今回はコンサート雑感のコーナーをお届けします。聴きに行きましたのは、チェリスト神谷さんとピアニスト内藤さんのデュオ・サロンコンサートです。
足を運ぶきっかけは、SNSで知り合いになったことから、お誘いいただいたことでした。3月に別のを誘っていただいていたのですが、仕事が入ってしまい行けなくて(さらに体調不良がありました)、今度こそはと思ったことでした。
さて、当日行きましたら、曲目としてわかっているのは2曲だけで、他は当日のお楽しみという形でした。これもまた面白いなあと思いました。というのも、この国では聴くジャンルや作曲家に偏りがあるため、作曲家で行く・行かないが分かれる可能性がありました。それを防ぐという意味でも、とてもよかったと思います。
昔の私でしたら、恐らく二の足を踏んだであろう作曲家が、当日幾人かいたためです。しかし、それを伏せておき、当日に演奏するというのは、食わず嫌いな人に「この作曲家って、こんなに素晴らしい作品を書くんだ!」という発見や気づきを与えてくれるからです。
当日発表されていたのは、ベートーヴェンのチェロ・ソナタとピアソラのタンガーゾの二つだけでした。しかし実際には、他にも5名の作曲家が演奏され、そのうち私が知らない作曲家が一人、さらに知ってはいるけれどほとんど聴かない作曲家が一人含まれていました。
まず、1曲目は古典派の作曲家、パラディスのソナタです。曲名を失念してしまって、御紹介できないのが残念なのですが、とても上品な作品です(6月24日訂正:その後演奏者の神谷さんから「シシリエンヌ」とご指摘いただきました!)。
マリア・テレジア・フォン・パラディス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9
しかし、これがウィキに載っているのは素晴らしいと思います。この人を知っている方がクラシックファンでもいったい幾人いることでしょう。私もまだまだ知らない作曲家がいるのだと、改めて認識されられました。モーツァルトがピアノ協奏曲を献呈しているくらいのその時代には有名だった作曲家で、しかも女性で盲目なのです。
モーツァルトがなぜ、今風でいえば性別や障害の有無にかかわらず献呈したのかが分かる素晴らしい作品で、二人はそれを息の合った抜群の演奏で聴かせてくれました。
次に、クライスラーの「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」です。元々ヴァイオリンのための作品で、それをピアノとチェロのために編曲されたものです。ベートーヴェンのとありますが、もともとの旋律がなんなのかは確認されておらず、今では単に「ロンディーノ」と呼ぶことが多いそうです。そんなことはさておき、とてものびやかな作品です。
にしても、ここまでの2曲とも、チェロもそうですがピアノが素晴らしすぎです。美しくかつ力強くもあります。それが縦横無尽に発揮されるのが、次のベートーヴェンでした。
3曲目は、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番です。正直、私はこれに釣られたのですが、つられて正解だったと思います。パラディスという作曲家に出会えたのですから!いや、彼女だけではないのですが・・・・・
で、そのベートーヴェンですが、初心者の方にまた説明しておきましょう。チェロだから、ピアノなしですよね?という意見が出てきそうですが、いや、チェロ・ソナタですから、ピアノ付であるわけなのです。ソナタとは、基本的にピアノと他の楽器とのセッションを楽しむ音楽です。
ソナタ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF
そのソナタの醍醐味を、思いっきり楽しませてくれる演奏でした。そもそも、ベートーヴェンのソナタは、ピアノも含めどの楽器のものであっても、その歴史を変えたと言われています。チェロ・ソナタにおいてはそれが第3番です。
チェロソナタ第3番 (ベートーヴェン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)
第3番の特徴として、チェロが気高くカンタービレする部分が多いことが挙げられますが、それを前面に押し出すとともに、ピアノの名手であるベートーヴェンらしい激しいピアノパートも、前面に押し出す演奏でした。カンタービレするチェロとともに激しくなるピアノ。そしてそれに引きずられるようにチェロも熱情的になっていきます。それはチェロが若干走り気味になっていくことにもつながってしまいました。
でも、私はそれを心地よく聴いていました。全体として演奏者の気持ちが心にストレートに伝わってきまして、熱いものが湧き上がってきます。そういう演奏は大好きです^^
プロ同士ですからアンサンブルが崩壊することは一切ありませんし、走り気味になったらなったで、各々がきちんと合わせていますし。だから安心して聴いていられるわけなのです。ppが多少かすり声のようになっていたのは、かなり気持ちが入っていた証拠かなという気もします。このあたりは評価が分かれる部分でしょう。私は気持ちが入っていてよかったですけれど、演奏の品質という点からすれば、そこは改善の余地があるかも知れません。サロンではなく、もっと大きな会場では思い切って小さくしても問題ないかもしれませんし。
そう、サロンというのは、聴衆との距離が近いので、演奏者もとても緊張すると思うのです。そんな中で思い切りのいい演奏をされるご両人、ファンになってしまいそうです。
それはベートーヴェンだけではありません。休憩をはさんで、第4曲目はまずピアノだけで生誕150年を迎えるドビュッシーの「水の反映」を。実はちょうど今私は県立図書館からドビュッシーを借りてきています。それはドビュッシーが生誕150周年であるということも有りますが、そもそもはこのブログで何度か取り上げています、ピアニストの瀬川玄氏が今年取り上げている作曲家でもあるからです(そのリサイタルについても、後日エントリを上げる予定です)。ちょうどいい予習になっています。水の反映は、水面の様子を音楽に表現したものですが、それを持ってその印象と捉えることが多いかと思います。しかし、ドビュッシーは果たして、印象派として作品を世に出したのか、それは違うのではないかという気がしています。そのきっかけを与えてくれたのが瀬川氏でして、内藤さんの演奏もその頭で聴いていました。
