かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ヴィヴァルディ 和声と創意への試み1

神奈川県立図書館所蔵CD、今回はヴィヴァルディの「和声と創意(インヴェンション)への試み」を取り上げます。ローラの指揮とヴァイオリン、フランツ・リスト室内管弦楽団の演奏です。

え、そんな曲ヴィヴァルディにありましたっけ?「四季」なら知っていますけれど・・・・・という、そこのア・ナ・タ!それ、それなんです。

ヴィヴァルディの「四季」とはそもそも、「和声と創意への試み」の中から4つを抜き出したにすぎないんです。

四季 (ヴィヴァルディ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%AD%A3_(%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3)

ではなぜ、四季だけがその中で有名で、独立して演奏されるのかといえば、実は「和声と創意への試み」が成立するよりも前にすでに完成されていて、演奏されていたからなのです。

ヴィヴァルディに限らず、バロックではこういったことはよくある話で、けっして不自然なことではありません。先日ご紹介したコレッリの合奏協奏曲もそういった経緯を持っています。ですから、私はバロックに興味を持ったのです。それが今では、新古典主義音楽への興味まで至りましたが・・・・・

さて、この作品は基本的に協奏曲集です。しかも、音楽史に於いてとてつもなく重要な作品です。バロックにおける協奏曲を、古典派的なものへと変えたものであるからです。

以前、「マイ・コレ」のコーナーで「四季」を取り上げていますが、その時にこう述べているかと思います。

「この「四季」ですが、本来は「和声とインヴェンションの試み」のうちの、協奏曲集8曲のうち、四季の名称がついたものをさします。しかし、今改めて聴いてみますと、そんなことより、この曲がいかに革新的だったのかを実感しています。

この曲は、ヴィヴァルディの作曲ですから当然バロックの曲ですし、編成もいかにもバロックです。しかし、その構造は・・・・・あれ、これってバロックだったっけ?

ヴァイオリンが必ずしも独立せず、オケとアンサンブルをしている・・・・・つまり、はっきり言って「ヴァイオリン協奏曲」であるわけです。そうなりますと、もう古典派、あるいは前期ロマン派です。少なくとも、バロックであるにも関わらず、構造的にベートーヴェンの時代とほぼ一緒・・・・・・

これは、前にモーツァルトのピアノ協奏曲でも少し触れたことがあったと思いますが、古典派以前は、独奏楽器の演奏があるときには通常オケはお休みです。それが、これはバロックであるにもかかわらず、オケと普通に一緒に演奏しています。

私はこれを初めて聴いたとき、「それは当たり前だ」と思っていましたが、協奏曲の歴史を紐解いていきますと、それは当たり前ではないということに気がつきました。なんとこの曲は革新的だったのか・・・・・

曲の解説などは他にまかせて、私はこのブログではこの革新性を強調したいと思います。しかも更に革新的なのは、それぞれにソネットが書き込まれていて、標題音楽となっている点です。これもバロックではあまりないですし、またその写実性も素晴らしいがゆえに、バロックの範疇を超えています。

これだけのことを私は通り過ぎていたのかと思うと、もっとバロックの音楽へのアプローチを変えるべきなのではないかと私自身は思っています。」

マイ・コレクション:ヴィヴァルディ 四季 イ・ムジチ/カルミレッリ
http://yaplog.jp/yk6974/archive/396

だからこそ、私はこの音源を借りたのです。では、纏められた他の作品はいったいどうなっているのかが、知りたくなりますよね?

実は、まとめられているすべてが「四季」と同じような革新性を持っています。3楽章の急〜緩〜急です。これはバロックではあり得なかったことなのです。

え、バロックだってそうでしょ?だって、バッハがそうなっていますからとも言えますが、バッハはバロック期の作曲家としてはもっとも後の作曲家であり、むしろバロック最後の作曲家と言っていいと思います。ヴィヴァルディもそういった作曲家の一人であると言えるでしょう。

それを示す一つの作品が、この「和声と創意への試み」なのです。だからこそ、学校教育では「四季」を音楽鑑賞の時間で取り上げるというわけなのだと、この音源を聴いて理解したのです。皆さん、中学校の音楽の時間で、「四季」はどういった作品であると習ったか、覚えていますか?私ははっきりと「和声とインヴェンションへの試み」のうちの作品であると習っています。でも、なぜそれを強調するのかといえば、この作品が古典派に先駆けているから、なのですね。

つまり、極端なことを言えば、ヴィヴァルディはバロックの作曲家というよりは、古典派、或いは多感様式期の作曲家だと言ってもいいくらいなわけなんですね。それゆえ、大バッハの息子達がかすんでしまっているのはかわいそうですが・・・・・

バッハは明らかに、この作品などから影響を受けて、協奏曲を書いているということなのです。そしてそれが、大バッハの息子達を通じで古典派に受けつがれ、ロマン派で花開く・・・・・そういう歴史を辿るわけなのです。だからこそ、重要なのですね。

で、演奏はと言えば、音楽史を踏まえたうえで、すこし中途半端になっているなあという気がします。必ずしもリフレインで弱くなっているわけではないんですが、全体的には弱くなっています。バロックというよりはむしろ古典派的なアプローチをしているのは確かですが、完全ではありません。

しかし、明らかにピリオドを意識している演奏は好感で、それがとても自然です。四季に於いてはまるで絵画が見えるかのようになっていますし、装飾音に少し違和感を感じる点以外は、特段問題ないと思います。少なくとも、この1つ目に関しては・・・・・

第2集では、もう少し他の作品や演奏について触れようと思います。



聴いている音源
アントニオ・ヴィヴァルディ作曲
「和声と創意への試み」作品8
協奏曲第1番ホ長調RV269「春」
協奏曲第2番ト短調RV315「夏」
協奏曲第3番ヘ長調RV293「秋」
協奏曲第4番ヘ短調RV297「冬」
協奏曲第5番変ホ長調RV253「海の嵐」
協奏曲第6番ハ長調RV180「喜び」
ヤーノシュ・ローラ指揮、ヴァイオリン
フランツ・リスト室内管弦楽団(装飾音:ラースロー・ツドラ&ジュジャ・ペルティシュ)



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