かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:プーランク 「人間の顔」〜アカペラ音楽集〜

今回のマイ・コレは、実は以前のエントリを編集したような形になります。プーランクのアカペラ合唱曲集を取り上げます。

メイン曲である「人間の顔」だけを、以前ご紹介しています。

今日の一枚:プーランク カンタータ「人間の顔」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/39

それにしても、私はこんなに早い時期にエントリであげていたのだなと、今更ながらびっくりしています。この時、プーランクがいかなる作曲家だったのか、本当に自分が分かっていたのか、今では疑問に思うことがあるからです。

最近、私は新古典主義音楽の作曲家達を取り上げていますが、プーランクはそのうちの一人であり、強力に推し進めていった「フランス6人組」の一人だからです。

フランシス・プーランク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF

今回は、彼が新古典主義音楽の作曲家という側面から、迫ってみようと思います。勿論、アルバム全曲に対して、です。

上記エントリで、私はこう述べています。

「このCD自体は、プーランクのアカペラ合唱曲集になっていて、「人間の顔」の他にも名曲が入っています。是非とも、そちらのほうも耳を傾けてみてくださいね。」

ですので、今回は各々に関して述べたいと思ったのです。

まず、第1曲目「7つの歌 sept chansons」です。FP81という作品番号が付けられているこの曲は、1922年に着想され、1936年に完成しました。7つの各曲はとても短い曲です。で、新古典主義的なのかといえば・・・・・若干自由であるように思います。

かろうじてそう思える部分は、親しみやすい旋律だと思います。不協和音が多用されているのは同時代の流行に乗っていますが、かといって難しくはない音楽がそこに存在します。しかし、聴いている限りでは、演奏するほうは決して簡単とは言いにくかと思いますが・・・・・

フランス6人組はウィーン古典派を範としたとウィキにはありますが、あくまでも基礎であって、実際にはバッハやそれ以前の作曲家も範としている部分があります。この作品でも私はそれを感じます。ルネサンスの作曲家たちの曲を念頭に置きつつ、現代的な作品を書いたように思えます。

第2曲目「小室内カンタータ『雪の夕暮れ』 petite cantate chambre 'un soir de neige' 」です。1944年に作曲された作品です。この曲に関しては、以前スウェーデン放送合唱団のコンサート評で触れています。

音楽雑記帳:スウェーデン放送合唱団コンサートを聴いての雑感
http://yaplog.jp/yk6974/archive/372

明らかに第2次大戦の重苦しい雰囲気を表現したものですが、カンタータとしている点こそ、新古典主義音楽を感じる点です。フランスは伝統的にカトリックなのに、なぜカンタータなのか、です。これこそ、ウィーン古典派との関係をかんがえざるを得ない作品だと思います。ハイドンなどが範としたのは、大バッハの息子達だったからです。つまり、辿って行くと、大バッハ本人に行き当たるわけで、大バッハが数多く残した合唱曲がカンタータでした。

だからと言って、この演奏がかなり厳しいものなのかといえばそうではなくて、力強さにしなやかさも兼ね備えています。ドイツの合唱団であるのですがフランス語の発音がとてもやわらかいのが素晴らしいと思います。

第3曲目が、「人間の顔 cantate 'figure humaine' 」。1943年の作曲で、主な内容は「今日の一枚」のエントリで説明しています。

「この曲は、1943年の作曲で、第二次大戦中です。題材はもちろん戦争です。戦争によって、人間性が失われていくことに対する怒りを表現していています。」

つまり、このアルバムでは、第二次世界大戦の哀しみを題材にした作品を、二つ続けているという点に一つの特徴があります。「人間の顔」では新古典主義音楽があまり前面に出ていないように見えます。しかし、考えてみれば、この時期のフランスはドイツに占領されていた時代です。声高に自由や、フランスの文化をうたいあげることは危険だったと言えます。となると、この曲が持つ意味というものは、以前よりも深いものがあると思います。つまり、そもそも、フランスの詩人を取り上げること、そして、フランス革命以来のフランス社会が誇りとする「自由」を題材として取り上げることこそ、彼にとって新古典主義音楽としての表現であったとも言えるでしょう。

