かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:BCJバッハ教会カンタータ全曲演奏シリーズ20

今回のマイ・コレは、BCJバッハ・コレギウム・ジャパン)のバッハ教会カンタータ全曲演奏シリーズの第20集を取り上げます。

第19集まで購入したところで止まっていたBCJのバッハ教会カンタータ全曲演奏シリーズですが、ほぼ4年ぶり位に再び集め始めたその記念すべき第1枚目が、この第20集でした。

この第20集には、1724年に作曲もしくは演奏されたカンタータが4曲収められ、曲順で、第184番、第173番、第59番、そして第44番が収録されています。これは1724年の聖霊降臨節の日程を後ろから辿り、さらにその1週間前の復活節後第6日曜日までさかのぼった編集となっています。

つまり、日程が逆になっているのですね。

まず第184番「待ち望みし喜びの光よ」BWV184ですが、1724年5月30日に初演された作品です。もともとは、ケーテン時代の祝典用BWV184aのパロディ、つまり編曲になっています。イエスを羊飼いに例えるこの曲は、もともとが祝典用であるために、第2曲目がパスピエ、第4曲目がポロネーズ、第6曲目がガヴォットと舞曲が並んでいます。

バッハの作品の特徴として、舞曲が並ぶことが多いのですが、それをもってバッハはくだらないという向きもあります。しかし、果たしてそうなのでしょうか?たとえば、ベートーヴェンもロンドーは舞曲という意識を持ちつつ、新たな思想をそこに入れ込んでいったことは、ピアノソナタを聴きますと一目瞭然であり、文学的だとかというのは私は後期ロマン派以降の発想であると思います。

勿論、後期ロマン派以降の発想が悪いのではありません。それだけの先進性をベートーヴェンの作品は持っていますから。しかし、一方でバッハのこういった舞曲から端を発している形式であるということを理解したうえであるということは、頭に入れておくべきなのではないかと思います。そうでないと、たとえばグールドやグルダの、速いテンポの名演を、理解することが果たしてできるのだろうかという気がするのです。

その点では、クラシックファンよりもむしろ知識のないポップスのファンのほうがよほど感度が高いのではないかという気すらするのですが・・・・・

この第184番はいきなりレチタティーヴォから始まりますが、恐らく、説話が終わった途端演奏が始まったものと考えられます。映画でよくある開始のパターンですね。この作品は決して映画音楽ではないのですが、映画音楽的な側面があります。それは当日の説話の効果を狙ったものであるはずですから、映画音楽と共通の発想をしていることは確かなのですね。バッハのカンタータはそれだけ、広がりを持つ作品群であるということも、疑いない事実です。

次の第173番「高く挙げられし肉と血よ」BWV173は、1724年5月29日に初演されました。その後再演も、第184番とセットで行われることが多かったようです。実際、1731年にやはり聖霊降臨節第2日目、第3日目に第173番と第184番が演奏された記録が存在します。これは当日の説話である「神は世の救いのために独り子をつかわした」とは関係がないとされていますが、その割には第184番同様レチタティーヴォから入っています。全く無関係ではないように、私は少なくともバッハ事典の記述及びCDの歌詞カードからは考えています。説話の内容と同一の歌詞ではなくても、レチタティーヴォではこの世に救いをもたらしたキリストの「血と肉」への呼びかけであるわけで、そこから発展して神への賛美となっていくのは特段不自然とは思えません。

そうなったのには理由があるはずですし、その史料がどこかにあるはずです。これは事典に突っ込んでもいいように思います。トーマス・カントルであるバッハが無関係に作曲するとは思えないからです。実際、歌詞はそれほど無関係とは言えません。直接結びつかない(つまり間接的な結び付きである)だけです。となると、何かのレトリックと考えるのが、バッハの他の作品から考えれば自然であると言えましょう。

次に第59番「私を愛する人は、私の言葉を守る」BWV59です。1724年5月28日に初演されたこの作品は、やはり1731年に第173番、第184番とともに再演されています。セットで再演ということを考えますと、この3曲は単に同じ時期のためのものというだけではなく、もっと深い関連性があると考えるべきでしょう。キリスト者ではない私にはここまでが限界ですが、キリスト者の方にはぜひともなぜなのかということは考えていただきたいと思います。

というのは、この作品はまさしく、信仰心を試す文言になっているからです。形式的には編成が簡素なこと、そして曲数も少ないことから事典、そしてブックレットの鈴木氏ともに未完成と判断されている作品ですが、その真偽はともかく、詩の内容としては決して軽いものではありません。だからこそ、バッハが仮に不完全であると判断したとしても、再演時3点セットで演奏したとのではないかと推測できるからです。私の第173番における推測も、そこから導き出しています。

