かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:エルガー 交響曲第2番他

神奈川県立図書館所蔵CD、今回はエルガー交響曲第2番と「南国にて」です。ショルティ指揮、ロンドン・フィルの演奏です。

エルガーは先日も取り上げましたが、19世紀から20世紀にかけてのイギリスの作曲家です。

エドワード・エルガー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC

イギリスという、大陸からは海峡で隔てられている国であるということ、そしてエルガーが学んだ19世紀という時代を反映して、音楽はそれほど不協和音がひしめいておらず、後期ロマン派そのものという音楽であるのが、この第2番の特徴だと言えましょう。

交響曲第2番 (エルガー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC)

もともとこの曲は、エドワード7世存命中に捧げる予定で作曲していたものですが、途中で国王が死去したため、オマージュとして発表されたといういきさつがあります。それは、主調が長調であることと、第1楽章の「アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・ノビルメンテ」という指示に明確に示されています。

このノビルメンテという指示は、ノーブルに、つまり日本語でいえば「高貴に」「貴重に」という意味となります。ホ長調という第1楽章の伸びやかな音楽は決して悲しみに包まれていません。むしろ何か美しく楽しげなものを回顧するような、まさしくエドワード7世の御代が「高貴」で「貴重」であったことを謳っているのです。

むしろ、悲しみは次の第2楽章冒頭に出てきます。実際ハ短調という調性ですし、ここで初めてエルガーは国王が亡くなった事を悲しんでいるように思います。しかし、悲しみはこの第2楽章だけです。後はほとんどオマージュで彩られています。

50代という作曲時の年齢もあるのでしょうし、国王とエルガーとの交友関係もあるのでしょうが、とても大人の音楽です。そもそもが存命中に献呈する予定で作曲されたということも有るでしょうが、全体的に落ち着いた、しかし極度に悲しんでいもいない音楽になっています。

しかし、私にはそれがとても悲しく聴こえるのです。抑えているからこそ、心の奥底にはもっと深い悲しみがあったはずで、それを冷静に音楽へと昇華させているのは、エルガーが作曲家として優れているだけでなく、人間としても優れていることを意味します。

ところが、こういった音楽もあまり有名ではないのが日本の面白い点だと、自分でも思います。後期ロマン派のヴァイオリンのヴィルトォーゾは悪人であるからと取り上げない一方、エルガー善人でかつ素晴らしい交響曲を書いているにも関わらず、形式的に目立った点がないことから、これも取り上げない・・・・・

確かに、音楽の革新は中欧、つまりドイツやオーストリアで盛んでしたが、それを受けてさらに昇華させるという点では、決してその周辺諸国は劣っていません。フランス、東欧、ロシア、北欧、そしてイギリスやアメリカと言ったアングロサクソンの国々にも、素晴らしい作品が数多く存在します。恐らく、こういった国々の作品に目を向けていないことが、翻って我が国の芸術やクラシック作品にも目が向けられない一因なのではと思います。

ショルティロンドン・フィルの演奏は決して変態演奏ではなくむしろ端整ですが、それゆえにこの作品の特徴と普遍性を私たちに提示してくれているように思います。特に、ショルティのような端整さから素晴らしい演奏を紡ぎだすという指揮者だからこそ、エルガーの音楽はぴったりと思うのは私だけなのでしょうか。



聴いている音源
エドワード・エルガー作曲
序曲「南国にて」作品50
交響曲第2番変ホ長調作品63
サー・ゲオルグショルティ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団



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