そもそも、新古典主義音楽はどこから出発したかといえば、第1次世界大戦におけるドイツの敗北と、それを助長した後期ロマン派(さらに言えばそこから派生した国民楽派)に対するアンチの側面があります。となると、ドイツでも古典派以前のものに立ち返ること、そしてフランスの文化を大事にすること(例えば、フランスバロックなど。合唱団が二つに分かれるという点など)という側面から見た時、この「人間の顔」が持つ特色はまさしく、新古典主義音楽の一つの展開とも言えるのです。

さらに言えば、最後の曲「自由」ではppから始まってffへと盛り上がっていきます。低い音では小さく、高い音では強くという、古典派の決まりごとに20世紀でありながら則しているという点こそ、「フランス6人組」であったプーランクが主張した「アンチドイツ」であったと言えないでしょうか。その上で、彼は高らかに自由を欲していることを宣言した・・・・・

だからこそ、この作品は例えば、プーランク室内楽などに較べれば、音楽は重く厳しいものが並んでいます。「7つの歌」と比べればそれは歴然で、重苦しいというほうが適切かと思います。

演奏も、それを意識して、発声は軽くしかし音楽は重々しくコントロールされています。テンポに気を配り、けっして軽薄にはなりません。その上で、最後の「自由を!」という部分ではもう少し綺麗に演奏されていればという気がします。ただ、アプローチとしては決して間違いではないと思います。

第4曲目は「アッシジ聖フランシスコの4つの小さな祈り quatre petites prieres de Saint Francois d'Assie」です。一見すると、これを取り上げるということは新古典主義音楽から外れるのではという気もします。リストも同じ題材でピアノ曲「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」を作曲しているからです。

ただ、リストのその曲は、ロマン派というよりは象徴主義音楽とも言われます。リストのその曲が念頭にあったのかどうかはブックレットにも言及がないので何とも言えませんが、全くなかったわけでもないだろうと思います。となると、フランスに於いて象徴主義ドビュッシーとなりますが、彼はフランスバロックに範をとった作品も多く作曲した人でしたから、特段問題ないということになろうかと思います。それに、この作品が作曲されたのは1948年。すでにドイツは負け、声高にドイツを意識することはなくなりました。その上、時代的には新古典主義音楽そのものが衰退を迎えていました。あまりこだわる必要はなくなったとも言えます。

とはいうものの、この作品は男声合唱です。それはかなり古い様式でして、ルネサンスよりもさらに古い様式とも言えるのです。時代は混声合唱あるいは女声合唱が主となっている時に、プーランク男声合唱を、しかもアッシジの聖フランチェスコの題材で世に問うたのです。それ自体が、かなり新古典主義音楽を意識したものといえなくもないでしょう。

アッシジのフランチェスコ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%B3

4つ目では教会旋法も使っていますし、プーランクがこの作品に込めた祖国の伝統への想いというものを感じます。アッシジ自体はイタリアですが、フランスとイタリアはともにラテン語圏であるためです(そもそも、フランチェスコという名にはフランスとも関係があります)。さらに、この曲には聖フランチェスコの平和の祈りが反映されています。

最後の「酒飲み歌 chanson a boire」はかなり世俗的な作品で、1922年の作曲です。まるでオルフの「カルミナ・ブラーナ」を彷彿とさせる音楽ですが、恐らく中世の僧侶あるいは民衆の酒飲み歌であることは間違いないと思います。そう判断する理由は、これも男声合唱であるということなのです。男性のみの酒宴となれば、通常は僧侶ということになろうかと思います。となりますと、この作品も実はかなり古い音楽を念頭に置いていることだけは間違いありません。ブックレットには説明がありませんが、例えばそれが古いシャンソンであれば、当然ですがこれも新古典主義音楽として作曲された可能性は大です。時代的にも新古典主義音楽勃興期ですし、フランス6人組として活躍していた時期と重なります。当然ですが新古典主義音楽の影響下にある作品と言っても差し支えないでしょう。

