かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:BCJバッハ世俗カンタータ全曲演奏シリーズ2「狩りのカンタータ」

今月のお買いもの、今回からはしばらくようやく9月に購入したものをお届けしたいと思います。その1枚目はBCJの新シリーズ、バッハの世俗カンタータ全曲演奏シリーズの第2集です。

7月にコーヒーカンタータ世俗カンタータを取り上げていますが、それが第1集となって新たなシリーズとなった模様です。

今月のお買いもの:バッハ 結婚カンタータとコーヒーカンタータ
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1011

BCJのサイトでは「新たな」シリーズとははっきり言及がないのですけれど、恐らく間違いないでしょう。以前から、鈴木氏は教会カンタータの次は世俗カンタータをと言ってきているのですから。

BACH COLLEGIUM JAPAN
http://www.bach.co.jp/japanese_page_top.htm

さて、今回取り上げているのは二つの世俗カンタータです。

カンタータ第208番「楽しき狩こそわが悦び」BWV208
カンタータ第134番「日々と年を生み出す時は」BWV134a

まず、第208番の所謂「狩りのカンタータ」ですが、1713年2月27日にヴァイセンフェルスで初演されました。バッハ事典によりますと、新説では1712年とも言われているこの作品は、ザクセン=ヴァイセンフェルス公クリスティアンの誕生日を祝うために作曲されたもので、現存する彼の世俗カンタータのうちで最古のものです。にしてはかなり絢爛豪華な部分もあって、確かに誕生日を祝うためのものであるなあと思います。オペラが盛んであるヴァイセンフェルスの郷土色も影響しているようです。

なぜ「狩りのカンタータ」と呼ばれるかといえば、この作品によって祝われたクリスティアン公が狩好きであったため、聖霊や女神、牧神らに語らせる形で狩の素晴らしさを讃える内容になっているからです。

楽しき狩こそ我が悦び
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%8D%E7%8B%A9%E3%81%93%E3%81%9D%E6%88%91%E3%81%8C%E6%82%A6%E3%81%B3

ウィキの方がバッハ事典よりは若干詳しく説明してくれています。ただ、この作品の成立には、バッハがそもそもこの地方と関係が深いということもあったようです。

I招聘教授の談話室
ドイツ旅行記(9)−−ヴァイセンフェルス ―
http://prof-i.asablo.jp/blog/2012/06/26/6492184

妻であるマグダレーナの出身地であったという点も、興味深い点です。恐らく、妻からこんな地方だという知識を得ていたのでしょう。そこで、狩をテーマに絢爛な音楽を編み出したと言えるでしょう。

この第208番はいきなりレチタティーヴォから始まります。こういった場合、教会カンタータなら宗教説話があったか、なかったなら何か別の器楽曲から持ってきてシンフォニアなどに使ったという推理をするところですが、この第208番はブランデンブルク協奏曲BWV1046aが用いられたようで、BCJもそうしています。ですので実際の第1曲目はBWV1046aとなっています。確かに、いつか聴いたことのある曲だなあと・・・・・

こういったことはバッハでは当たり前ですけれど、それが違和感ないのが、聴いていて感嘆する点です。

実は、次の第134番もそういったアレンジ曲です。その原曲と言ったほうがいいでしょう。第134番は以前教会カンタータとして取り上げています。

マイ・コレクション:BCJ バッハ教会カンタータ全曲演奏シリーズ18
http://yaplog.jp/yk6974/archive/990

「次に、第2曲目の第134番は次の日1724年4月11日に初演されたことになります。それにしても、たった5日間で数曲を演奏するとなると、ものすごい負担であったはずです。それは確かにパロディーカンタータでなければ、とても解決しなかったことでしょう。そしてこの曲もケーテン時代の作品の改作です。もともとは8楽章あったものを6楽章に縮め、歌詞も当日の説教に合うよう変えています。作詞者は第66番と同じだとされていますが、誰とはわかっていません。」

とその時に述べましたように、その「ケーテン時代の作品」こそこの第134番です。BWVは134aとされています。以前さらに1731年に再演された時のヴァージョンもご紹介していると思います(BCJがアルバムとして出しているため)。

このケーテン時代のオリジナルは、8曲ありまして1724年に教会カンタータとして使われたものはこのオリジナルから第5曲目と第6曲目を抜いて6曲にしています。1719年1月1日に初演された新年祝賀用のカンタータで、そのため、神の摂理(将来)と時間(過去)との対話で音楽が進んでいきます。

こういった点は、日本のお正月と何ら変わりないのだなと教えてくれます。というよりも、本来クリスマスのいろんな行事というのは日本の正月同様の視点から発生しているということは知っておいていいと思います。

ですから、私はキリスト者の方から奇異な目で見られることがあります。キリスト教徒ではないのに、なぜバッハを聴くのですか?と。ただ、私としましては敬虔なとは言えませんがごく普通の日本人だと思いますので、だからこそ聴くのですと答えることにしてます。この対話は例えば、除夜の鐘が鳴っていて、ゆく年くる年を各々頭の中で浮かべながら神社へお参りに行くというのと、どこが違うのでしょうか。

こういった点は、実に日本人の宗教心と似た点を持っています。実際キリスト教自体が、日本に於いて神仏習合が起こったのと似た経緯を辿って発展しています。ですから私はこの作品を聴くことが出来るわけなのです。確かに、宗教的にコアな部分までは理解できないかもしれませんが。しかし、この第134番に限っては、教会カンタータではなく世俗カンタータです。猶更、理解しやすいのですね。

演奏面では、BCJがまったく手を抜いていないのが好感をもてます。第208番は当然として、そのシンフォニアとして使われているBWV1046aは2度目(BCJはすでにブランデンブルク協奏曲を収録しているため)、第134番は3度目なのに、手を抜くどころかさらに演奏は精緻なものになっていまして、舞曲では思わず踊ってしまいます。世俗カンタータですから踊ってもまったく問題ないわけなのですが、それをすでに宗教曲として収録しているという点に、本来は素晴らしさがあるのですが、なかなか評価されていないのが残念です。

舞曲、平たく言えば踊るということは、たとえば今巷ではクラブがはやっているように、人間が本来持つ本能であるとも言えます。それをきちんと踊れるように演奏するためには、舞曲としてしっかりと演奏しないといけないわけですが、踊りであるからこそ卑下されているという点も否めないでしょう。しかし、ではなぜ、日本には盆踊りがあるのでしょう?バッハが舞曲を教会カンタータで使ったのは、同じ思想が根底に流れているからなのですね。

それを宗教的な束縛がない世俗カンタータで使われている例を演奏するとなれば、溌剌として演奏するのは当然なのかもしれません。彼らのアンサンブルの高さは言うに及ばないですし。

なぜ、日本人は盆踊りやクラブといい、踊ることが好きなのか・・・・・・それは人間としての本能であると考えれば、本来宗教が異なる私たちであっても、世俗カンタータは理解できるような気がしてなりません。もしかすると、この世俗カンタータ全曲演奏シリーズのほうが、私たち日本人にとっては有益なのかもしれませんね。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調BWV1046a 第1曲
カンタータ第208番「楽しき狩こそわが悦び」BWV208
カンタータ第134番「日々と年を生み出す時は」BWV134a
ソフィエ・ユンケル(ソプラノ)
ジョアンヌ・ルン(ソプラノ)
ダミエン・ギロン(アルト)
桜田亮(テノール
ロジャー・ウィリアムズ(バリトン
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS SACD-1971)



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。