かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:シューベルト スターバト・マーテル他

今回のマイ・コレは、シューベルトスターバト・マーテルとミサ曲第2番ト長調D167です。ケーゲル指揮、ライプツィヒ放送交響楽団他です。

このCDを買いましたのは、実はミサ曲第2番が入っているからなのですが、メインとしてはスターバト・マーテルとなっています。

まず、ミサ曲第2番ですが、1815年に作曲されたものです。時間及び内容的にはミサ・ブレヴィスと言ってもいい内容ですが、ここではミサ曲と便宜上呼ぶことにします。静謐なキリエ、堂々たるグローリア、神秘的なクレド、神々しいサンクトゥス、アリアが美しいベネディクトゥス、ひれ伏すアニュス・デイと、実に着想豊かで、美しい曲です。

ただ、この曲は、結構構造が簡単でして、私は実は少年少女オケの伴奏で歌ったのです。若きシューベルトの佳作というべき作品です。しかし、単純だからと言って粗末には扱えません。この曲、シューベルトがわずか5日でかき上げた曲なのです。その割には高いレヴェルの作品です。和声などは素晴らしく、粗末に扱えばアラが出る作品です。

シューベルトの才能がよくわかる素晴らしい曲だと思います。

次に、スターバト・マーテルです。ミサ曲第2番の翌年、1816年に作曲されたもので、実はその前年(つまり、ミサ曲第2番と同じ年)にもスターバト・マーテルを作曲しています。そして、各々歌詞が微妙に異なります。1815年の作品(D175)ではラテン語を採用したのですが、このCDに収録されている1816年のD383は、ドイツ語なのです。

わたしもスタ・バトはいくつか聴いていますが、ドイツ語のものは今のところこれだけしか聴いていません。時代的にはドイツ民族主義の勃興期に当たりますから、その影響もあるのでしょうが、ブックレットにはそのあたりまでは書かれていません。しかし、訳者がフリードリヒ・ゴットリープ・クロップシュトック(1724-1803)であることを考えますと、あながち無関係ではないだろうと思います。

フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF

ただ、ドイツやその周辺国の作曲家が常にドイツ語のテクストを使ったわけではないので、シューベルトが強烈な民族主義によってドイツ語テクストを採用したわけではないでしょう。むしろ、単なる時代の空気で、私もドイツ語で作ってみようというのがきっかけだと思います。

そもそも、この2曲とも、テクストとしては公認のものと多少の差違があるのです。その点から見ても、ドイツ民族主義によってと言うところとはちょっと違うように思います(ブラームスの「ドイツ・レクイエム」とはその点が違います)。

ドイツ・レクイエム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0

むしろ、モーツァルトの「魔笛」など、ドイツ語を使おうという運動の延長線上だと解釈すべきでしょう。だからと言って、愛国心からではないとまでは言えません。愛国心があったからこそ、ドイツ語のテクストを選んだのは間違いないでしょう。

音楽としては、祖国を想うものとは距離があります。二つとも全体的には甘美で気高い音楽で貫かれています。いや、スターバト・マーテルに関しては清潔感すらあります。若きシューベルトの想いが、切々と伝わってきます。

そもそも、スターバト・マーテルはその歌いだしから2種類に分けられます。イエスが生まれたことを賛美する内容と、イエスが十字架にかけられ、処刑されることを悲しむものとです(そのため、このCDのブックレットでは通常の「悲しみの聖母」ではなく、「御母はたたずめり」という訳を与えています)。ここでは後者の内容ですので、まず最初の曲は悲しみが底流を流れる、切ない曲となっています。その上で、ミサ曲第2番でも使わなかったフーガを途中の曲で大規模に使用する(第7曲「彼らは王座を受け継ぐ」)など、彼のこの曲に掛ける情熱がありありと見て取れます。

それはたとえば、ペルゴレージでは様式によって悲しみを表現していたのに対し、このシューベルトでは明らかに感情を表に出す音楽となっているなどがそうで、とてもロマン派的だと思います。

演奏面では、ケーゲルはとても細部まできちんと表現することをオケや合唱団に求めつつ、ドラマティックな音楽を創り上げています。ロケーションは記載がないですが、恐らくキリスト教会であろうと思います。残響が目立つのがその証拠ですが、それでも細部が分かるのは素晴らしい点だと思います。ただ、残響が多い故に、再生装置によっては聞き取りにくいことも有るでしょう。ぜひ一度パソコンで聴かれることをお奨めします。ケーゲル党の方にはたまらない演奏だと思います。情熱的でかつ端整さもあるという演奏は、ケーゲル特有のものだと思います。

ソリストも、その後東独あるいは統一後のドイツでも個性的な実力派揃いで、特にソプラノのマグダレーナ・ハヨーショヴァ―とテノールエバーハルト・ビュヒナーはスウィトナーの第九でも素晴らしい歌唱を聴かせてくれています。

マイ・コレクション:ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/217

それにしても、旧東独では教会での演奏が多い(それは政治的な意味もありますが)のに対し、西側ではなかなかなかったことを考えますと、ケーゲルという指揮者の偉大さを、いま実感させられます。



聴いているCD
フランツ・シューベルト作曲
ミサ曲第2番ト長調D167
スターバト・マーテル ヘ短調D383
マグダレーナ・ハヨーショヴァ―(ソプラノ)
エバーハルト・ビュヒナー(テノール
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス)
ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮:ゲルハルト・リヒター
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送交響楽団
(徳間ジャパンDeutsche Schalplatten TKCC-15080)


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