かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ドヴォルザーク テ・デウム他

今回の神奈川県立図書館所蔵CDのコーナーは、前回に続きドヴォルザーク大全集の宗教音楽のものから、テ・デウム他を取り上げます。ノイマン指揮、チェコ・フィル及び合唱団他の演奏です。

え、テ・デウムってブルックナーじゃないの?と思われるかもしれませんが、テ・デウムはモーツァルトも作曲している比較的ポピュラーな宗教音楽です。

テ・デウム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A6%E3%83%A0

ドヴォルザークのものの特徴としては、以下のサイトの方が詳しいと思うのですが・・・・・

クラシック音楽の泉
ドヴォルザーク テ・デウム
http://blogs.yahoo.co.jp/kithi02jp/32755025.html

確かに、4楽章と考えれば交響曲的な側面があります。ただ、それだけではないように私には思えるのです。

というのは、この音源のカップリングが、詩篇149番と賛歌「白山の後継者たち」であるということです。

まず、この二つがカップリングされているということは、テ・デウムも当然ですが、宗教曲として作曲されているということを示すものなのですが、それだけではありません。ドヴォルザークがいかなる作曲家から影響を受けているかという点でも、重要なのです。

テ・デウムの第2楽章冒頭、聴き慣れた旋律がいきなり聴こえてきます。え、今聴いているのは、ドヴォルザークだよね・・・・・なんでここで、ワーグナー

ワーグナーの楽劇「ニーベンルグの指環」で何度も用いられるモティーフで、Tu rex gloriaeと歌われるのです。

しかし、コアなクラシックファンの方であれば、疑問を持つでしょう。ドヴォルザークブラームスによって見出された人のはず。なんで反するワーグナーの旋律を?と。

ドヴォルザークの音楽は、けっしてブラームス礼讃のものではありません。民族色を前面に出しながらも、国粋主義とは一線を画しています。また反ドイツ音楽でもありません。だからこそ、チェコ国外でも人気を博することが出来ただろうと私は考えています。

テ・デウムはそもそも、「アメリカの旗」として作曲される予定であった作品で、歌詞が来ないことから、テ・デウムとして作曲されたという経緯をもちます。ワーグナーの「ニーベルングの指環」はヨーロッパに広くある「世界樹伝説」など幾つかの世界創造神話にもとづく作品で、アメリカという国家が成立するのと似た経緯を持っています。田舎生まれでしたが決して井の中の蛙ではなかったドヴォルザークからすれば、ワーグナーのその旋律がふと頭をよぎってもおかしくはありません。しかも、ドヴォルザークは決してブラームス礼讃ではないわけですから、ワーグナーの音楽を使うことに特段迷いはなかったでしょう。

さらに、実はワーグナーアメリカにまつわる曲を書いてもいるのです。

マイ・コレクション:ワーグナー 管弦楽曲
http://yaplog.jp/yk6974/archive/899

この時、2曲目に大祝典行進曲「アメリカ独立100周年行進曲」をご紹介していますが、こういった曲が書かれていたことが念頭にあった可能性を、テ・デウムは如実に示しているのです。つまり、アメリカを讃える作品を以前書いているのは、ワーグナーだ。とすれば、彼の旋律から引用する必要があるのではないか・・・・・そう考えても不思議はないわけですね。

兎に角、歌詞は来ないためどういった旋律で作曲していいのかが分からないわけですから、手元にある情報を頼りに、形にする必要があったことでしょう。そして、形になったのがこのテ・デウムであったということです。第1楽章冒頭のいかにもお祭りが始まるということを示すようなティンパニ連打は印象的ですが、そこからして単なる賛歌ではなく、アメリカ発見400年祭の作品としての「アメリカの旗」が念頭にあったことは明らかな旋律です。

2曲目の詩篇149番はメンデルスゾーンなどの影響を見ることが出来ます。旋律としてではなく、様式においてということですが、最初この作品は男声合唱として作曲されたという点が重要なのです。旋律はともすればチェコのお祭りが始まるかと思わんばかりですが・・・・・

というのも、先日中大混声合唱団のコンサート評でも言及しましたが、女人禁制だった教会では、グレゴリオ聖歌は男声のみで歌われたのです。まずその伝統を踏まえながら、詩篇第149番という比較的ヨーロッパでポピュラーな題材を選んでいます。その上で、自らが立脚する民族主義に基づいて旋律を創っています。

メンデルスゾーンも同様に、バッハ再興をしつつ自らのロマンティックな音楽を崩すことはありませんでした。ドヴォルザークはコンクールに応募するため、様々な西洋音楽を研究したことでしょう。その時の蓄積が、この詩篇第149番でいかんなく発揮されていると言えるでしょう。

3曲目の賛歌「白山の後継者たち」は1873年と実は彼の合唱作品の中でも早い時期の作品で、彼の作品全体の中でも比較的早期の作品でもあります。歌詞はチェコ語であり、題材もとても民族的なのですが、一部ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」のクレドから旋律を引用しています。ベートーヴェン民族自決の考えを持っていた愛国心のある作曲家でしたが、そのエピソードが念頭にあったと考えていいでしょう。これを理解するためには、ヨーロッパにおける宗教闘争と、チェコの歴史を紐解く必要があり、本来はこの曲だけで一つエントリを立てる必要があります。

白山の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

この戦いが念頭にあったからこそ、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスからの引用を思いついたと考えるのが自然です。私はそこから一歩踏み込んで、それは一種のレトリックであり、実はそこから聴き手に第九をイメージさせ、チェコの独立というものを即す目的があったと考えています。もしそれが正しければ、この作品も民族色が強い作品でありながら、実はバッハからの伝統に基づいた作品だと言えるでしょう。そもそも、引用という手法からはバロック音楽が想像されます。

また、3作品全体に言える特徴ですが、音楽が歌詞とマッチしている、特にリズムがあっているという点が言えるでしょう。そして宗教曲でありながら、彼自身の音楽性からはみ出していないという点も特筆すべきでしょう。それはある意味、モーツァルトからの伝統をつけ継ぐものでもあります。これは宗教曲だからこそはっきりとする、ドヴォルザークの音楽の特徴ではないかと思います。

演奏面では、合唱団のアンサンブルの高さが素晴らしいのですが、最後の「白山の後継者たち」では若干気持ちが先行してしまって和声が濁りがちになっているのが気になります。しかし問題になる程度ではなく、プロですからそのあたりはバランスは取れています。むしろ、自分たちのうちからあふれ出る気持ちをどう抑えて、美しいものとして表現していくかに苦心しているのが分かります。みずからの国の作品を表現するというのはこれほど大変なのだなと改めて感じます。その分、最初のテ・デウムはアメリカ音楽の和声もある分、「情熱と冷静の間」がきちんと取れた歌唱が出来ているなと思います。もちろん、オケもわきまえてしっかりと支えています。

派手さも、知性も兼ね備えたこういった合唱曲、もっと聴かれてもいいのになあと思います。日本ではやはり、アマチュア合唱団に頑張っていただくしかないのかもしれませんが・・・・・




聴いている音源
アントニン・ドヴォルザーク作曲
テ・デウム 作品103B176
詩編第149番 作品79B154
賛歌「白山の後継者たち」作品30
ガブリエラ・ペニャチコヴァー(ソプラノ)
ヤロスラフ・ソウチェク(バリトン
インドルジヒ・インドラーク(バリトン
チェコフィルハーモニー合唱団(合唱指揮:ルボミール・マートル)
ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団



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