かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:プーランク 鍵盤楽器のための協奏曲集1

今月のお買いもの、11月に購入したものをご紹介しています、やっと。今回はプーランク鍵盤楽器のための協奏曲集の1枚目です。大阪ワルティクラシカルセカンドハンドでの購入です。

関西の方はもうご存じなんでしょうが、ここは本当にいいお店ですねえ〜。うらやましい。え、関東にもディスクユニオンがあるでしょって?まあ、そうなんですが・・・・・

果たして、プーランクのこういったものが手に入るかなんて、わからないですよ。レーベルはエラートですが、エラートはいい編集をしているんです。以前、マイ・コレでもフォーレを取り上げているかと思うんですが、それと同じシリーズである「フランス近代のエスプリ」というもの。これがとてもいい編集なんです。

どんなことなのかといえば、まずウィキの説明を挙げましょう。

フランシス・プーランク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF

その中で、「作品」の項目があるかと思いますが、そのうちの「協奏曲」であげられている作品が、すべてこのCDには入っています。私が買いましたのは国内盤ですが、収録曲の説明はウィキに載っていますので、輸入盤でもいいかと思います。

交響曲を書かなかったので、プーランクは日本ではあまり顧みられない作曲家なんですが、フランス6人組の一人ですし、音楽史に於いてはとても重要な役割を果たしていますし、また作品も素晴らしいものばかりです。ですので、このブログでもかなり早い時期に合唱曲「人間の顔」を取り上げていますし、今年に入ってからは室内楽も取り上げています。

まず今回取り上げる1枚目に関しては、キーワードは明らかにフランス6人組だと言っていいでしょう。つまり、「新古典主義音楽」です。

1曲目は、「オルガン協奏曲」とも呼ばれるオルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲です。ウィキの説明を上げておきましょう。

オルガン協奏曲 (プーランク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF)

オルガン協奏曲としか紹介していないウィキに私は一票を入れます。聴いていて本当にティンパニは協奏しているとは言い難い点があるためです。勿論、いいアクセントにはなっているですが・・・・・

ただ、私はウィキの「作品の特徴」欄にはすこし違和感を覚えます。勿論、述べられている点はあると思うんですが、もうひとつ足りない点があると思っています。それは、弦楽のみというのは私としてはむしろバロックに範をとっているが故であると思うからです。ウィキの記述はそれの結果であろうと思っています。

バロック時代の編成は、基本的に弦楽のみです。合奏協奏曲のような作品を演奏するときなどにソリストとして管楽が入るというのが基本だからです。それにまず準拠したこと、そしてオルガンの特徴を考えてだと思います。ppではオルガンがあまりはっきりと聴こえてきません。この場合のオルガンとはパイプオルガンを指しますが、それでもppでは音が弱く、それとのバランスと取るためというのが採用の理由だと思います。

では、楽章形式はバロックに範をとっているのかといえば、私は範を取っていると言えると思います。それが、1楽章にまとまっているという点です。勿論、これは基本的には後期ロマン派以降の集大成ですが、コレッリなどのコンチェルト・グロッソがどうだったのかを考えると、範を取ったとも言えるわけなのです。特に、室内協奏曲の楽章構成に、です。

教会協奏曲はかなり厳格ですが、室内協奏曲はかなり自由です。それとリスト以来の一楽章というものがここで融合したと、私は考えています。ここでは、演奏面でバロック的な青空の中に不協和音が見事にマッチしているという、まさしくプーランクが評される「ガキ大将と聖職者が同居している」という側面を聞き取ることが出来ます。バッハのオルガン曲から私たちが持っている印象をくつがえすだけの品質を、演奏はしっかりと持っています。冒頭のオルガン独奏はまさしくバロック的な響きで大音量で鳴りますが、しかしそれがだんだん20世紀的になっていくさまが、しっかりと表現されています。

次が「田園のコンセール」です。以前、私はこの曲が聴きたい!とこのブログで述べたかと思いますが、実はそれがこのCDを購入する伏線になっています。

田園のコンセール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%9C%92%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AB

基本的にウィキの説明でいいと思います。しかし、重要なのはこれもバロック的な側面なのです。18世紀というのはわかりやすく西暦でいえば1700年代ですが、私はさらにもう一世紀前の17世紀だろうと思っています。なぜこの曲が「田園」なのかといえば、第2楽章にシシリアーノがあるからでしょう。

以前にも、そして最近もコレッリで述べましたが、田園とシシリアーノが組合わさると、クリスマスを意味するのです。しかし、20世紀ではそれは表面的なものとなり、単にバロック期の音楽様式を意味するだけになっていることが、この作品からはっきりとわかるのです(初演は1929年の5月)。シシリアーノがあるからこそ、田園を意味するのです。バロックではクリスマスを表わすためのセットですから。

この作品ほど、実はプーランク新古典主義音楽勃興の一人であると言えるものはありません。委嘱したワンダ・ランドフスカは当時クラヴサンの復興運動を起こしていました。

ワンダ・ランドフスカ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AB

そして、プーランク自身もクラヴサンに興味を持っていました。そもそも、プーランクもフランスバロックの作曲家たちには興味を持っていたからです。それは19世紀末のドビュッシーがまいた種だったのです。

クロード・ドビュッシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC

ドビュッシーピアノ曲を作曲するときにフランスバロックの作曲家、例えばラモーやクープランといった人に影響を受けています。その延長線上にあるのです。ドビュッシーの場合はクラヴサンの運指でしたが、プーランクの場合は様式であるわけです。

しかし、田園のコンセールの場合、様式的には古典派も入ります。自由な楽章構成が最先端と言われた時代に、この作品は実に楽章構成は古典的な急〜緩〜急です。しかし、音楽はバロックと20世紀が融合した、誠に旋律線がはっきりとしている作品で、私は室内楽も含め、プーランク入門編としてこの作品を挙げたいと思います。

全体的なバランスという点でも、私は古典派も念頭に置いていると思っています。というのは、この演奏ではクラヴサン、つまりチェンバロなんですが、pやppではどうしても非力になるところで、オケは管楽器もこの作品では含んでいるにもかかわらず、けっしてオケに埋没していないという点なのです。それは古典派が均整美、つまりバランス重視の時代であったという点を十分理解したうえでの作曲であるということを私たちに想起させます。そのためにプーランクが選んだ技法は、モーツァルトの初期のクラヴィーア協奏曲でも使われている、オケが演奏するときは独奏楽器は休み、独奏楽器が演奏するときはオケが休むという方法なのです。

オケはモダンであるにも関わらず、全く埋没していない点はプーランクの作曲技法の素晴らしさを意味すると同時に、それを十分に理解してオケも独奏者も指揮者も演奏していることを意味するのです。殊に新古典主義音楽とは、こういった理解が必要である点が、なかなか聴衆に未だ人気が出ない一つの理由なのでしょうが、わかるととても面白いと私は思っています。



聴いているCD
フランシス・プーランク作曲
オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲ト短調
クラヴサンと弦楽のための「田園のコンセール」
マリー=クレール・アラン(オルガン)
トン・コープマンチェンバロ
ジェイムズ・コンロン指揮
ロッテルダムフィルハーモニー管弦楽団
(エラート WPCS-12265)




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。