かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:日本管弦楽名曲集

今回のマイ・コレは、ナクソスの日本管弦楽名曲集です。沼尻竜典指揮、東京都交響楽団の演奏です。

このCDを買いましたのは10年ほどまえで、最終曲に吉松氏の作品が含まれているだけでなく、そもそも日本の作品について興味が向き始めていたということも有りました。

そして何より、ナクソスが日本のオーケストラに目を向けたということも購入の決め手でした。東京都交響楽団の演奏はすでに一枚持っていましたが、それはスタジオ録音。このナクソス東京芸術劇場です。

そんな代物が、当時1000円でとなれば、これは食指が動かないわけにはいきませんでした。

まず第1曲目が、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」です。1960年にNHK交響楽団の海外演奏旅行用に作曲されました。民謡が随所に比較的そのままの形でオーケストレーションされて使われているのが特徴で、拍子木や鐘が特徴的に使われています。特にリズムをとるのに使われている点に、日本の作品らしさを演出しています。

管弦楽のためのラプソディ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%97%E3%82%BD%E3%83%87%E3%82%A3

第2曲目が、越天楽です。もともとは雅楽で最も有名な楽曲で、神前式の結婚式でもよく使われる曲ですが、もちろんナクソスのアルバムで雅楽そのままということはありません。近衛秀麿により1931年に編曲されたものです。

越天楽
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%A4%A9%E6%A5%BD

雅楽の楽器を使いながら、オーケストラの曲として演奏されるこの編曲は、まるで雅楽そのもののような雰囲気を持っています。弦楽器を効果的に使い、雅楽が近代編成でも十分演奏可能であることを示した素晴らしい編曲だと思います。

第3曲目は、伊福部昭の「日本狂詩曲」です。この曲は彼のデビュー作でもあり、2つの部分からなります。「ゴジラのテーマ」など多くの映画音楽を手掛けたことでそのイメージが強い人ですが、素晴らしい管弦楽曲も多く残しています。その最初の作品が1935年に完成したこの「日本狂詩曲」でした。

日本狂詩曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%8B%82%E8%A9%A9%E6%9B%B2

ウィキの説明にもあるように、伊福部氏はこの曲でチェレプニン賞第一席を受賞していますが、そもそもこの賞が設置されると聞いて、いても経ってもいられなくなったようで、クーセヴィツキ―の甥の要請になんと北海道の厚岸(釧路の手前です!)から作品を送っています。本来は3楽章の協奏曲にする予定だったようですが、この応募の時に現在の形になりました。

この後伊福部氏はチェレプニンに師事することなり、日本の音楽界に多大な影響を与えていくことになります。

第4曲目は、芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」です。1950年にNHK放送25周年記念の懸賞作品として作曲されました。この時に団伊玖磨とともに入賞し、文学者であった父龍之介に勝るとも劣らない活躍へと踏み出すのです。

交響管弦楽のための音楽
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD

私はこの芥川氏の出世作にこそフランス音楽の影響を感じ、伊福部氏の作品には東欧などスラヴ系の影響を感じています。色彩感というか、音楽的印象がその差を生み出しているように思います。

第5曲目は小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」です。恐らく、この曲を中学校で聴いたという人もいるかもしれません。私が中学から高校にかけての時代は、日本民族主義というか、日本国民楽派と言えばこの小山氏の作品が紹介されるよう、当時の文部省が学習指導要領に定めていたため、音楽鑑賞用の副読本では必ず取り上げられ、どんな場面でどんな楽器がどの和楽器に対応するか、あるいは和楽器がオーケストラの中でどのように使われているかが解説されていました。

管弦楽のための木挽歌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%9C%A8%E6%8C%BD%E6%AD%8C

ここに上げられているだけでも素晴らしい作品がある中で、なぜこの作品が取り上げられていたのか、今でははっきりと言えるかと思います。この作品は変奏曲なのです。主題は九州の木挽き歌で、それを和楽器も含めオーケストラによって様々に変奏されていき、最後はまるで幻想曲のように終わります。

