かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シューマン 序曲、スケルツォとフィナーレ

今月のお買いもの、8月に購入したものを取り上げていますが、それもようやく最後のものになりました。今回はシューマン管弦楽曲、「序曲、スケルツォとフィナーレ」を取り上げます。シノ―ポリ指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏で、ディスクユニオン新宿クラシック館で買い求めました。

つまりは、先週ご紹介した「楽園とペリ」のカップリングなのです。

この管弦楽曲は、1841年に作曲され、1845年に改訂されて現在に至る作品です。

序曲、スケルツォと終曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%8F%E6%9B%B2%E3%80%81%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A9%E3%81%A8%E7%B5%82%E6%9B%B2

実際には、4楽章制の交響曲から、緩徐楽章が抜けた形となっていまして、交響曲と呼んでも差し支えないものとなっています。実際、「小交響曲」ともかつては呼ばれていました。

私としては、これは交響曲であると言いたいですね。なぜかと言えば、序曲とされる第1楽章は、明らかにソナタ形式ですし、第2楽章のスケルツォもきちんとしています。また、終曲もソナタ形式を持っていまして、実は「楽園とペリ」に使われている旋律に似たものがあります。そのため、このCDでは楽園とペリとのカップリングになったのだと思います。

と、こう見てみると、どこかで出会ったものに似ているんですよね。そう、古典派時代の、3楽章の交響曲にそっくりです。メヌエットスケルツォになれば、ほぼそっくりですね。しかも、スケルツォは決して急楽章とはいえず、むしろ全体の中では緩徐楽章の意味を持たせています。

そこで、気になるのが、題名の「序曲、スケルツォとフィナーレ」というものです。そして、組曲、小交響曲とも呼ばれた(しかも、シューマン自身によって)その経緯からして、シューマンがこの作品を作曲するのに、どんな作品を念頭に置いていたのかが、明確であるように思います。

同じ時期に活躍した、メンデルスゾーンも実は、8曲の交響曲の他に、「弦楽のための交響曲」を書いています。それは凡て、3楽章となっているのです。明らかに古典派、特にモーツァルトハイドンといった作曲家、或いはカール・フィリップエマニュエル・バッハのような前古典派のシンフォニアを念頭に置いています。おなじように、シューマンもそういった作品を念頭に置いていたことは、間違いないであろうと思います。

特に、以前「神奈川県立図書館所蔵CD」でモーツァルト交響曲全集を取り上げた時に言及していますが、モーツァルトの3楽章の交響曲で、特に番号がついていないものはオペラの序曲として作曲されたものが数多くあります。そういった作品を念頭に置いて作曲されているとすれば、この作品の構成や構造は、全く持って納得がいくものとなっています。そしてなぜ、現在の題名に落着いたか、もです。

その上で、このCDの編集面を見てみますと、明らかにバロック以来の伝統というものに着目していることに気が付かされます。演奏面の素晴らしさもそうなのですが、この「伝統の継承」という点にも注目すると、このCDをきっかけに「大バッハの息子達」の作品や、モーツァルトの番号なしの交響曲への興味へと広がっていくことになるでしょう。

このエントリをきっかけにして、このシューマンの作品を聴きまして、その上で前古典派からモーツァルトの番号なしの交響曲も聴くようになりますと、ロマン派以降の作品、特に象徴主義新古典主義音楽の作品に対する興味もわいて下さいますと、ありがたいですし、この上ない幸せです。



聴いているCD
ロベルト・シューマン作曲
序曲、スケルツォとフィナーレ 作品52
ジュゼッペ・シノ―ポリ指揮
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
(ドイツ・グラモフォン タワーレコードヴィンテージコレクション PROA212)



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