フランス6人組ジャン・コクトーが規定した路線で作曲したと言われていますが、少なくとも、私が触れた音楽からはがちがちにウィーン古典派だけということはなくて、少なくともウィーン古典派以前、多感様式やバロック(できればフランスバロック)、ルネサンスやそれ以前の音楽といったものに回帰しつつ当時の先端の和声を取り入れて新しい音楽を想像するという、もっと寛容でしなやかな運動であったように思います。そしてそのことでアンチ・ドイツロマン派を実現することで民族意識の高揚を図るという路線が貫かれているように思います。その視点でいえば、やはりこの作品も、新古典主義音楽と言っても差し支えないだろうと思います。

この最後の曲では力強い声楽を聞かせてくれます。それでいて、アンサンブルの素晴らしさは言うに及ばず、酒宴の雰囲気がこちらにも充分伝わってきます。

全体的にも、バランスがとてもいいのですが、他のブログでは物足りなさも言われています。確かに、そういった面はあるでしょう。それはもしかするとこの合唱団が優秀であることに起因するのではないかと思います。つまり、プーランク新古典主義音楽の作曲家だとしますと、ドイツの合唱団であるRIAS室内合唱団としては、どうしても忸怩たる思いが出てくるのは当然かと思います。そこを乗り越えてかなりレヴェルの高い、熱がこもりつつバランスのとれた冷静な演奏を聴かせてくれる点は、十分に評価していいのではと思います。むしろ、フランスの合唱団の演奏もわたしはこれを聴いて聴きたいと思っていますし、今でも物色しています。私が今まで聴いた中ではディスク、ライヴ合わせて一番は日本のザ・タロー・シンガーズですが、彼らは残念ながらディスクに録音していません。ですから、たとえばフランスの合唱団は、「人間の顔」をどのように演奏しているのかを知りませんと、ダメとは言えません。高評価をするしかありません。

ですから、高評価なのは決して提灯なのではなく、比較検討するものがザ・タロー・シンガーズしかないためなのです。その上で評価すれば、やはり人間の顔に関してはザ・タロー・シンガーズのほうがRIASよりも上です。特に、「自由」の最後で「自由を!」と叫ぶ部分は、断然ザ・タロー・シンガーズのほうが上だと断言できます。しかし、だからと言ってこの演奏がだめなのかといえばそんなことはなくて、特に盛り上がっていく場面は抑制が効きすぎている面もありますが、しかししっかりと盛り上がってくれています。

プーランクの上品な室内楽だけではなく、是非ともこういった合唱曲にも興味を持っていただけたらと思います。特に、「人間の顔」はこんな時期だからこそ、一人でも多くの人に聴いてほしいと思います。自国の文化が素晴らしいことを、抑圧の中でどのように表明したらいいのか、そして、そんな状況があってもいいのか、何が幸せなのか。この曲で考えさせられることは山ほどあります。


さて、「マイ・コレクション」は今回が最終回となります。思えば、今まで買ったCDで様々なことを語ろう!と決めて早3年。2009年の年末に始まったこのコーナーも、ようやく最終地点へと到達しました。

はじめは、演奏面を中心にと考えたのですが、諸状況から、自分が史学科出身であることから、音楽史と絡め、さらにはCDは一つの商品でもありますので、商品としても語ってきました。そんな内容が混然一体となったこのコーナーは、様々な反響を呼びました。批判もあれば、評価してくださることもあり、少なくとも一定の評価をいただいたことに対し、深く感謝しております。

このコーナーに変わるものはまだありませんで、「神奈川県立図書館所蔵CD」のコーナーの曜日を変更し、月〜木として、「今月のお買いもの」、或いはコラムを金曜日〜日曜日とする予定でいます。新しいコーナーを設けるかどうかはその体制に移行してつづけながら考えていきたいと思っています。



聴いているCD
フランシス・プーランク作曲
7つの歌FP81
小室内カンタータ『雪の夕暮れ』FP126
カンタータ「人間の顔」FP120
アッシジ聖フランシスコの4つの小さな祈りFP142
酒飲み歌
ダニエル・ロイズ指揮
RIAS室内合唱団
(ドイツ・ハルモニア・ムンディ HMC901872)



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。