母校のこの合唱団の演奏は、3回ほどこのブログでご紹介しています。
音楽雑記帳:中央大学学友会文化連盟音楽研究会混声合唱部第九演奏会を聴いての雑感
http://yaplog.jp/yk6974/archive/490
コンサート雑感:中央大学音楽研究会混声合唱部第48回定期演奏会を聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/771
コンサート雑感:中央大学音楽研究会混声合唱団創立60周年記念演奏会を聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/859
正式名称は以前もご紹介しましたが、「中央大学学友会文化連盟音楽研究会混声合唱部」といい、通称では「中央大学混声合唱団」と言いますが、私は卒業生なのであえて「中央大学音楽研究会混声合唱部」と言うことにしています(卒業サークルではありませんが)。
さて、今回は演奏する曲の選定でチャレンジングなことをしてくれました。演奏されたのは以下の通りです。
グレゴリア聖歌 地上のすべての国々は
ペロタン 地上のすべての国々は
レオナン 地上のすべての国々は
ジョスカン・デ・プレ作曲 アヴェ・マリア
ジャヌカン作曲 鳥の歌
ゴンベール作曲 恋をお望みの方は
セルミジ作曲 花咲く日々に
ラッスス作曲 愛しのマトナ
フォーレ作曲 レクイエム
学生合唱団が、なかなかこれだけの作品をコンサートの演目に載せるという事はしません。大体、ドイツものが多くなるからです。今回はドイツものなど一つもなく、フランスの中世から印象派までの作品が並んでいます。
まず、前半はグレゴリア聖歌からシャンソン(あるいはヴィラネッラ)まで、時代的には12世紀から16世紀ころまでを俯瞰するものとなっています。なかなか知られていない作品が並んでいることから、中大文学部永見教授が白石先生とともに解説をしていただいたのはとてもよかったと思います。さすがの私でも、ジョスカンとラッスス以外は初めて聴く作曲家と作品だったからです。
第1曲目はグレゴリオ聖歌の「地上のすべての国々は」です。男声のみで演奏されるのに会場はびっくりしたと思いますが、それが中世では普通であったのです。なぜなら、グレゴリオ聖歌は中世に於いて権力を持っていた教会内で演奏されたものでした。その時代は男声のみが演奏を許されたのです。中世に於いては女声の演奏はなかったのです(禁止されていたというほうが正しいでしょう)。だから当然ですが、男声だけなのです。
しかしそれは、演奏する側としてはとても緊張したことでしょう。でも、それこそ私は白石先生の狙いだったと思っています。それがなぜだかは、フォーレのレクイエムを聴いてわかるようになっているのです。
兎に角、演奏自体はとてもやわらかく、繊細に演奏できていましたし、高音が特にすばらしく、十分及第点を与えることが出来ると思います。
次に、そのグレゴリオ聖歌をもとに、声部を増やした作曲家が出て来ました。中世は教会に於いては音楽は神に捧げるものということで単旋律であり、それを何人かで演奏することとされていたものが、ルネサンスの時代になって、世俗音楽の発展の影響を受け神に捧げる音楽ももっと複数声部ある立派な物にしようという動きが出て来ます。今回のコンサートではその人物たちのうちペロタンとレオナンを取り上げました。
ペロティヌス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9
レオニヌス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%8C%E3%82%B9
演奏会では、グレゴリオ聖歌を3声に拡大したのがペロタンで、4声へさらに拡大したのがレオナンだという説明がありましたが、果たして正しいのでしょうか。ウィキの説明を見ますと、レオナンのほうが時代的に古い作曲家であり、レオナン→ペロタンではないかと思いますが・・・・・いずれにしても、単声部のみだった音楽を、複数声部へと拡大させたのがこの二人であることは間違いなく、それがルネサンス音楽隆盛へと繋がるのですから。
ルネサンス期は教会音楽のこういった動きをうけ、さらに音楽が発達しました。その一翼を担い、「アルテ・ペルフェクタ(完全なる技法)」と言われたのがジョスカンです。このブログでもCDを取り上げています。
マイ・コレクション:ジョスカン・デ・プレのミサ曲
http://yaplog.jp/yk6974/archive/599
生年などが不明な作曲家ですが、16世紀に活躍したことは間違いないとされています。
ジョスカン・デ・プレ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC
彼は世俗音楽と同時に教会音楽に於いて数多くの作品を残した作曲家ですが、今回はアヴェ・マリアを取り上げられたのはいい選択だったと思います。カトリックの地域に於いてアヴェ・マリアは数多くの作曲家が作曲していますが、ルネサンスに於いてはこのジョスカンとアルカデルトのものが有名です。それまで男声だけであった演奏が女声も加わります。それは女声も音楽の演奏に参加できる時代がやって来たことを意味します。更にこの時代は音楽の先進地域としてイタリアが勃興します。特にヴェネツィアやフィレンツェと言った都市がそれをけん引しますが、そういった時代背景も説明があったことは、ドイツ音楽を聴くことが多い聴衆に音楽史を俯瞰しながら聴く機会を与えてくださった点で、とても高く評価したいと思います。でないと、イタリアでバロック音楽が勃興したこと、そしてモーツァルトがなぜ初期のオペラに於いてイタリア語の歌詞を使っていたのが理解できなくなるからです。そしてなぜ、「魔笛」ではドイツ語が使われるようになったか、もです。
