かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:W.F.バッハ カンタータ集1

今月のお買いもの、2枚目はヴィルヘルム・フリーデマン・バッハカンタータ集です。ブリリアント・クラシックスから出ているバジェット・プライスの1260円!2枚組です。

久し振りに出てきました、大バッハの長男。以前、コンサート評でご紹介しています。

音楽雑記帳:「フルート・デュオ・コンサート」を聴いての雑感
http://yaplog.jp/yk6974/archive/379

この時、私はヴィルヘルム・フリーデマン・バッハをこう評しています。


確かに、音楽としてはすばらしいですし、独創性もあります。終わりそうで終わらず、本来終止する部分で終止せず、そのまま続けるなど・・・・・きりがありません。ただ、それゆえに、一生懸命偉大な父を超えようとする点がクローズアップされてきます。


その背景には、ウィキの以下のサイトによる説明がありました。

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

まともな説明がネットではこれしかないもので・・・・・

しかし、彼の音楽に関するレヴューはいくつかありまして、そのどれもこのウィキの解説に疑問を投げかけるものです。ブリリアント・クラシックスは他のレーベルから音源を買って再販するレーベルとして有名ですが、これも同じ経緯でCD化されたもので、この演奏のレヴューは例えば、アマゾンあたりにCAPRICCIOのものが載っていますので、検索してみますと興味深いと思います。

そして、実は私の感想も、その多くのレヴュアーとほぼ同じものです。それが故に、鍵盤音楽を聴いている私としては、余計にヴィルヘルムの気持ちが分かってもしまうのですが・・・・・

2枚組なので、まずは今回は第1集を取り上げます。その第1曲目は「闇の行いを脱ぎ捨て」 Fk. 80です。1749年に作曲された、待降節用第1日曜日用のカンタータです。内容としては、欲求を自らコントロールし、精神的なものを大事にしようということを、聖書の内容に基づいて問うものです。

説教要旨

「闇の行いを脱ぎ捨てて」

ローマの信徒への手紙13章11−14節
http://www.geocities.jp/eastchurch/sermon080713.htm

この作品は形式的にも面白いことをやっていて、最初と最後は全く同じ音楽で彩られています。父大バッハもなかなかやらないことをやっています。しかも、欲をすてキリストの衣をつけよという、この音楽のコアを繰り返すということは、よほどこの部分を強調したいことが分かります。この点では、父とは違うものをというヴィルヘルムの想いが伝わってきます。

次に第2曲目は「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え」 Fk. 89です。ブックレットには作曲年代が記載されておりませんが、音楽的に父の影響下にあることを考えますと、1750年までには作曲されたものなのではないでしょうか。ネットではもちろん、まったく知り得ることが出来ませんでした。父の影響下にあるとはいえ、冒頭合唱では不協和音を効果的に使うなど、父とは別の音楽を模索していることがはっきりと聴きとることが出来ます。

洗礼者ヨハネの祝日用の曲ですが、曲名になっている聖書句は、待降節で使われることが多いものです。

B年 待降節第2主日
第1朗読 イザヤ書 40章1〜5、9〜11節
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycleB/b_adv02sun.php#first

確かに、これはヘンデルの「メサイア」でも歌われている部分ですので、待降節で使われるのはもっともでしょう。しかし、この曲は半年ずれている、洗礼者ヨハネの祝日用です。なぜそうなっているかと言えば、実はこの文句は旧約聖書からの引用で、その旧約の最後に出て来るのが、キリストを直接準備したと言われる洗礼者ヨハネだからなのです。上記のサイトをご紹介したのは、その部分が大事だからです。

この曲目ににもなっている部分は、荒れ野で「主の道を整えよ」と回心を叫ぶ洗礼者ヨハネを描写したものです。それを、逆境の時に、正しいことをするということとオーヴァーラップしてみると、この曲の言いたいことが見えてきます。日本のことわざであれば「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉だと言えば、分かり易いのではないでしょうか。

演奏面では、ピリオド楽器を使いながら、アルトは女性という構成です。これを間違っていると取るかそれとも別にいいではないかと取るのかは判断が難しいと思います。なぜなら、1749年ごろと言えば、大バッハの最晩年です。時代は多感様式へ移り、前古典派も勃興しようかという時代です。そう、バッハという人はバロック期の最後の作曲家と言っても差し支えない作曲家です。その息子なのですから、アルトが女性であってもおかしくないという判断もできるかと思います。実際、ハイドンが一番最初の交響曲を書くのは、1757年なのですから。

ピリオドゆえに軽めの演奏ですが、しかし決して軽薄ではなく、むしろさわやかな風が通り抜けていきます。その上で、気高い部分もきちんと表現されており、フリーデマンの音楽の素晴らしさを雄弁に証明しています。



聴いているCD
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ作曲
カンタータ「闇の行いを脱ぎ捨て」
カンタータ「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え」
バーバラ・シュリック(ソプラノ)
クラウディア・シューベルト(アルト)
ヴィルフリート・ヨッヘンス(テノール
シュテファン・シュレッケンベルガ―(バス)
ライニッシェ・カントライ
ヘルマン・マックス指揮
クライネ・コンツェルト
(Brilliant Classics 94256/1)



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