かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ドヴォルザーク ミサ曲ニ長調他

神奈川県立図書館所蔵CD、今回はドヴォルザークのミサ曲ニ長調の音源を取り上げます。スメターチェク指揮、プラハ交響楽団他の演奏です。

これもドヴォルザーク大全集の中に収録されていたものになります。こういった作品が入っているのはさすが全集ですが、ありがたいことだと思います。

収録されているのは2曲で、ミサと「聖書歌詞集」の二つです。ミサ曲は1887年、聖書歌詞集は1894年にまずピアノ伴奏版として、そしてこの音源のオケ版に5曲が編曲されたのが翌年の95年となります。丁度渡米の前後の作品ということになります。

ミサ曲ニ長調は、友人のヨセフ・フラーブカが邸内に小さな礼拝堂を作った、その献堂式用にと依頼されて作曲した者です。下記サイトによれば19日で作曲されたそうで、もともとはオルガン伴奏ということです。

アリスの音楽館
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/645332/543421/65839107

確かに、オーケストレーションはやや簡素で、合唱団が前面に出るように作曲されています。しかし、この演奏では合唱団はとても力強く、クレドなどは激しさもあります。オケもそれにひっぱられたのか、熱い演奏を聴かせてくれます。とは言え、全体的には「情熱と冷静の間」のバランスが素晴らしく仕上がっています。

これはいったいどういうことなのでしょうか。私はこう推測しています。ドヴォルザークは当然のことながら、作曲時からオーケストラ伴奏を念頭に置きながら、オルガンパートを作曲したのだ、と。

こういった例は特に古典派以前の作曲家、特にバロックの作曲家では特段不思議ではない作曲技法です。特にオルガンは意外と思われると思いますが、鍵盤が多いことからオケへの編曲がたやすいと言われています。

私はここまで、ドヴォルザークは決して民族主義だけの作曲家ではないと述べてきましたが、それはこういった古典派以前の作曲家への造形が、音楽から迸るのを感じているからなのです。形式面や様式面で、彼は決して従来の作曲家たちの遺産からはみ出ることはしていません。その上で、民族主義を旋律として載せているのです。

時代的には後期ロマン派、国民楽派に属しますが、私はドヴォルザークを簡単にそうカテゴライズするべきはないのではないかと彼の交響曲を聴くたびに思ってきましたが、このミサ曲でほぼ確定だと言っていいと思います。むしろスタンスとしては後の新古典主義に近いように思います。それはおそらく、ブラームスとの関係を抜きにはできないでしょう。

しかし、前回取り上げましたように、ドヴォルザーク自身ブラームスの姿勢にも囚われていません。以前交響曲を述べた時に触れたと思いますが、ドヴォルザークは当時の様々な様式を自家薬篭中にしたうえで、自らのスタンスを貫いた人だったと思います。それが今回述べた「従来の作曲家たちの遺産からはみ出ずに民族主義を旋律に乗せる」ということだと思います。後期ロマン派にどっぷりとつかることもなく、かといって古典派回帰でもない・・・・・でも、彼の音楽からは他人の真似が一切ないという、特異で稀有な作曲家だと思います。

それは次の曲である「聖書歌詞集」でも明白です。歌曲集となっていますが、これは紛れもなくモテットです。

ドヴォルザーク/歌曲集「聖書の歌」作品99
(Antonín Dvořák : Biblical Songs, Op.99)
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Dvorak_Op99.htm

特に、最初のピアノ版に採用されている最終の第10曲「主に向かいて新しき歌を歌え」は、バッハやメンデルスゾーンがモテットとしても作曲しています。

音楽雑記帳:スウェーデン放送合唱団コンサートを聴いての雑感
http://yaplog.jp/yk6974/archive/372

オケ版に編曲されたのは最初の5曲である第1曲から第5曲ですが、歌詞はラテン語ではなくチェコ語です。ここにドヴォルザーク国民楽派としての特徴が見えますが、同時に歌詞の採用などを見ますと明らかにバッハの影を見ることが出来ます。となると、なぜドヴォルザークのこういった宗教曲があまり日本では演奏されないのかの一端が見えてきます・・・・・やはり、伝統を正しく理解していないという点に尽きると思います。西洋音楽を貫く基本はアカペラ、つまり教会における合唱です。そこからクラシックは出発しているのであって、ロックがなぜ反骨の音楽と言われるかも、それと密接な関係があるわけです。

一方器楽曲は、はじめ世俗音楽における歌の補佐、つまり伴奏から出発しましたが、やがて器楽の可能性を信じてすべてを表現しようとした先達たちがいました。その先達たちがアカペラに追いつき追い越せと技術革新をしてきた結果発展しています。その結果、器楽曲は追い越すというよりは独自の発展をする方向へ歴史は動きました。その一つの頂点が、後期ロマン派の第管弦楽曲、具体的にはマーラーブルックナー交響曲なのです。

ドヴォルザークはその歴史を踏まえたうえで、自らはそれとは少し距離を置き、チェコの文化を表現するのにあった管弦楽編成や様式を選んでいるように私は思います。特に、聖書歌詞集は歌謡的で、モテットほど堅苦しくありませんが、そこかしこに気品と気高さが漂っています。

スメターチェクは以前、同じチェコの作曲家であるスメタナの「わが祖国」を取り上げた時のCDを振っています。

マイ・コレクション:スメタナ 連作交響詩「わが祖国」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/214

祖国の作曲家を降らせたら、本当に素晴らしい演奏をするなあと思います。きちんとオケをコントロールし、合唱団やソリストにも決して熱くなり過ぎないようにしっかりと手綱を引き締めています。それでも溢れる祖国の作曲家へのリスペクトと、祖国の文化への自信と誇りが、演奏からは常に迸っています。それはおそらく、ドヴォルザークが世界に祖国の芸術を紹介した功績を、正しく評価しているからこそだと私は思います。どうだ、だから我が国は素晴らしいのだではなく、あなたの国と同じくらい、私たちの国の文化も素晴らしいのです。だからお互い、吸収しあいましょうという相互主義に基づいてドヴォルザークが作曲しているからだと思います。



聴いている音源
アントニン・ドヴォルザーク作曲
ミサ曲ニ長調B.175
聖書歌詞集(オーケストラ伴奏版)B189
マルツェラ・マホトコヴァー(ソプラノ)
スタニラフ・シュガトゥロヴァー(アルト)
オルドジヒ・リンダウェル(テノール
ダリボル・イェドリチカ(バス)
インドルジヒ・インドラーク(バリトン
チェコフィルハーモニー合唱団(ヨゼフ・ヴェセルカ)
ヴァーツラフ・スメターチェク指揮
プラハ交響楽団



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