内藤さんも恐らく、単純に印象派としては弾いていないように思われました。演奏に多分に気持ちが入っていたからです。その反面、冷静さも失わず、しかし熱いものがこみあげてくるその演奏は本当に素晴らしく、「情熱と冷静の間」のバランスが絶妙でした。
5曲目はまたチェロが入りまして、おなじドビュッシーの「子供の領分」から「ゴリウォーグのケークウォーク」です。ここはぜひとも「え、なんでチェロが入るんですか?」と突っ込んでほしい!この曲はもともと、ピアノ独奏曲だからです。
子供の領分
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E9%A0%98%E5%88%86
それをいわゆる、チェロ・ソナタ(もともと、「子供の領分」が組曲ですから)してしまうというのも、味があります。それが何とも、違和感ないんですよね〜。実はこの曲も予習済みでした(瀬川氏と県立図書館司書の皆さんにはその点で本当に感謝です)。ですので、原曲を思い出しながら聴くのはとても楽しかったです。
第6曲目は、ファリャの「火祭りの踊り」です。ファリャといいますと「三角帽子」くらいしか思い出せない方も多いかと思いますし、私などはその「三角帽子」すら、高校の音楽鑑賞の時間で聴いたきりです。この曲ももともとピアノ曲ですがこれもチェロ付で聴かせていただきましたが、なんと幻想的で美しい作品なのでしょう!原曲が聴きたくなりましたし、ファリャという作曲家の作品にも興味を持ちました。ppからffまで思いきり演奏する二人の素晴らしい演奏あってこそ、わたしに興味を抱かさせたのだと思います。
マヌエル・デ・ファリャ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%A3
第7曲目はドヴォルザークのヴァイオリン曲。これも曲名を失念してしまいました^^;でも、甘く切ない望郷の念が、チェロからにじみ出ていました。神谷氏の感受性の高さとそれを表現する力の確かさを見ることが出来たように思います(6月24日訂正:その後演奏者の神谷さんからクライスラー編「インディアン・ラメント」とご指摘いただきました!)。
第8曲目が、メインとも言うべき、ピアソラの「ル・グランド・タンゴ」。もともとは「タンガーゾ」だったといいます。ピアソラはタンゴの大作曲家ですが、実はクラシックにも造詣が深く、彼の作品にはクラシック系統の作品も数多く存在します。
アストル・ピアソラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%BD%E3%83%A9
そのためなのかは知りませんが、神谷さんが好きな作曲家の一人がピアソラだそうです。私自身もじつはクラシックだけはなく、ジャズやタンゴと言ったジャンルにも興味があることから、この曲がプログラムに載っているのを見た時には、うなったものです。
この「タンガーゾ(神谷さんの意思を尊重して此方を使いたいと思います)」は、フランスで出版された時に「ル・グランド・タンゴ」という題名にされてしまいます。実はどちらも同じ「大タンゴ」という意味なのですが、ピアソラはスペイン語の「タンガーゾ」を望んだそうです(プログラムより)。
ピアソラの音楽は、私も以前幾つか聴いたことがありますが、その印象としては、クラシックでいえばブラームスのように、土臭い、庶民のエネルギーに満ち溢れている作品群だと思います。そもそも、ピアソラはバンドネオン奏者であったことから、いわゆる古典派の作曲家のように音楽職人というスタンスの作曲家です。それを考えますと、フランス語が持つ上品さよりも、母国語スペイン語が持つ、田舎っぽさのほうを重視してほしいという事だったのだろうと思います。ただ、私はそれだけではなく、ベートーヴェンのピアノソナタでもあったように、祖国愛ゆえなのではないかという気もします。
この曲は土臭いだけではなく、それなりに上品さも兼ね備えてもいます。実際、この曲はクラシックのチェリスト、ロストロポーヴィチに献呈されています。単に下品なということではなく、祖国アルゼンチンの公用語であるスペイン語に愛着を持っていた故だと私は思っています。
フランスとスペインというのは、この作品が作曲された1982年当時、それほど関係がよかったわけではありません。なぜなら、領土問題を抱えていたからです。直接国境を接している地域でも争った歴史があります。ヨーロッパの歴史に詳しい方であれば、アンドラ公国問題といえばピン!と来るでしょう。
アンドラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9
ウィキでは全く触れられていませんが、アンドラは両国どちらが保有するかで争われた歴史があり、それがちょうどこの作品が書かれたあたりでした。そういった歴史を踏まえる時、なぜピアソラがスペイン語表記にこだわったのかの一端が見え隠れします。
演奏は、民衆のエネルギッシュさを、正に冷静に、しかし情熱を持って表現されていて、熱くなりつつも、この曲はどうやって生まれたのだろう、そういえば、この作品はアンドラの問題が持ち上がったあたりに作曲されているね・・・・・などと考えながら聴くのは、私にとってとても熱くなりつつも楽しい時間でした。それは両名の「情熱と冷静の間」の絶妙なバランスがなせる業だったと思います。
アンコールのピアソラ「エスクアロ(鮫)」も情熱的で素晴らしかったですし、ドビュッシーの「レントよりも遅く」も、ピアノだけとの違いを楽しめることが出来ました。
両名のセッション、また機会があれば聴きたいと思いましたし、それぞれのリサイタルへも、できれば行きたいと思った、素晴らしい時間でした。
聴きに行ったコンサート
神谷 勝&内藤 晃 デュオ・サロンコンサート
神谷 勝(チェロ)
内藤 晃(ピアノ)
平成24(2012)年5月27日、東京港区、デザインKホール
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