さて、最後の第44番「彼らはおまえたちを追放し」BWV44です。1724年5月21日に初演された作品です。端的に言えばキリスト者への迫害への予言が歌われているのですが、それゆえに音楽的にも厳しい内容になっています。ト短調で始まり厳しい場面が二重唱、合唱、アリアなどと受け継がれ、最後はそれでも揺るがぬ神への信頼で終わるため変ロ長調で終わっています。劇的でまさしく、信仰心を問う内容です。

この作品はバッハのカンタータの周年用第1巻のオリジナル最後の作品となっていますが、事典によれば、まだ必要であったにも関わらずこの作品が最後となっていると記述されています。それがなぜなのかはわかっていません。もしかすると、足りなかったものはそれ以前のもので十分足りると判断したのかもしれませんが、この時期、バッハが受難曲という大きな仕事を成し遂げた後だったという点も、重要なのではないかと思います。また、バッハの作品には特にケーテン時代のものには失われたりほかに転用されたりしたものが多く、そこに未だ私たちが知り得ない作品が潜んでいる可能性もあるので、史料からは最後と言えても、史実ではない可能性もあります。

例えば、日本におけるつい最近の例を見てみましょう。奈良県明日香村にある飛鳥寺の飛鳥大仏。私も学生時代サークル活動の研究で見に行った仏像ですが、一部だけが飛鳥時代で後は後の時代につけたされたとされてきました。ところが、X線検査による銅の化学分析によって、ほとんどが飛鳥時代に作られたことが判明したのです。

ただ、私が所属していた、中央大学史蹟研究会では、一部の学生から様式からすればほとんど飛鳥時代の造立ではないかという疑念の声があったのです。図らずも今回、それが科学調査によって証明された格好になりました。

それと同じことが、特にバッハではいくらでも起こり得るのです。バッハは使いまわしはカンタータだけではなく協奏曲などでも当たり前にやっていますし、またモーツァルトクラリネット協奏曲が発見された時のことを想起すべきです。

クラリネット協奏曲 (モーツァルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88)

ですので、事典などに間違っていると突っ込みを入れることは適当ではないにせよ、異なっている可能性は否定できないと私は考えています。

実際、この第44番にも抜けている部分があり、鈴木氏は独自の判断でチェンバロを加えてもいます。バッハのカンタータではよくあることで、そういった点からも、まだなにか未知の事項があるに違いないと私は判断するのです。

そういったいろいろ演奏面では面倒なことが多いバッハのカンタータですが、勿論BCJですからアンサンブルに何を文句付けましょうか。BCJのいい点は、楽譜通り演奏するというのではなく、バッハの時代に即して演奏するという姿勢です。もし楽譜通りに演奏すればいろいろおかしな点が出てくるのを、楽譜を読み込むことで史料批判を行い、演奏として適した編成を導き出し、演奏として現出させるのが素晴らしいのです。ですから、後期ロマン派以降の譜読みをしている人からはあまり評価を受けないバッハの作品を、見事に現代によみがえらせ、再び生命を吹き込んだと言えるでしょう。だからこそ、演奏面で文句をいう隙がないのです。

勿論、初期の頃はソリストの実力などで突っ込みどころもありましたけれど、この第20集になりますと全くありません。もし突っ込むのであれば、それなりの覚悟と専門性を持ってやりませんと、自分が恥ずかしい思いをするだけだと思います。少なくとも、私にはそこまでやる勇気は、この第20集に関しては全くありません。

そして、持っているCDとしては、BCJのアルバムの御紹介は最後となりました。ようやく、第1集から第50集がつながったことになります。ここまで本当に長かったですけれど、一つ一つをご紹介することで、自分自身も勉強になった点が多々あり、ブログを立ち上げて良かったと思います。そしてそのことで、専門家の方から様々なお誘いや情報をいただいて、さらに勉強になったことに、この場を借りまして感謝したいと思います。

次の回で「マイ・コレクション」は終了となります。その後につきましては、次回述べたいと思っております。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第184番「待ち望みし喜びの光よ」BWV184
カンタータ第173番「高く挙げられし肉と血よ」BWV173
カンタータ第59番「私を愛する人は、私の言葉を守る」BWV59
カンタータ第44番「彼らはおまえたちを追放し」BWV44
野々下由香里(ソプラノ)
波多野睦美(アルト)
ゲルト・テュルクテノール
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(キングレコード KKCC-2347)※BIS CD-1271



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