演奏面でもここまでは全く問題ないと思います。ペロタンとレオナンで多少高音部で苦しい部分が見受けられた程度ですが、それは問題になる程度ではありません。
その後の3曲は、ルネサンスという時期の音楽がいかに深いものを持っているかを説明するのにとてもいい教材であったと思います。特に、ジャヌカンの「鳥の歌」はレトリックであり、ルネサンスではそれは特に世俗曲に於いて、あたりまえに使われていた作詞技法でした。それはバロックにも受け継がれ、宗教曲でもやるようになったのがカンタータであり、それはバッハによって頂点を極めることになり、古典派以降の作曲家たちに引き継がれていく事になるので重要なのです。しかしよくソプラノの女子学生は恥ずかしい(つまり、エッチな)ことと認識したことをカミングアウトしてくれたと思います。男の私自身も、たとえばラッススの時には果たしてどこまで表現したらいいだろうかと思ったくらいの内容を、言える範囲内でよくぞ説明してくださったと思います。今後の成長が楽しみです。がんばってください。必ず、バッハなどの音楽を演奏するときに役立ちます。
クレマン・ジャヌカン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8C%E3%82%AB%E3%83%B3
ニコラ・ゴンベール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB
クローダン・ド・セルミジ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B8
特にジャヌカンはルネサンスの作品を聴く人たちの間では有名な作曲家で、名前だけはわたしもきいたことがあります。こういった作品に触れることはとても大事です。臆せず勉強してください。恥ずかしくて顔が真っ赤になることもあるかもしれませんけどね^^;
前半最後は、ラッススのヴィラネッラ「愛しのマトナ」です。これは私も演奏経験があるのですが、実はとても難しい曲なのです。特にイタリア語の発音が・・・・・以前私もCDを取り上げていますが、通常アマチュアが演奏する場合、かなり速めのテンポで演奏することが多いのですが、この演奏会でも同様でした。それでもアンサンブルは崩れず、発音もしっかりしているのには感心しました。わたしは本当にその点で苦労しましたから・・・・・
マイ・コレクション:ラッスス ヴィラネッラとモレスカ集
http://yaplog.jp/yk6974/archive/808
また、ジャヌカンからセルミジまでは8人から16人程度の選抜メンバーで演奏しましたけれど、それがごく普通の編成です。かわさき合唱まつりでそれくらいの人数で歌っている人たちがいることを忘れずに精進してください。
ここまでは、本当に素晴らしい演奏で、最後のラッススでは思わずブラヴィ―を小声でかけたくらいで、なんでアンコールをやらないんだろう、これなら「こだま」あたりをアンコールに持ってきてもいいのにな〜と思っていたんですが・・・・・
さて、後半のフォーレなのですが、これは突っ込みどころ満載と言いますか、今回は素晴らしいアンサンブルだっただけに、かなり辛口で行きたいと思います(まあ、コーホーさんよりは甘口なので安心してください。中辛といったところでしょうか)。
全体的なアンサンブルは問題なかったと思いますし、オケも素晴らしいサポートをしていたと思います。また、二人のソリストも本当に素晴らしかったです。力が適当に抜けていたため、力強さとしなやかさが同居し、フォーレのレクイエムが持つ音楽としての優しさと、うちに秘めるドグマがきちんと表現できていたと思います。そして、その音楽としての特色は、前半での永見教授と白石先生との歓談でも出ただけに・・・・・
合唱団が、その点を果たして十分に理解していたのかと、疑問に思う演奏だったのが・・・・・
まあ、大学生だからと実は今まで指摘していない部分が、今回は裏目に出たなと思っています。それは、フレーズの最後が必ず短いということです。
バロックや古典派であれば、それでも演奏面で問題ないことも多いのですが、しかし後期ロマン派以降、特にフランスものではそれはいただけません。その長さに、意味があるからです。
いや、正確にはバロックや古典派でも、音の長さはきちんとしないといけないのです。以前から申し上げていますが、長音とは作曲家が特に主張したい部分なのです。次回は第九を歌われますが、第4楽章の二重フーガの部分のヴォーカルスコアをよく見てください。二重フーガが採用されているということはここでその歌詞を宗教的に扱っているという点に於いてベートーヴェンが大事に扱っている部分であるということなのですが、そこでは2分音符を多用しているはずです。練習番号Mと比較してみてください。
それをフォーレは、フレーズの最後でも使っているはずです。楽譜をよく見てみてください。
