かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:マンチーニ リコーダー協奏曲集2

今月のお買いもの、10月に購入したものを取り上げています。今回はマンチーニのリコーダー協奏曲の第2集です。

前回、ウィキを取り上げていますが、実はそこにこのCDは紹介されています。

フランチェスコマンチーニ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B

「作品」の項の3番目ですね。これを知って買ったのかといえば、答えはNOです。全く知らずに買いまして、帰って来てから検索してみたら、あら、そんな素晴らしいものだったのねと驚いたのが真相です。

最近、こういったケースが幾度かあります。自分の嗅覚に驚くばかりです。私自身はそれほど名盤だと思って選んでいません。基本的に有名曲は図書館で借りてきてリッピングするという方針なので所謂世にいう名盤など、ほとんど棚には並んでいません。あったとしても、外付けHDの中にデータとしてです。ですから、驚いているのです。

多分、この作曲家がそれほどメジャーでないことが関係しているでしょう。たとえば、「マンチーニ CD」で検索してみると・・・・・

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF-CD-%E9%9F%B3%E6%A5%BD/s?ie=UTF8&keywords=%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B&page=1&rh=n%3A701040%2Ck%3A%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B%2Cp_n_format_browse-bin%3A81873051


このCDだけってことはないですが、基本的に数はすくないというのが印象でしょう。このページではヴェルディの「アイーダ」にでてくる登場人物でもヒットしていますから、実際に作曲家マンチーニのCDは該当ページにはこのCDを含め7つしかありません。ほぼ半分ですね。それでも、それだけ出ているという事実は、重要です。それだけ、知っている人は知っているということになるからです。

この第2集でも、合奏協奏曲としての彼のリコーダー協奏曲の妙味を聴くことが出来ますが、第2集では後世の基準でいえば3楽章のような曲も存在し、彼が生きた時代というものを感じることが出来ます。

実は、マンチーニコレッリよりも後の作曲家で、バッハのほうがより近い作曲家だと言えます。ですから、このCDをもってしても、まだまだ私はバロックの最盛期を聞いたとは言い難いくらい、バロックという時代は長いのです。もう一度バロックという時代を振り返ってみましょう。

バロック音楽
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD

最盛期は中期だと言えましょう。その中でも特に有名で影響力があったのがコレッリですが、コレッリよりもマンチーニは後の作曲家であるという点は、考慮に入れる必要があるでしょう。ですから、あまり顧みられないということもあるのでしょうが、しかし、時代を支えた一人であったことは、ウィキを見る限り間違いないと言えます。

その上で、リコーダーの曲を書いたのは、まさしくバロックの作曲家だなあと思います。リコーダー最盛期にそのための音楽を書く。当時としては当たり前の行動でしょう。そしてそれは、私たちに驚くべき印象を与えています。

少なくとも、このCDの演奏はそうです。オケはまあそれほどでもないでしょうが、リコーダーは私たちが義務教育で習った音の印象以上のものが表現されています。か弱いというよりは、可憐で気品があり、芯もしっかりとしています。タンギングをしないと音が出ない楽器であるからでしょうが、クラリネット同様、柔らかさだけでなく力強さも内包します。それを私は「芯の強さ」と表現しました。

ですから、オケとトゥッティしてもまったく遜色ないですし、むしろフォルテピアノよりも全体の中で目立っています。もちろん、オケのバランスもあります。カペラ・ティベリナは9人ほどのアンサンブルで演奏しています。ですから、リコーダーがうもれることもありません。むしろ勝っているくらいです。音が大きいという意味ではなく、存在感という意味です。

これを演奏時に念頭に置いているのが、例えばBCJだったり、テレマン室内だったりするわけです。わが国の団体でもしっかりとそういった団体は存在します。バランスというものはとても大事で、それぞれの時代でそれぞれのバランスがあります。それにあった編成で演奏する、しないはとても重要だと私は考えていまして、ですから事あるごとに「端正」という言葉を使うわけなのです。

私だけではありません。有名な評論家の方々はよく使う表現です。それを私も使っているにすぎません。しかし、私にとってそれは真似ではなく、その意見に対する「支持」を意味しています。実際、私は誰かの表現を真似して常に書いているわけではありません。ある批評家から「私のを参考に」というのすら一蹴しているのです。でも、幾人かの評論家の方々とその根幹は一緒になっています。

これは少なくとも、私自身の美意識からいずるものです。私自身が、「端正」を美しいと感じ、素晴らしいと感じていることを意味します。かつてはそれゆえに、所謂「名演」を避けても来ました。しかし、このブログを立て、自分で考察していくうちに、以前も述べたと思いますが、名演はこういった端整な演奏が基本にあってこそなりたつものだという信念を持っています。ようやく、いろんな評論家や演奏が言うことが理解してきた、という訳です。

それはわたしの視野を劇的に広げました。感動する音楽も素晴らしいですが、「美しい」と思える音楽も、とても素晴らしいと思っています。美しいと思えることは、感動へも通じることで、実際この演奏でも幾度か感動する場面があります。ゆっくりした前奏があって、その後主題が始まるだとか、或いは同じパターンでフーガが始まるといった部分は、美しいと感じる心がやがて感動へと変わり、それに浸るようになります。その至福の時と言ったらありません!

それを、リコーダーという、私たちが義務教育で必ず演奏させられる楽器で現実に呈示されている・・・・・それに対する驚きは、まるで宇宙空間の如く大きなものです(ちょっと言い過ぎかな)。

私は中学生の時、正課クラブ(授業としてのクラブ)でリコーダーを演奏していました。文化祭のステージに立ったこともあります。その経験から言いますと、圧倒的にバロック期の作曲家がリコーダーのための作品を書いていることを知っています。ですから当然なのですが、協奏曲だってあってもおかしくないはずなのに、今までそれを避けてきた、その恥ずかしさが、このCDを聴くたびに湧き上りますし、だからこそ、驚きと感動をもって、この演奏を聴いているのです。

是非とも、たまにはリコーダーを取り出して、演奏してみてください。さて、皆様はどれだけ今でも上手に吹けますか?義務教育で必修と言っても、それほどではない人のほうが多いかと思います。それはつまり、実際には常に使っていないと使いこなせない、素晴らしい楽器であることを意味しています。そんなことを、この演奏と作曲家であるマンチーニはしっかりと教えてくれているのです。



聴いているCD
フランチェスコマンチーニ作曲
リコーダー協奏曲第10番変ロ長調
リコーダー協奏曲第1番ハ短調
リコーダー協奏曲第13番ト短調
リコーダー協奏曲第16番ヘ長調
リコーダー協奏曲第6番ニ短調
リコーダー協奏曲第17番イ短調
コリーナ・マルティ(リコーダー)
アレクサンドリア・ニジト(オルガン)
パオロ・ペッローネ(ヴァイオリン)
カペラ・ティベリナ
(ブリリアント・クラシックス 94324/2)



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