音楽雑記帳、今回は古典派の法則について述べてみます。
常に私が申しております、「リフレインは弱く」というものがあります。これは古典派の時代において、コントラストをつけることに役立っています。
というより、なぜ同じ旋律がわざわざ繰り返されているか、ということです。単に大事だから二度、ではないのです。明らかにアクセントなのですね。
古典派の時代、楽器の性能は良くありません。そういった中でアクセントをつける方法が模索され、その結果「リフレインは弱く」といったものも考え出されたのです。
それがどうして成立したかがうかがえる逸品が、実は日本あるのです。もちろん、音楽と全く関係ないのですが・・・・・
それは、正倉院の宝物の中にあります。
御袈裟つつみ袷 第1号(丙号)
http://shosoin.kunaicho.go.jp/shosoinPublic/detail.do?treasureId=0000010011&idx=3&mode=part
文様がまずアクセントですが、実は文様は浮き出るように織られているのです。
これは実物をみないとわかりづらいと思います。実は、今年の正倉院展にはこの実物とその復元が展示されていまして、文様部分が浮き出るようすをはっきりと確認することが出来ました。
なんでそんな面倒くさいことをするのかと思いますでしょ?しかし、当時はいろんな色を使って織るほうが手間がかかるのです。その分、染色をしなくてはならないからです。
染色の材料もそろえなくてはなりませんし、色の分染色をしなくてはなりません。さらに織る時に糸を変える必要もあります。それだけ、面倒なのです。ですから、多少織が複雑になっても、こういった単色で織られる場合もあったわけなのです。
実際、宝物の中には色とりどりのものもありますし、そのほうが色彩という点では優れていますが、コントラストという点では、単色はうなってしまう素晴らしさです。
そういった工夫と全く同じことが、古典派の音楽であれば「リフレインは弱く」という技法に繋がっていくのです。
古典派においてそういった工夫をした理由に、楽譜上の問題もあります。こちらのほうがより宝物を例に出すのに近いかもしれませんが、古典派の時代、楽譜には実はppやffと言った記号はついていないのです。
ためしに、モーツァルトの楽譜をなんでもいいので輸入楽譜を購入してみてください。ppやffがないのに驚かれるはずです。まさしく、上記の宝物と同じ状況であるわけです。
では、音はどうつけるかと言えば、基本f(フォルテ)であって、その上で音の高さでpなのかppなのかffなのかを瞬時に判断し、表現していくのです。それが完全に行われた時の音楽が見せる表情は、今までと全く違うものとなるでしょう。
それこそ、古典派という時代はバロックの遺風を受けた「職人の時代」であったということなのです。それが変わってくるのが、ベートーヴェンの時代です。
それを国内で理解するには、たとえばこの宝物の例でいえば、「造東大寺司」という、平城京建設のためにおかれた役所について調べてみるといいでしょう。その役所が制作した仏像などを調べてみて、それをハイドンからベートーヴェンという移り変わりに当てはめてみると、「古典派の美」というものがより理解がしやすいのではないかと思います。
もちろん、最上は音楽史を調べるのが一番ですが、国内でしかも音楽以外でもできることは意外とあるものなのです。
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