実は、最後の吉松氏と、この小山氏の作品が収録されていたからこそ、このCDを買ったのですが、それが今では他の作曲家への興味にもつながっています。何がきっかけになるかなんて、本当にわかりません。

そう、この「管弦楽のための木挽き歌」は吉松氏よりもずっと前からCDを探し求めていた作品なのです。ですから、この曲が入っていると知り、衝動買いしたのです。

最後に、吉松隆氏の「朱鷺によせる哀歌」です。先日取り上げた吉松氏の後の作品にも主題がエコーとして使われている、その元の作品です。

朱鷺によせる哀歌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E9%B7%BA%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%9B%E3%82%8B%E5%93%80%E6%AD%8C

1880年に完成した作品で、国内最後の6羽の朱鷺を偲んで作曲されました。編成を一羽の朱鷺に見立てるという点が特徴的ですが、音楽的にはさらに、上記の作曲家たちよりも若い世代であるということもあり、調性音楽と無調音楽が混ざりあい、特に無調音楽の部分で朱鷺の鳴き声を表現するなど、前衛かつ意欲的な作品です。

演奏は、ナクソスのエンジニアの特徴らしく、ナチュラルな点を大事にしていることから、各パートがしっかりと浮き出ているのがよくわかります。都響ってこんなにも上手かったのかと、初めて聞いたときもそうですが、今でもそう思います。確かに、つかわれている旋律は私たちにも親しみのあるものがほとんどですし、特にリズムが身体に身についているものばかりです。日本人の作品をたとえばイギリスのオーケストラが素晴らしいとはいえ、手放しで喜んでいいのかどうかと考えさせられます。

特に最後の吉松氏の作品などは、BBCよりもよほど都響のほうが細部がはっきりとしていて、吉松氏のどこが魅力的なのかをはっきりと教えてくれます。確かに、正当なクラシックの音楽から少し離れていますが、前衛というものはつねに正統から少し離れたものを言うものだと思います。その点から言えば、吉松氏の作品の魅力は、調性音楽を評価しなおすことで無調音楽と同等に扱うということなのだと気づかせてくれます。たとえ、その和声進行が稚拙だとしても・・・・・

もし、吉松氏の作品にNOを突きつけるのであれば、伊福部氏もダメになる・・・・・そう自分は言えるのかと、考えてしまいます。

ナクソスはこれ以降日本作曲家撰集として日本人の作曲家をシリーズで現在まで出していまして、実は神奈川県立図書館からそのうち2つを借りてきています。できれば、神奈川県立図書館にはなるべくナクソスのこのシリーズを全部そろえてほしいと思います。予算の兼ね合いもあるでしょうが・・・・・・

そして、一つナクソスにも注文を付けるとすれば、できればこのCDは時代順で並べてほしかったように思います。そうすれば、戦前から戦後にかけての日本のクラシック音楽の歩みがきくだけで俯瞰できるのにと、残念でなりません。ただ、その後の継続的な出版は素晴らいことなので、この辺で批判は終りにしておきましょう。

「義を見てせざるは勇無きなり」ですから。



聴いているCD
日本管弦楽名曲集
外山雄三作曲
管弦楽のためのラプソディ
近衛秀麿編曲
雅楽 越天楽(管弦楽版)
伊福部昭作曲
日本狂詩曲
芥川也寸志作曲
交響管弦楽のための音楽
小山清茂作曲
管弦楽のための木挽き歌
吉松隆作曲
朱鷺によせる哀歌 作品12
川本嘉子(ヴィオラ、日本狂詩曲)
古川展生(チェロ、管弦楽のための木挽き歌)
金崎美和子(ピアノ、朱鷺によせる哀歌)
沼尻竜典指揮
東京都交響楽団
(Naxos 8.555071J)



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