かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:大バッハの息子達4

神奈川県立図書館所蔵CD、先週から「大バッハの息子達」シリーズをお送りしています。今回は第4回目。ヨハン・クリスティアン・バッハの作品を取り上げます。シュッツ指揮、コンセルト・アルモニコ他の演奏です。

元音源はブリリアントなので、これは図書館で借りるだけでなく、地方などの方は是非通販などでブリリアント・クラシックスのCDを検索していただいて、購入してほしいなあと思う音源です。

この第4集は、カール・フィリップよりもさらにモーツァルトに直接的な影響を与えた師匠とも言うべき、ヨハン・クリスティアンを取り上げています。まずは、交響曲です。

ヨハン・クリスティアンも、カール・フィリップと並んでモーツァルトに対する影響は様式面と、鍵盤楽器の奏法などが挙げられるかと思います。特に、モーツァルトの初期作品が持つギャラントな雰囲気とピアノ協奏曲への道を開いたという点で影響が大きいと言われます。

ヨハン・クリスティアン・バッハ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

むしろ、今日ではカール・フィリップよりもこのヨハン・クリスティアンのほうが影響が大きかったと言われてます。ですが、19世紀までは父大バッハの影に隠れ、むしろ「大バッハの音楽を衰退させた」などと評価されてしまっていたのですね、かわいそうに・・・・・

音楽を聴きますとそんなことは絶対にないと断言できます。まず、形式がすでにバロックではなく、この交響曲に関してはソナタ形式が備わっている点で既に古典派です。大バッハの音楽は形式面や編成面で批判されることも多い昨今なのに、なぜかそれより後の時代の、進歩主義から言えば大バッハよりも進んだ形式と編成なのに、ヨハン・クリスティアンの音楽は20世紀に入るまで顧みられることはなかったのです。

和声面でも、転調などがバロックとは若干異なっています。つまり本来、父大バッハと比較してもしょうがないのに、なぜに比較するのか、ということになろうかと思います。ただ、低い評価になってしまった理由もあります。それは、音楽が前衛である故に、モーツァルトのような突き抜けた美しさや、ベートーヴェンのような荘重さがないことです。しかし、これはパイオニアとして私はやむを得ないと思っています。

では、作品はプリミティヴなのかといえば、そんなことは決してありません。交響曲は凡て3楽章ですが、一楽章のようになっていたシンフォニアからは形式面で異なっていますし、その上で美しさも普通に持っています。いや、気品の良さは絶妙でしょう!ただ、その「3楽章」という点が、マイナスになっているのでしょう。

3楽章ということは、4楽章の交響曲に較べれば古い様式であることを意味します。確かに、現代の物差しで測ればそういう結論になるでしょう。しかし、私は国史学の学士です。歴史学ではこう教わります。

「歴史を研究する場合は、現代の物差しで測ってはいけない」

なのに、大バッハの功績は称えられ、それよりも進んだ様式(それは楽器の発達によることも理由です)である息子達は蔑まされてきた・・・・・国史学の常識からすれば、これはおかしな話です。20世紀になって再評価が進んでいるのは当然のことであると言えましょう。

むしろ、端的に言えば私ならこうなります。

「その当時の音楽界における功績という点から言えば、大バッハ程の功績を上げた息子達は居なかったが、大バッハの音楽を伝え、さらにそれをベースにしつつ新しい時代を切り開いていったのは彼らに相違なかった」

そう、偉大な父を持つ息子は大変なのですが、その中で自らの役割をしっかりと見つめ、果たした彼らは賞賛されるべきだと私は思います。このヨハン・クリスティアンであれば、それがソナタ形式の採用であったり、交響曲におけるはっきりとした3楽章制の採用であったりだと思います。3楽章制はイタリアやフランスで確立した様式ですが、それをいち早く取り入れて、ドイツ音楽の「交響曲」の礎を築いた功績は大バッハ以上に賞賛されるべきです。

それはやがて、ハイドンモーツァルトに受けつがれ、4楽章制として固定され、ベートーヴェンの偉大な9つの交響曲へとつながり、後期ロマン派に於いて、ブルックナーマーラーといった作曲家によって頂点を極めることとなるのですから。その基礎を築いた一人が、ヨハン・クリスティアンだったのです。

大バッハの「シンフォニア」はあくまでも序曲的な役割しか持っていませんが、このヨハン・クリスティアンのはすでに独立した作品です。もちろんそうしたのは彼ではありませんが、その様式をドイツにハイドンモーツァルト経由で伝えたのはほかならぬヨハン・クリスティアンです。

このアルバムでは実はモーツァルトにまつわる楽曲を採用していません。それはそういった曲が大事なのではなく、ヨハン・クリスティアンの作品全体が、音楽史上とても大事な位置にあるのだという、確固たる信念があってこそだと思います。ですから、モーツァルトにまつわる曲など、必要ないのです(ヨーロッパでは当たり前だからという意味も込められているでしょう)。

大バッハは少なくともパイオニアではなく、バロックの集大成と言える作曲家です。しかしその息子達は、時代の変化の中で生きた人たちでした。その中で父から受け継いだ音楽という財産を基礎に、新たな時代を切り開いていった功績は、父よりも大きいのです。その筆頭とも言うべき二人が、カール・フィリップ・エマヌエルと、このヨハン・クリスティアンなのです。

その意味を込めているのは、演奏からひしひしとつたわってきます。なぜなら、古典派作品演奏の決まりごとである、高い音は強く低い音は小さくをかなり厳格に行っていますし、リフレインを弱くもきちんと行っています。それは明らかに、チェンバロが鳴っていてバロック的な響きがありながら、様式から言えば古典派ですよねという、演奏者の意思そのものだからなのです。



聴いている音源
ヨハン・クリスティアン・バッハ作曲
交響曲ト長調作品6-1
交響曲ニ長調作品3-1
交響曲ハ長調作品3-2
交響曲変ホ長調作品9-2
交響曲ト長調作品6-6
アルフレード・ベルナディーニ、ピエルイージ・ファブレッティ(オーボエ
サンドール・エンドリューディ、ティボール・マルツカ(ホルン)
イムレ・モエール(バスーン
ペーター・シュッツ指揮
コンセルト・アルモニコ



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