例えば、私が以前マイ・コレで取り上げたこの演奏があります。
マイ・コレクション:ボド フォーレ・レクイエム
http://yaplog.jp/yk6974/archive/444
フレーズの最後を短く切るなんてことはしていません。フォーレは完全に印象派なのです。ぶちぎるようなことをしてはいけないのです。確かに、白石先生のテンポは速かったのですが・・・・・
同じような演奏は、私自身がコア・アプラウスに参加した時に、砂川先生の指揮で経験済みです。いっぽう、自分の合唱団では守谷弘指揮でもっと遅いテンポも経験済みです。しかしどちらも、フレーズの最後をぶちぎるなんてことは指示がありませんでした(特に守谷先生の時には合唱指揮者がそれは厳しかったのです)。
レクイエムというのは、基本的に慟哭の歌です。そしてそれを何とか、歌によって生き残っているものを癒して、生きる希望を得るための音楽です。音楽史的には古典派、後期ロマン派、印象派と異なる三大レクイエム、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレを聴き比べてみてください。モーツァルトやヴェルディなら、皆さんのようにフレーズを短くしても何とかなる部分を持っていますが(特にモーツァルトは八分音符が多いため)、フォーレは可能なのか、もういちど検証してみてください。
それと、リベラ・メでリフレインで合唱が「リベラ・メ、ドミネ」と歌う部分、特に力強かったのですが、それは指揮者の指示だったのでしょうか。それとも、なしでしょうか?いずれにしても、私の記憶が確かならば、楽譜上では少なくともfではないはずです。pかppになっていませんか?それはなぜかと言えば、リフレインであるのと同時に、そこまでの音楽を受けて神へ祈りをささげるため膝づく部分だからなのです。思わず「声が大きすぎる!」と声を上げてしまいました。
そこは確かに、比較的音は高い部分だと思います。しかし、レクイエム冒頭の男声合唱で、きちんとやれています。できないことはないと思います。自信をもって「ピアノ」にしていいと思います。
高音部をpあるいはppで歌うのは本当に大変です。それは私自身が一番よく知っています。特にこのフォーレのレクイエムではその部分が一番苦労する点ですし、私も同じように苦労したのです。
ですから、その苦労に関しては何も言うつもりはないですが、せっかくいいアンサンブルになっているのに、こういったマイナス点で表現力が半減しているのがとてももったいないと思ったのです。
もしかするとですが、これは中大オケにも以前指摘して、改善してくださった点ですが、息を吸うタイミングが、わかっていないではないかと思っています。
私もすぐそれを会得したわけではありません。それを会得したきっかけになった演奏会があります。あるNGOの関係で横浜関内ホールでブラームスの「運命の歌」を演奏する機会があったのですが、そのための練習でまず何をやったかといえば、「息を吸う練習」だったのです。指揮者が指揮棒を振りながら、6拍で息を吸い、それを同じテンポで歌詞を読みながら吐き出すという練習からまず入ったのです。歌はその後です。歌い始めても指揮者は必ず6拍前から息を吸うよう、指導しました。
この演奏会に参加したことが、私のその後のレヴェルアップにつながりました。その時にはわたしよりもキャリアが長い人(実は私の無二の親友なのですが)も参加していましたが、その人ですら「この練習はきついけれど素晴らしい」と絶賛でした。
これを意識して練習するだけで、今の実力であれば必ず、どんな時代のどんな作曲家のどんな作品であっても、皆さんは私以上に素晴らしい演奏ができると私は信じています。だからこそ、ここまで言うのです。
是非とも、6拍前から息を吸う練習をしてみてください。オケが私の意見を取り入れたかは知りませんが、その次の演奏会では見違えるように素晴らしい演奏をしていたということだけは、述べておきたいと思います。
すでに、第九のチケットは購入しています。次回の第九で、その上達ぶりを聴くことが出来ることを楽しみに、また馳せ参じます!この程度では私はだめだとあきらめません。以前の宮前フィルに較べればずっと上手なのですから。自分達の実力を信じて、精進してください。どんな時でも、この私が応援しています。
きっと、今回の演奏は、将来皆さんの血となり肉となるはずなのですから。
聴いてきた演奏会
中央大学文化連盟学友会音楽研究会混声合唱部 第49回定期演奏会
グレゴリア聖歌 地上のすべての国々は
ペロタン 地上のすべての国々は
レオナン 地上のすべての国々は
ジョスカン・デ・プレ作曲 アヴェ・マリア
ジャヌカン作曲 鳥の歌
ゴンベール作曲 恋をお望みの方は
セルミジ作曲 花咲く日々に
ラッスス作曲 愛しのマトナ
フォーレ作曲 レクイエム
岩本麻里(ソプラノ)
大森いちえい(バス)
永見文雄(中央大学文学部仏文学専攻教授)
白石卓也指揮
アレクテ室内管弦楽団
中央大学文化連盟学友会音楽研究会混声合唱部
平成24(2012)年9月28日、東京杉並区、杉並公会堂大ホール
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地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。