ライブラリ、今回から6回にわたってルドルフ・ケンぺ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のコンビのベートーヴェン交響曲全集を取り上げます。
この全集を借りて来たとき、某SNSでは「それは宝物ですよ」と言われたのを思いだします。県立図書館にはいくつか全集があり、すでにクリュイタンスのを取り上げていますが、その時からこの全集を借りることを視野に入れていました。
私は今、借りてきたものは外付けHDに入れているわけですから、全集はどんどん積極的に借りて保存しておくべきだと、その時考えていました。全集は普通、CDであればボックスになっていますから棚では場所を取るものですが、データであればディスクのリソースを使うだけで少なくとも実際に場所を取るわけではないからです。
クリュイタンスと比較しても面白いのですが、今回は演奏の魅力にフォーカスを当てたいと思います。ただ、その中でたまたまクリュイタンスとの比較はするかもしれません。
まず、ケンぺという指揮者をご紹介する必要があるでしょう。多くのクラシックファンには説明する必要はないかもしれませんが・・・・・
ルドルフ・ケンペ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%9A
そもそも、両親が音楽家ではないと言うところに、ケンぺの音楽の原点があるように私は思うのです・・・・・
その上で、まあ、演奏はウィキの説明そのものです・・・・・としてしまえば、エントリを立てる意味はないわけで、わたしなりの説明をしていきたいと思います。
その前に。ミュンヘン・フィルの説明をする必要があると思ってもいるのです。
公式HP
http://www.mphil.de/
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3
ミュンヘンには代表されるオケが二つあり、そのもうひとつがバイエルン放送交響楽団なのですが、マーラーの交響曲でかなり取り上げています。バイエルン放送交響楽団は公共放送のオケ、ミュンヘン・フィルはミュンヘン市のオケという違いがあります。そのせいか、ミュンヘン・フィルはあまり録音が多くはないという団体です。特に、チェリビダッケの時にその傾向が強かったせいか、ケンぺの時には一つのブームが起こっています。
日本でいえば、N響と東京都交響楽団との関係に近いわけです。それぞれ、所属が異なることから目的とするところが異なるわけで、それが在京オケの豊かさとなっているように、ミュンヘンでもその違いが誇りとされているわけです。私はその誇りはうらやましいなと思います。日本のクラシックファンで、在京オケの多様性を挙げる人が、いったい何人いらっしゃるでしょう・・・・・・結構、多様性あるんですよ。3つくらい聴きますと、本当に気が付かされます。
さて、話を戻しましょう。庶民的なケンぺと、同じく公務員であるミュンヘン・フィルが出会ったこの全集は、実にどれを切っても素晴らしい演奏が目白押しです。勿論、時代ゆえ「飾り付け」、つまりイコライザをいじっている部分もあるのですが、それも含めて、素晴らしい演奏ばかりとなっています。
この第1集に収録されているのは、第1番と第5番。そう、いきなり「運命」が来るんですよねえ。にくいです、この編集。
まず第1番ですが、第1楽章がとても熱いです。速めのテンポでオケをぐいぐいとケンぺが引っ張っています。それを受けた第4楽章も早めのテンポで、聴き手の心を鷲掴みにしていきます。まだモーツァルトやハイドンの交響曲を研究してきました〜っていう色が出ている第1番が、とても新鮮に映ります。すでにベートーヴェンの自家薬篭中じゃないの?と思わせるのに十分です。
その勢いのまま、第5番が始まると言っても過言ではありません。収録年月日が分からないので(たぶん、書いていなかったと思います)、同じ年或いは年月日に収録したかどうかまでわからないのですが、まるで同じ日に収録したかのように第5番へと入っていくのです。
快速の第1楽章。しかし、第1主題は最後の音をきちんと伸ばしています。それが緊張感を高め、気品と気高さを備えるに至っています。第2楽章もゆったりとしたテンポの中に、緊張感と気高さを備え、続く第3楽章と第4楽章を準備します。
そして、第3楽章と第4楽章。私は「勝利の音楽」と呼んでいますが、その部分はドラマティックです。かつ、第4楽章はとても美しい・・・・・
宮前フィルの演奏を聴いた時、実はこのケンぺのものも聴いて望んでいます。
コンサート雑感:宮前フィルハーモニー交響楽団第33回定期演奏会を聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/756
実は、クリュイタンスのも含め、この全集が私の「運命」観を根底から変えたと言っても差し支えありません。特に、第4楽章の解釈についてなのです。今まであれば、とにかく激しい演奏を求めていた私が、ケンぺとクリュイタンスで「本当にそれが、勝利の音楽であるのか?」と反芻するきっかけを与えてくれたのです。
勝利とは何でしょう?それは人間にとってどんな意味を持っているでしょう?皆さんはどう考えますか?それを私に考えさせたのが、クリュイタンスとこのケンぺ/ミュンヘン・フィルのものだったのです。
多分、私自身が、いろいろ悩んでいたところに、この演奏が舞い降りてきた・・・・・そういってもいいのかもしれません。自分の自尊心とはなんであるか、そして勝利とはどのようなものか・・・・・自分の考えているものは果たして自分自身が本当に求めているものなのか?
回答が出たわけではありませんが、一つの方向性を与えたのは間違いないと思っています。激しくも美しい演奏。それこそ、自分が求めていたものではないのだろうか?と。
それに気づかせてくれたのが、特にこのケンぺのでした。そしてそれを後押ししたのが、宮前フィルだったのです。
それは何も第5番に限った話ではありません。第1番もそうなのです。今までモーツァルト的だと思ってさして聴いてこなかった第1番に、たくさん魅力があると気づかせてくれたのも、ケンぺ/ミュンヘン・フィルのコンビの、この全集だったのです。テンポが変わるだけでガラリと雰囲気が変わり、緊張感と気高さが備わることを教えてくれたのがこの全集です。
今では、クリュイタンスのよりも頻繁に聴くようになりました。端正ながら、しかしドラマティックで劇的で、激しさを持つこの演奏は、私が持っている演奏の中でも1、2位を争う演奏となっています。
くり返し?そんなもの関係ありません。勿論、こだわってはいますが、以前よりはそんなことにこだわっていません。この演奏が持つ普遍性と精神性が、私の心にしっかりと語りかけて来るからです。君の勝利とは、いったいなんであるか?と。
聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第1番ハ長調作品21
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
ルドルフ・ケンぺ指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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