かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ヴィヴァルディ 和声と創造への試み2

神奈川県立図書館所蔵CD、ヴィヴァルディの「和声と創造への試み」の第2回目です。第7番から第12番までを取り上げるとともに、もう少し全体を語りたいと思います。

この第7番から第12番までは、版によっては第2巻とも呼ばれます。それは、第6番までと異なり、標題的なものがなくなるからです。

しかし、よく耳を傾けてみると、それほど音楽が変わるようには思えないのですが・・・・・しかし、若干の違いは確かにあります。例えば、「四季」の緩徐楽章にみられたような、個性的な旋律は出て来ません。

単にそれだけで、印象は確かにがらりと変わります。それで気づくのです、ヴィヴァルディがこの作品集で何が言いたいのか・・・・・

それまでは、協奏曲で何かを対象として、つまり標題音楽として協奏曲を書くことはあまりなかったわけですが、ここでヴィヴァルディはまず、おなじような音楽でも少しいじっただけで印象が変わるのだということをやってみせようとしたということなのです。

それだけではありません。前回も触れましたが、古典的な3楽章の協奏曲という様式的に新しいこともやってみせたのです。バロック音楽の旋律でです。しかし、それは全く違和感ありません。

和声と創造の「創造」とはいったい何ぞや?と考えた時、それが「新しいこと」であることに気が付かされます。全く、ヴィヴァルディって人は・・・・・

「四季」があまりにも新しすぎてこの第7番から第12番はあまり取り上げられることはないですが、確かに四季の様式と全く一緒ですし、そしてそれはまさしく古典派の様式ですし、でも、音楽はバロックである・・・・・それが「和声と創造」という意味だったのか、ということなのです。

この第7番から第12番まででも、実は四季と似た旋律を使っています。ある意味、ヴィヴァルディ自身の手で編曲、或いは引用されているということが言えるでしょうが、それはまさしくバロック的な手法であるわけです。しかし、楽章構成などの様式としては、全く新しいことをしているのです。それでいて、音楽的には全く違和感がないのが不思議な、いや、素晴らしい作品だと思います。

そういえば、ヴィヴァルディがなくなったのは、時代的にはすでに多感様式の時代の扉が開いた1741年であったという事実に、目を向ける必要があるでしょう。

アントニオ・ヴィヴァルディ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3

で、大バッハの生年と没年はと言えば・・・・・

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

当時の時間の流れ方からすれば、明らかにヴィヴァルディのほうが先輩ですが、大きな音楽史の流れから言えば、ほぼ同時代の作曲家であると言っていいでしょう。その中での先輩・後輩でしかありません。つまり、まずヴィヴァルディがそれまでの音楽を基礎として新たな時代の扉を開き、それをバッハがさらにまとめ上げ、バッハの息子達によって古典派の作曲家たちに受けつがれたと言えるでしょう。そしてそれは、それ以降印象派の時代まで基本的な様式として少なくとも形式面で残って行ったと言えるでしょう。その基礎を築いたのが、ヴィヴァルディだと言えるでしょう。

そして面白いことですが、古典派におけるヴィヴァルディの役割を果たしたのがモーツァルトだと言っていいでしょう。ではバッハは?というと難しいですね。バッハとその息子達と同じ役割を果たしたのが、ハイドンベートーヴェンであったと私は言いたいと思います。

このヴィヴァルディの作品集は、そういった歴史の流れを私たちにはっきりと示しているように思います。

演奏面では、この第2集に於いては基本的に古典派的な演奏に終始しています。古典派的というのはリフレインの部分を指すのですが、それが比較的弱く演奏されているからです。しかし完全ではありません、そこに演奏者たちの音楽観、或いは解釈というものが詰まっているように思います。もう少し思い切って古典派的にしてもよかったように思いますが、そこは学者でもある人たちです。まあいいのではないでしょうか。それでも私たち聴衆にとっては、抜けるような青空のような明るさによって、元気を与えてくれます。

この演奏を聴いて、私はバロック音楽の視点というものが完全に変わりました。そして、更に古い作曲家へと興味が向かっていったのですが、それはまた別の機会に譲ることといたしましょう!



聴いている音源
アントニオ・ヴィヴァルディ作曲
「和声と創意への試み」作品8
協奏曲第7番ニ短調RV242
協奏曲第8番ト短調RV332
協奏曲第9番ニ短調RV236/454
協奏曲第10番変ロ長調RV362「狩」
協奏曲第11番ニ長調RV210
協奏曲第12番ハ長調RV178
ペーテル・ポングラーツオーボエ、第9番)
ヤーノシュ・ローラ指揮、ヴァイオリン
フランツ・リスト室内管弦楽団(装飾音:ラースロー・ツドラ&ジュジャ・ペルティシュ)



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